※リク06::お題掌編/ララバイ設定で甘いの
「奥様、今日もこれが……」
使用人がおずおずと差し出した小包を見てナマエは浅くため息をついた。手に持っていたティーカップをそっとソーサーに戻し、ソファに腰掛けたまま小包を受け取ってしばらく眺める。今回も差出人の名は書かれていない。代わりにアンティークショップの宣伝の手紙が添えられていた。中身はその店のものなのだろう。
差出人の名が書かれていなくとも、贈り主が誰かは知れたことだ。ナマエはここ四ヶ月ほど、ディエゴ・ブランドーという若者に数多くのプレゼントを贈られ続けていた。
切欠はなんだったのだろう。ナマエは小包に目を落として思案する。
ディエゴ・ブランドーと初めて会ったのは最初のプレゼントが届く三日前だった。彼のパトロンである侯爵とは顔見知りで、その日はいいものを見せてやるからと言われて競馬場まで引っ張り出されていたのだ。
いいものなどと言うからてっきりサラブレッドかなにかだと思っていたのに、現れたのはブロンドの青年だった。いや、青年と言うにも少し幼いかもしれない。自分に孫がいたらこれくらいかと思ってしまうほど、歳の離れた若いジョッキーだった。
「ナマエ、こいつがディエゴだ。ディエゴ・ブランドー」
「初めまして、マダム。お目にかかれて光栄です」
右足を軽く引き、胸の前に右手をそっと添えた彼のお辞儀は洗練されて非の打ち所もなかった。整った顔立ちにきらめくブロンド、そしてこの身のこなしとなれば、世の女性たちが放っておかないだろう。事実、何かにつけてあちこちで開かれるパーティーで若いジョッキーが視線を集めていることは噂に聞いていた。この子のことだったのか、とナマエは独りごちてディエゴに微笑み返す。
「ええ、初めまして。ごめんなさいね、膝が痛むからカーテシーはできないの。失礼を許して」
とんでもない、と返したディエゴと視線が合う。そのとき覗き込んだ瞳の奥に、ナマエは何か鋭い刃物のような光を見た。
八十年あまり貴族暮らしをしてきて何度も目にした光だ。野心に満ちた下級貴族の者が自分に気に入られようとしているような目。あるいは、金融会社の者が自分の資産を利用しようとしているような目。
ディエゴもまたそういった部類の人間なのだろう。軽蔑することも失望することもなかった。ただの事実として飲み込んだ後は、軽い世間話と侯爵の自慢話を聞き流して競馬場を後にした。
いつものように考えれば、媚を売られているのだろう。しかしそう思うにはあまりにもプレゼントが高価すぎた。赤いバラの花束から始まったプレゼントは回を重ねるごとに豪華になり、花の本数が増え、小さなペンダントや髪留めになり、ついにはダイヤモンドのついたイヤリングになってしまった。
ナマエにとってはどれも日常の一部でしかないが、向こうはそうではない。競馬界の花形と言えど、そこまで懐に余裕があるわけではないだろう。侯爵に聞けば案の定生活費を使い込んでいるというのだからナマエは困り果てた。
何を贈られようと亡き主人の遺したものをおいそれと他人に譲る気はないし、社交の場で顔を効かせる気も、政治の場で後ろ盾する気もない。正確に言えば、できないのだ。莫大な遺産のせいで勘違いされがちだが、ナマエにできるのはただ平穏な日々が緩く過ぎ去るのを眺めていることだけ。
手渡しは受け取らず、自宅へ送られたものは差出人へ送り返すのが常だった。そうすれば下心あって近づいてきた人間はすぐに気づき、あるいは諦めて次の標的へ移っていく。
しかしディエゴ・ブランドーときたら、いくつものプレゼントを送り返されても一向に気づく気配がない。それどころか送り返されないように送り主不明で次のものを送ってくる始末。
私に利用価値なんてないのよ――その旨を遠まわしに伝えたのが二ヶ月前のことだ。ディエゴは競馬場でレースの真っ最中だったが、その合間を縫って会いに行った。
