※リク08::DIO/男主
あの嘘つきの話ですか?いいですよ、教えてさしあげましょう。
あれは雨足の強い春の夜でした。春とは言っても外はまだ肌寒さが残っておりましたので、私は朝から一日中家に篭って大人しく新聞を読んでおりました。ええ、そうです、いつも取り寄せていただいている各国の新聞です。
そのとき私は誰にも雇われていなかったので朝から晩まで新聞を読んで過ごすことができました。昔と違って今は個人で執事を雇おうという気のある方が少なくなってきましたからね、時々そんな空白の期間があるんです。
働いて給与をいただかなければ私も生活できませんから、職がないのは困ったことには違いないのですが、一日でイギリスとスペイン、イタリア、アメリカ、それにフランスもですか、それだけの国の二社が三社の新聞に全て目を通すというのはなかなか難しいものでして、働いているときは一面や二面を読むだけであとは見出しとはじめの数行を流し読みしている状態でした。それが休みとなると全部読めるようになりますから、都合がいいと言えば都合がよかった。
しかし一日新聞を読んで過ごすというのもなかなか退屈でしょう、次第に忙しなく働く日々に戻りたいと思ってきます。
それでも執事というのはもはや廃れ始めた職業ですから、秘書にでも鞍替えしようかと思い始めた矢先でした。あの人が私の家を訪れたのは。
初め見たときはそれは驚きましたよ、瞳の紅い人なんてそうそうお目にかかれませんからね。
それにほら、ドン・ジョルノ、あなたもあの人の写真をお持ちでしょう。百人集めて誰に言わせても美しいと言うようなお顔立ちをしてらっしゃる…………今まで会った中であの人と同じくらいの方といったら、そうですね、ドン・ジョルノ、あなた様がご存知の範囲で申しますと『ベニスに死す』って映画があったでしょう、あれに出てくる少年がそれくらいでしたかね。
ただ深みで言えばあの人の方が幾分か上でした。この後何年生きても、あの人より魅力のある見かけをした人にはもう出会えないだろうと、そう言い切れるくらいには美しい人でした。
ただ私が単なる造詣の美しさに目を引かれたというのは、まあ少しくらいはそうでしたが、それでも誤解であることには違いありません。
長く生きておりますと、人の顔を少し見ただけでその人の人生というのがどういったものか察することができるようになります。
……そう嫌な顔をなさらないでください、何もその人の過去を不躾に覗き見するわけじゃないんです。ただ、泥を這いずり回るような苦労をした人だとか、砂糖菓子で出来たような世界で甘やかされて育った人だとか、何か家庭に不和があって、そのせいで心に一物持った人だとか、その程度です。何も私だけの特技だっていうんじゃありません。感覚として分かるんですよ。そういう人間はたまにいます。
何も知らずにいた方が能天気にいられて楽だろうと思うこともありますが、こういう仕事をしている限りはなかなか便利に思っていますよ。その方に合わせた対応ができますからね。
執事というのは得てして長い期間雇われるものです。伴侶と言ったら言い過ぎもいいところでしょうが、そのへんの雇い主と従業員との関係よりは距離が近い。主人に気に入られるのが執事としての最初の仕事のようなものです。
ドン・ジョルノ、あなたにも気に入られているなどとたいそれたことは申しませんが、少なくとも煩わしくは思われていないと、憚りながら私はそう自負しておりますよ。……そうですか、それは至極光栄です。
話が逸れましたね。そう、あの方が私の家に来たところでした。私は先に申しました通り、相手方がどんな経験によってどのような人柄となったのか判断することに長けております。
あの人に会ったときもそうでした。ノックされたドアを開き、どちらさまですかと伺う一瞬前に、ああ厄介な人が来たなと思ったものです。
あの人の顔立ちは殺人者のそれでした。加えて何か並外れた目的を抱えている。自分の野望を叶えたいと目をぎらぎら光らせている。そんな人間が穏やかで、知性と理性を携えて、目の前の人間を敬うことができますか?
