DIOに言われたことは、ミシェルも薄々気づいていたのだった。父親にひどい仕打ちをしたり、悪口を言ったりした人間は、全員ではないものの大多数が怪我をしたり亡くなったりしている。それが事故や病気なら悪い行いのせいだと思うこともできたが、みな喧嘩や殺人が原因だというのだから、善行や神の御心の結果だと片付けることはできなかった。
 ミシェルは小屋の外で地面にしゃがみ、土いじりをしていた。軍手をつけて、雪の解け残りを手で退け、荒れた土を整える。それらしい囲いもプレートも何もないが、そこはミシェルの花壇だった。娯楽のない山の上で、花を咲かせることが唯一の趣味なのだ。
 何年も前に植えた多年草が今年もきれいに咲いてくれるようにと丁寧に土を整えていると、そこへDIOがやってきた。ふと辺りを見渡せば、夕日はとっくに落ちていた。

「……DIOさま、お疲れでしょう。どうぞ、お部屋に戻ってください」

「ああ、そうだね。けれど君に一言謝りたくて」

 さっきは気を悪くさせてすまなかった、とDIOは言った。小屋に来たときと同じように厚手のコートを着て、フードをすっぽりと被っているせいで、その表情は見えない。

「いいえ…………」

 ミシェルは何と言ったらいいか分からなかった。DIOに怒っているわけでも、気を悪くしたわけでもない。ただ、死んで当然などと死人に鞭打つようなことを自分が思っているのだと暴かれて動揺したのだ。けれどそれを言えば、DIOのことも非難するはめになってしまう。ミシェルはただ一言、「あなたに怒っているのではありません」と返した。

「そうか。そういえば、君が怒っているのは、父上の妙な噂を立てた下の人間だったね」

 言われてみて、ミシェルはまさにそうだと納得した。変な噂に気分が悪くなっていたから、つい、あんなことを思ってしまったのかもしれない。

「君は父親思いだな。お父さんのことが好きかい?」

「……自分の父なのです。もちろん、好きですよ。父をよく知らぬ人は、無愛想だとか不気味だとか言いますが、ただ気難しいだけなのです」

「そうだね。私も、噂を耳にしたときはどんな主人なのかと思ったが、話してみれば人のいいお方だ」

 DIOの言葉に、ミシェルの胸は高鳴った。他の山小屋の人間や、生活品を届けてくれる街の人間は父親の無愛想に慣れてしまっているので何も言わないが、それでも仲良くはしてくれない。ここまで内面を理解してくれたのはDIOが初めてだった。

「……ありがとうございます。やはりDIOさまは、お優しい。今まで誰も、あなたのように父のことを分かろうとはしてくれませんでした」

「なに、他の人間の目が節穴なのさ。君は本当にお父さんのことが好きだね。お父さんも、君のことを好いているのか?」

「……?そうだと、思います」

 DIOの言葉に僅かな引っ掛かりを覚えつつも、ミシェルは気にしないことにした。それよりも、父親を良く言ってくれる人がいたという事実が嬉しかったのだ。DIOの目が、一瞬ぎらりと鋭くなったのにも気づかずにいた。

「そういえば、仕事の邪魔をしてしまったかい?」

「いいえ!これはただの趣味で……そこからここまでが、花壇になっています。今はただの草ですが、来月の半ばには花が咲くのです」

「ほう。君が一人で作ったのか?」

「はい。ここは、味気のない場所ですから」

「そうか?満天の星空に、広大な景色。とても素晴らしい場所のように見えるが……」

 不思議そうに言ったDIOに、ミシェルは少しずつ話し始める。
 DIOの言うように、ここの景色は美しい。事実、ここまで来る登山客の目当てはこの景色だ。けれどそれは晴天の日だけ。曇りや雨の日の山頂は、ただ岩と小石、土のある灰色の場所だ。山の景色は変わりやすく、天気予報で晴れと出ていても、暗雲に景色を遮られてしまうことも少なくない。そういうとき、落胆する客の心を少しでも紛れさせるものがあるといいと思ったのだった。