「……ダイヤモンドはお好きでない?」
「違うわ。あなた、聞けば生活費のほとんどを使ってしまっているというじゃない。だめよ、そんなの……私に贈っても、何にもならないわ」
「自分の金の使い道は自分で決めますよ。あなたに使いたいんだ」
「……ジョッキーなんでしょう。食費まで使いこむなんて……ちゃんと食べないと、馬に乗れなくなるわ」
「……ご心配なく、と言いたいところですが……心配してくださるんですね、オレのことを」
ディエゴは笑みを隠し切れずに口元を綻ばせた。
「……私、金を使うような女じゃありませんよ。分かるでしょう」
「もっと手軽なものがお好き?そのカメオのブローチ、お似合いですね。そういうものなら受け取ってもらえるんですか?」
思わず白いストールに留めてあったブローチを手で覆い隠す。これがいけなかったのだろう。ディエゴは目敏く見咎めると「次はブローチにしますね」と言い颯爽とレースに戻っていった。
その後すぐに届いた小包は、ディエゴが宣言した通りブローチが一つ入っていた。目利きではないが、華美な装飾など一切ないシンプルなそれは大して値の張るものではないだろう。一応はナマエの言ったことに耳を貸したらしい。しかし相変わらず、貢がれているという事実がナマエのため息を重くした。
それからも相変わらず様々なものが届けられたが、ブローチを贈られることが多くなりつつあった。時にはレースのハンカチやストールのときもあるが、三回に一回はブローチが来る。
そして今日も、配達員から荷物を受け取った使用人がおずおずとナマエの部屋のドアを叩くのだ。
今日は何が来たのだろう――贈ってもらっては困ると思っているはずなのに、中身が気になってしまう自分にもため息がつきたくなる。中身を確認したところで、どうせまた箱に仕舞い直してクローゼットの中に眠らせておくだけなのに。
いっそ花束だけならよかったのだ。枯れたあとは捨ててしまえばいい。実際に初めのころに贈られた薔薇はしばらく生けられて気づいたら花瓶からなくなっていた。しかしブローチやペンダントではそうもいかない。生活を圧迫するほどの値のものではないにしろ、まだ若い青年が自分にと買ってきたものを捨ててしまうのはどうも気が咎めてできなかった。
十字に括られたリボンを解き、包装を外すと小ぶりな木箱が現れる。この様子なら中身はブローチだろう。そう思って開けた中には確かにブローチが入っていた。
しかしその下、箱の底に小さな紙が入っているのを見つけてナマエは首を傾げた。箱をひっくり返せば、メッセージカードがひらりと手の上に落ちる。
十六日、午後二時。
淡いピンク色の薔薇模様に縁取られたカードには、それとイニシャルの二文字だけが書かれていた。D・B――疑うまでもなく、ディエゴ・ブランドーだ。
それから四日経ち、カードに書かれていた日付がやってきた。午後の二時まではあと二分と迫っている。何が起こるのかは全く予想がつかなかったが、ナマエはこれを転機のように感じていた。
今まで幾度と止めるように言ってきたが、ディエゴの贈り物が途切れたことはない。しかしそれも、それとなく諭すような注意だったからいけなかったのだろう。今日もし贈り物が来たら、中を見ずにクローゼットへ仕舞いこもう。いや、もう今までの贈り物を全てディエゴに送り返してしまおう。差出人不明だろうと誰が送ったかなど分かりきっているのだ。むしろ今までやらなかったことこそがおかしかった。そして次にディエゴと会ったとき、単刀直入に拒絶の意を示そう――何が目的なのかは最後まで分からずじまいだったために腑に落ちないところはあるものの、これ以上若者に出費させる方が胸が痛む。
ナマエが意を決してソファに座り直したそのとき、開け放ったドアに使用人が現れ控えめなノックをした。