最後のはできていませんでしたが、DIOはそういう人でした。静かな人でした。その瞳の奥に潜む激情やおもてに滲む壮絶な過去の影と柔らかな物腰がまるでちぐはぐで、私は初め何度かとんだ見込み違いをしているのではないかと自分の目を疑ったものです。
後から分かるように決して間違ってはおりませんでしたが、そう思ってしまうくらい、あの人は自分を偽るのが上手でした。
思えば、その二面性と不調和こそあの人の魅力だったのかもしれません。見てくれが良いだけなら大理石の彫刻でも同じことですし、ただ性格の良い人間だけならそれこそどこにでもいる……そこに泥と闇とを混ぜて煮たような暗い精神が潜んでいたからこそ、あの人の表情の一つ一つがただ綺麗なだけのものに留まらず、言葉の一つ一つが人々の心に揺さぶりをかけ、挙動の全てが信奉の対象となったのでしょう。
ただそれが分かるのはもう少し先のことです、私はそのときただあの人の真の姿を見誤らないようにと神経を尖らせていました。
「夜分晩くに突然失礼した……少し話をさせてもらえないかと思って。もしよければ、中に入れていただけるかな」
「……どちらさまです?」
「君は今誰にも雇われていないと聞いた。それについて少し話をしたいんだ。決して悪い話ではないと思う……どうだい?ほんの小一時間、この不審なイギリス人の話を聞いてみようとは思わないか?」
あの人の美貌にすっかり霞んでしまっていて、言われてみれば、という程度の問題でしたが、確かにあの人の言うとおり不審な格好でした。
足元から首元まで厚手のオーバーコートをかっちり着込んで、頭には大きめのスカーフをぴったりと巻きつけている。私の家の軒先で少し顔を出すように口元のところは下へずらしたようでしたが、それでもちょうどイスラムの女性のような出で立ちでしたよ。
最も、あの人の華やかさで言えばさながらマリリン・モンローと言ったところでしたけどね。スカーフにサングラスかけてキャメルのコートをさらりと着込んだあの女優はなかなか上品でよろしかった……不細工がやれば滑稽なことも、きれいな人がやってしまえば目につかないほど自然だったり却って洒落て見えたりするものです。堂々としている人間となれば、特に。
家に招き入れてすぐ彼はテーブルの上に広げていた何部もの新聞に目を付けて、君は何ヶ国語が読めるのかとか、そのうちいくつの国に行ったことがあるのかなどと他愛のない世間話を始めました。
押し付けがましくない程度の会話に抑えながらも、こちらへ探りを入れていたのでしょう。
けれどそのうちに眼光が鋭くなり、声色や言葉の選びも甘さを失ってくる。私が彼の本性を多少なりとも感じ取っているということを、あの人もまた感じ取ったのです。
もう猫かぶりは止めだという調子で「なんだ、そういう人間なんだな」と言うと、あの人は私の方へ身を乗り出して意地の悪そうな素顔を露わにしました。
「単刀直入に言う。君はサン・ジェルマンの執事をやった男だよな?」
「……答えかねますね。まずあなたの目的が何なのか仰っていただかないと」
「ん?初めに言っただろう。君が今誰にも雇われていない身だと聞いて、わざわざこのスペインくんだりまでやって来たんだ」
ええ、そうです。私はそのときスペインに住居を構えていました。前の主人がスペイン人で、住み込みにはしていただけなかったので。
その家ですか?まだありますよ。人に貸しているはずです。家は使わないと廃れてしまいますから、掃除婦を雇う代わりです。売り払う気はありません。またスペインで住み込みでない仕事をするときに入り用になりますからね。
「つまり、私を雇っていただけるということですか?」
「そうだ。このDIOの下で働いてほしい」
「それとサン・ジェルマン伯爵のことと、何の関係があるかお聞きしても?」
「なかなか用心深いな」
「職業柄でして」
「いいぞ。それでこそ隣に置こうという気にもなる……そうだな、まず私が何者か話してしまうのがいいだろう。私は吸血鬼だ。もう百二十年生きている」
もう、と言うには若造もいいところでしたが、もしかしたら主人となるかもしれない人の前です、私は余計なことは言わず「さようで」とだけ相槌を打ちました。
幸いだったのはあの人がそれを分かっていて「君に言っても何の自慢にもならないが」と続けたことです。主人に指摘をしないのは簡単ですが、後で「知っていてどうして黙っていたんだ」とお怒りになられる場合もありますからね、見極めが難しいのです。それをしなくていいというのは幾分か気が楽になります。
「サン・ジェルマンという男の話は子供のころに本で読んだ。そのときはくだらん御伽噺だと思ったものだが、実際にこの身が不老不死となってみれば容易に納得できた……サン・ジェルマンも石仮面を被った吸血鬼だろうと、そう私は睨んでいるが……違うならそう言ってくれ、そしてこの話は忘れてほしい」