「ここは寒いので、花の種類は少ないですが……それでも、たくさん咲いているとお客人は喜んでくださいます」

「感心だ。君は優しいね」

 DIOは目を細め、口角を上げて言った。ミシェルは照れ隠しに目を伏せる。

「それを知っていれば、私も花の咲くころに来ただろうに。今見れないのが残念だ。どんな花を育てているんだ?」

「ええと……場所によって違うのですが、ここにはジギタリスを植えています。紫や白い色の花で……イギリスでは、狐の手袋という呼び名があると聞きました」

 そう言うと、DIOは思い当たったように「あれか」と頷いた。

「暗がりで咲く不吉な花などと言うところもあるが……美しい花だ。私はなかなか好きだよ」

「それは、嬉しいです。一番好きな花なのです。大ぶりだから遠くからでもよく見えますし、それに、形が面白くて」

 ミシェルが多年草のジギタリスを植えたのは、五年前のことだった。毎年きれいに咲くその花弁の形は独特で、狐の手袋とは言い得て妙だ。そのかわいらしい発想も、ミシェルは好きだった。

「その形にちなんだ呼び名がもう一つあることを、知っているか?」

「いいえ。どんな名前ですか?」

 ミシェルが見上げると、DIOは一瞬口を開いたが、思い直したように口を結んで口角を上げた。

「……また後で教えてあげよう。ところでミシェル、お父さんの姿が見えないのだが……」

 ミシェルが口を挟む間もなく、DIOは話題を変えてしまった。

「ええと……父は、食料を買いに街へ行きました。今朝のことです。何も聞いていませんか?」

「ああ……そういえばそうだったね。そう、街にね……きっと、私が無理を言って宿泊を長くしてもらったからだろう。悪いことをした」

「いいえ、よいのです」

 DIOは連絡のない、予約のない客だった。言ってみれば招かれざる客だっが、しかし父親を普通に会話をして、さらに内面まで見通してくれる彼を無下に扱うことなどミシェルにはできなかった。あと二泊するというのも、いっそ嬉しいくらいだ。

「DIOさまは、どうしてここに長く泊まられるのですか?」

「迷惑か?」

「とんでもない。少し、不思議なだけです。ここは、ただの山小屋ですので」

「……知りたいか?」

 DIOが目を細めて言う。ミシェルはふと、それが本当に笑っているのか疑問に思った。その見た目の麗しさに惑わされていたが、DIOの表情は、感情の表れと言うより筋肉の運動に近い機がしてきていた。しかし、感情が全く表に出ない自分の父親のような人間もいるのだ。ミシェルは考えを払拭してDIOの問いに頷いた。

「私も、君の父親のように不思議な体質なのだよ。太陽のアレルギーであるということもそうだが……もっと、信じられないことがあるんだ。しかしそれを理解して、分かち合えるのは、同じ体質の人間だけだからね。二週間前は、彼が本当に同士なのか確かめるために来た。そして今は、彼と話をするためにここへ来たんだよ。だから、話が終わるまでは泊まっていたいんだ」

「それは、僕が聞いてはならないことですか?」

 ミシェルは思わずそう口走っていた。

「私の体質についてか? そうだな……君は、どうだ? 奇怪な出来事はあるか?」

 言われて、ミシェルは口ごもった。街の人間や登山客によく言われることだが、ミシェルは父親と全く似ていなかった。顔は多分に面影があっても、性格は正反対で、社交的で穏やかなミシェルはよく言えばいい息子であり、悪く言えば平凡だった。父のように奇怪な出来事など、全くなかった。
 しかしDIOの口調は、同士ならば教える、と言葉の裏で示していた。自分が何の変哲もないただの人間だと正直に答えてしまえば、DIOは秘密を話してはくれないだろう。
 いっそ嘘をついてしまおうか。
 しかし、ミシェルは口を開けなかった。しょんぼりと眉を下げて俯くミシェルの頭を、DIOは無言で優しく撫でた。


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