「あの、奥様……」
「今日は何が来たの?」
「ええと……ディエゴ・ブランドー様が……いらっしゃいます」
ナマエは目を見開いた。こんなに驚いたのは四半世紀ぶりだろう。慌てて立ち上がって客間へ向かうと、そこには珍しく三つ揃えのスーツに身を包んだディエゴがいた。
「こんにちは、夫人」
「……どうされたの?突然お越しになって……」
「……ああ、やっぱり開けられてもいないんですね。私のプレゼント」
少し伏せられたディエゴの瞳には、ここ最近鳴りを潜めていたあの鋭い光がちらついている。ナマエは使用人に紅茶と茶請けを持ってくるように言いつけると、ディエゴの向かいのソファに腰掛けた。
「……ディエゴ、そのことだけれど……もう止めにしましょう?あなたも私も困るだけだわ。何を思って贈ってくれているのか分からないけれど……聞いたわ、最近侯爵に着いて社交パーティによく出てらっしゃるんでしょう。それならもう私に何の価値もないことはとっくに分かったはず」
ディエゴは急に顔を上げると、ナマエを凝視した。鋭い光を剥き出しにして、獰猛な視線を投げつけてくる。立場はこちらが強いはずなのに、この青年の不興を買ったと思うと妙な不安に駆り立てられた。ごめんなさいね、と口にすると、ディエゴはますます顔を渋くする。
「……ブローチが好きなんだと思ったのに、いくら贈っても一つも着けてくださらない」
「……捨ててはいないわ。送り返せないから、クローゼットに仕舞ってあるの」
「侯爵に聞いたら花はお好きでないというし」
「ペンダントよりは良かったけれど……」
「じゃあストールはどうかと思っても、やはり着けてはくださらない」
「………………」
「何を贈ったら喜んでもらえるんです?」
「……あなた、私を喜ばせたいの?」
「………………そうですよ」
ディエゴが不貞腐れたような顔で唇を噛んだのを見て、ナマエは思わず笑ってしまった。
「……どうして笑うんです」
「だって、あなた、そんな怖い顔してらっしゃるから、私怒られてしまうのかと思って……」
「そんなことしませんよ」
ディエゴはむっとした様子で顔を逸らす。笑われたのが気に入らないのか恥ずかしいのか、落ち着きなく視線をさまよわせた。
「……そんなにおかしいか?」
「ええ、それなりに」
「……そうか」
「ねえディエゴ、私あなたのプレゼントはちゃんと全部開けてますよ」
そう言うと、ディエゴは一瞬ちらりと視線を寄越した。そうですか、と素っ気無く返事をした口元は笑みを堪えきれずに中途半端に上がっている。
「……ペンダントより薔薇がいいのはどうして?」
「……内緒よ」
「一番良かったプレゼントは何?」
「…………内緒」
「贈ってほしいものは?」
「……今までもらったものではないわね」
ワゴンを押した使用人が恐る恐る部屋に入り、二人の目の前で紅茶を淹れた。ティーセットと茶請けを置いて部屋を出て行く中、ディエゴは出されたティーカップに手をつけずただ眺めている。
「……ウェッジウッドがお気に入り?」
「今日はそうだけれど、マイセンとジノリもあるわよ」
「その茶菓子は……」
「うちの使用人が作っている、ただのフィナンシェ」
「……降参だ。オレにあなたの欲しいものは分からない」
ディエゴは力なくソファへもたれると、ゆっくりとため息をついた。肘掛に肘をついて額を押さえている姿が物憂げで妙に様になっている。どう自分を若く見繕っても息子か孫と言えるくらいの若い男で、言ってみれば子供同然だったがそう思えるくらいの気品があるのだ。
「あなた、私なんかに構わなくても周りが放っておかないでしょうに」
「……だったら何だと言うんです。オレはあなたに気に入られたい」
「私が何の役にも立たないと分かっていて?」
「そんなんじゃない!」