「……いいえ、その通りです。サン・ジェルマン伯爵は私の昔の主人で、吸血鬼でした」
「よし……じゃあもう少し話を続けよう」
一つ期待通りだったと知って勢いづいてもいいくらいでしたが、あの人は落ち着き払ったまま言葉を続けました。
「サン・ジェルマンの逸話にこういうものがある。
“ある者がサン・ジェルマンに仕える使用人に『主人は本当に二千年も生きているのか』と聞いたところ、使用人は『分かりません、私はまだ五百年しかお仕えしていませんので』と答えた……”
あるいは、
“サン・ジェルマンが客人との話の途中、十字軍に参加したころだのソロモン王に会ったときのことだのを懐かしがり、『君も覚えているだろう、私が本当のことを言っているのだと言っておやりなさい』と言ったとき、使用人は『私が旦那様にお仕えし始めたのはほんの三百年前からですよ』と答えた……”
どちらにしろ要点は同じだ。使用人もサン・ジェルマンと同じく長寿。そしてその使用人が、君……。君もまた吸血鬼だな?」
「ええ、そうです」
事実は事実と認めるのが、大体の場合には最善の策です。私は素直に白状しました。
ただ、それが事実でなくとも私は同じように言ったでしょうね。口ではああ言っていましたが、あの人はもし宛てが外れていたらこいつは殺してしまおうとでも言うような目の色をしていました。
……ドン・ジョルノ、私が人の心を見透かせるのではないかと疑っておられますね。ご安心を。そんなことはありませんし、あったとしても主人の心を覗き見るほど不躾ではありません。ええ、もちろんです。
話を戻しましょう。あの人は「やっぱり」と言って満足げに笑みを浮かべました。そして改めて「私の下で働いてくれ」と言ったのです。
迷いがなかったと言えば嘘になります。何せ殺人者と同じ匂いを持った得体の知れない男です、私はなるべく淡々とした生活を送りたい……男の周りではそれができるのかどうかわかりませんでした。
私の主人となる人というのは、大抵が多忙を極めている、その業務の無駄を省いておく必要のある人です。
貴族の血筋の人間などは忙しくなくても仕えの人間を抱えている場合があるようですが、それは仕えの方も一族代々その貴族の仕えをしているというだけですから私とは少し違います。その筋の人といったら身辺調査が厳しいので、私が何百年と生き永らえていることがすぐに分かってしまいます。それは穏やかでない。
私はそこそこの中産階級の、仕事ができればそれでいいという人間を主人にするのが一番なのです。
話を詳しく聞けばDIOの有している館に住み込んで、手紙の返事を代筆したりスケジュールを調整したり、一日の用事を思い出させることが主な仕事だと言うじゃありませんか。理想的な業務でした。
そしてDIOといえば自身も吸血鬼ですから、私は長い間
下手をすれば何百何千年も共に居るというのは少し長すぎるような気もしましたが、別に夫婦になるわけではないのです。雇い主と従業者という距離をうまく保っていれば何の問題も起こらないでしょうし、あの人はそれができるだけの聡明さがありました。
私は是の返事をし、DIOは「決まりだな」と頷きました。
それからさらに詳しい業務内容と給与の話をし、契約を結んだあと、真夜中の暗い闇の中へあの人は消えていきました。もう雨は上がっていたと記憶しています。つんとした湿気の残る寒い夜でした。
今までいろんな国々を回ってきた私でしたが、エジプトというのは行ったことがありませんでした。十九世紀にはフランスとイギリスとが支配権を奪い合った地でしたから、二つの国の両方で合わせて二百年ほど何人かの主人に仕えた経験のある私ならば一度行ったことがあってもなんらおかしくはなかったのですが、それまで縁がなかったのです。
何年生きても初めて降り立つ地というのは緊張感があります。
できれば余生の楽しみのために、行ったことのない場所というのは残しておきたいものです。行ってしまってもいいですが、世界中を知っているというのは面白みにかけますからね。何事も中ほどが一番面白い。
それでも行ってしまったのならば、あとは楽しむしかありません。あの人の館に着いてしまえばあとは仕事をするだけです。飛行機から降り立った第一歩目から館へ着くまでの間、私は短い旅を楽しむことにしました。
そういうわけで私はまるで旅行者という風体でした。きょろきょろと辺りを見回し、あちらこちらの露店を冷やかし、下手なアラビア語でなんとか飲み水や食べ物を手にいれ、タクシーを捕まえて館の近くまで行きました。
スペインもからっとした気持ちのいい気候の国でしたが、エジプトはそれと比べ物にならないくらい乾燥していて暑いところでした。たまたまエジプトに行く前のスペインは三日ほど雨が降っていて肌寒く水気のある日が続いていたものですから、恥ずかしながら、あまりの落差に少しへばってしまいました。事あるごとに日陰に入って休みをとっていたせいで、随分のろのろした道中になってしまっていましたね。
あの人ですか?あの人はそのとき確かイタリアに行っていました。航空券とエジプト・ポンドの札束を渡して先に館へ行っていろと言い付けたのです。特に酷い命令だとは思いませんでした。それよりもっと人遣いの荒い主人の下に就いたこともあります。
私は館から二、三ブロックほど離れた公園で使いの者を待ちました。館は奥まった場所にひっそり建っているから見つけることは困難だとあの人がそうさせたのです。
それに後から聞いたことですが、まやかしを使うスタンド使いが館を見つけにくくしていたそうです。私に見つけられるはずがありません。
ええ、そのときはまだスタンドを身につけておりませんでした。無くても生きるのに支障はありませんでしたし、むしろあった方がいろいろと支障が出た気もいたしますが……そうは言ってもそれが縁でこうしてあなたにもお会いすることができましたし、今はこうなってよかったと思っておりますよ。
続きに参りましょう。私を迎えに来た使いの者はその名をテレンス・T・ダービーと言いました。外見だけ見れば私より少し若いくらいの若者でしたが、千年近く生き永らえた私から見ればまるで子供のように思えました。
あの青年は私が吸血鬼だとは知らされていなかったようで、初めの数ヶ月ほど私から子供扱いされるたびに眉をひそめて不服そうにしておりました。……え?いいえ、子供扱いというのは彼の言った言葉です。お恥ずかしいことですが、私はそんな自覚はありませんでした……ミスタがですか?それはそれは、申し訳ありません。今度お話してみることにしましょう。彼もそろそろ二十ニ歳でしたでしょうか。いつまでもそれでは彼を傷つけかねませんね。
そう、テレンスの話でしたね。テレンスは館に着くと、館中の人間や動物を呼んで私を紹介しました。
やはりそのときも彼は私が吸血鬼だと知りませんから、私を殺したり食べたりしないように、という旨を伝えるために皆を呼んだのです。いらぬ心配をかけて悪いなとは思いましたが、主人であるあの人が伝えていないことをわざわざ言う必要はありません。ただ新しく執事として雇われたということだけ言って、よろしてもらえるよう挨拶をしました。
おや、これではあの人の話というより私が館で働いていたころの話になってしまいますね……そうですか?お心遣い痛み入ります……それでは、このまま続けさせていただきますね。
館にはいろんな人間が出入りしていました。住み込みで居たのは私とテレンス、それにヴァニラ・アイスという側近の男、館にまやかしをかけていたスタンド使いのケニーG、エンヤという老婆くらいで、後は用事のあるときだけ館を訪れる者が大半でした。
それに加えてあの人は出かける度に部下を増やして帰ってきますから、血の気の多い人間に私のことを伝えなければならなかったテレンスの苦労は計り知れません。私がスタンドを持ったのは大分後でしたから、それまでちょっかいを出そうとしてくるスタンドの手や武器に全く気づけませんでした。
あの人はあの人でにやにやとそれを見ているだけですし、私をただの人間と思っているテレンスだけが私の心配をしてくれました。
館には仕事をするために居ましたから交友関係を持ってはいなかったと思いますが、そうですね、テレンスは一番友人の立場に近い人物でした。
彼もエジプトに単身で……いえ、兄のダニエルも近くにおりましたから単身というわけではありませんでしたが、とにかく友人の一人もいないということです。それだから仕事の合間に私と世間話に花を咲かせることもままありました。
反対に、側近のヴァニラ・アイスという男とはあまり話をしませんでした。彼は私の少し前に館へ来たという話でしたが、詳しいことは知りません。ただ誰よりも熱心にあの人を尊敬し、心酔して、心も身も全て委ねているような人でした。
同じように、ケニーGもあの人を好いていて、部下であることを誇りに思っているようでした。
エンヤ婆もあの人を崇めていたことに違いありませんが、前の二人と一線を画している存在でした。人間であるはずなのにとても長く生きておられるようでしたし、時々不可思議なことをやって見せてくださいました。水晶玉に何か映したり、石ころやサイコロ、勾玉、貝殻を使って占いをしたり、あとはタロットカードも使われていましたね。
そういう特技と山奥の少数民族の長のような風体が相まって、彼女を魔女と呼ぶ者も少なくありませんでした。彼女自身自分を魔女だと言っていたこともあります。詳しいことは私も分かりませんが、もしかしたら本当に魔女だったかもしれませんね。なにせ吸血鬼が存在するくらいですから。
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