ダンッとソファを強く叩いてディエゴが声を張り上げた。突然のことに驚いて瞬きを繰り返していると、我に返ったディエゴが苛立ちを抑えきれない様子で「申し訳ありません」と呟く。
そのまましばらく膝を揺らしたり視線をさまよわせたりしていたものの、ナマエが紅茶を一口飲んだあとでやっとディエゴは口を開いた。
「あなたが好きなんだ」
「……え……?」
「……侯爵から、貴族との接し方は一から十まで教え込まれた。しかしこれをどう言うかなんて教わらなかったから、これしか言えないんだ……貴族の女の考えることなんて分からない。何を贈ればいいのかも……」
ディエゴはソファから立ち上がりゆっくりとナマエの方へ歩み寄ると、跪いてナマエの手を取った。両手で優しく包み込み、そして額に当てるようにして頭をもたげる。
「なあ、どうしたら分かってもらえる?あなたが好きなんだ」
本当に、と念を押したのを最後に、ディエゴはぴくりとも動かない。ナマエはもう片方の手でディエゴの髪にそっと触れると、何度かその金糸を撫でた。
「……ディエゴ、私、物を贈られるのは苦手なのよ。お金目当ての殿方がたくさんいらっしゃったから、もう喜べなくなってしまったの」
「……しってる……」
「花束もあまり好きじゃないの。いつかは枯れてしまうんだって思うと寂しくて」
「………………」
「でも、そうね。もしあなたが手紙を書いてくださるなら、私喜んで受け取るわ」
「……手紙?」
ディエゴは虚を突かれたように顔を上げた。そう、と優しく頷いて、また髪を撫でる。
「書いてくれるかしら。このおばあさんに」
「…………何を書いたらいい?」
「なんでもいいわよ。どうしても分からないっていうなら、侯爵さまに教えてもらいなさいな」
またむっとした様なむくれた顔をしながらも、ディエゴは「わかった」と返事をした。撫でられるのが気持ちいいのか、時々ゆっくりと瞬きしてはナマエの手の方へ頭を傾ける。
「……便箋の好みはあるのか?」
「まあ、呆れた。ディエゴ、それがあなたの悪いところよ」
何のことかと眉を寄せたディエゴに困り笑いを零しながら、ナマエはディエゴを立ち上がらせる。
「見掛けなんてどうでもいいの……もし私を好いてくれているのなら、私、あなたの心が欲しいわ。心を込めてちょうだい。そうしたら、例えぼろぼろの便箋だって構わないから」
「……わかった。送る。たくさん送る」
「ほら、もうお帰りなさい。明日もレースがあるって侯爵に聞いてるのよ」
プレゼントなんてもう止めてくれと、そう伝えるはずだったのに、手紙を送ってくれなどと言ってしまったのがおかしかった。しくじったという思いもあれば、何かをやり遂げたような満ち足りた気持ちもある。二十歳の若い青年が八十の老婦人に熱を上げるなど、信じられることではない。けれどあんなに熱心で打ちひしがれた様子のディエゴに、誰が信じられないなどと言えるだろう。少なくともナマエには言えなかった。
「……抱擁をしても?」
「ええ、どうぞ」
帰り際、おずおずと言い出したディエゴに笑ってそう返すと、壊れ物を扱うような手つきで優しく抱きしめられた。ナマエも彼の背に手を回し、そっと叩いて離れる。一体どうやってここまで来たのか、馬車を連れていなかったディエゴを従者に送っていくように言いつけて、遠くなっていく馬車を見送る。
そして一週間後、初めての手紙が屋敷に届いた。書き出しと結びは丁寧なのに、その肝心の内容を見てナマエは首を傾げる。しかしもう一通の侯爵から来た手紙を開いて、思わず笑いを零した。
『ナマエへ。ディエゴのやつから不器用な手紙が行ったと思うが、気を悪くしないでくれ。ここ一週間寝る間も惜しんで何十通も書き直してやっと出した手紙なんだ』
親愛なるナマエさま
ご機嫌いかがですか。
愛を込めて、ディエゴ・ブランドーより
(end)