とぼとぼと小屋に戻ると、丁度リビングに入ってきたDIOと鉢合わせる。DIOはミシェルに笑いかけると、さっきはどうも、と軽やかに言った。 「さっき?」 「紅茶のことだよ。もしかして、この前私がイギリス人だと言ったから、紅茶を出してくれたんじゃないかと思ってね。違うかい?」 「ええと……実は、そうなんです。けど、本場の方にお出しするなんて、少し無謀なことをしました。お口に合いましたか?」 「無謀?とんでもないな。とてもおいしかったよ。よかったら、また明日の朝も淹れてくれないか」 ミシェルは嬉しくなって、元気良く頷いた。 「では、私はこれで。少しうるさくするかもしれないが、すぐに済むから許してくれよ」 一体何のことだとミシェルが尋ねると、DIOは事も無げに「窓に板を打ち付けるのさ」と言った。 「太陽に当たれないというのは私の都合だからね。そう何度も配慮してもらっては悪いだろうから、自分でやると言ったんだ。このリビングはもうやらせてもらったから、あとは客室だけなんだが」 「僕もお手伝いしましょうか?」 「いいや。私の都合だし……それに、前に言ったことを覚えているかい?」 仕事の役割分担の話だ、と続けられて、ミシェルはDIOの言わんとすることを察した。力仕事は大の男のものだと言われているのだ。客を持て成す側としてここで折れるのは憚れたが、聞き分けのない子供だと思われるのも気が引けて、ミシェルは素直に一つ頷いた。満足げにDIOが口角を上げる。 「聡い子だ。……板を打ち終わったら、そのまま寝てしまうつもりだから、朝食は遠慮しよう。おやすみ、ミシェル」 DIOが起きたのは、日没の近い夕暮れ時だった。洗面所から出てきた彼のブロンドは、少し湿って毛束になっている。DIOが昼に寝て夜に起きていることは前回泊まりにきたときから知っていたはずだったが、改めてそれを思い知らされるとミシェルは不思議な心地になった。 「おはようございます。……本当に、昼間に寝て、夜に起きられるのですね」 「私は夜が活動時間だからね」 湿った髪を耳にかけるようにかき上げながら、DIOは「おはようミシェル」と言って微笑んだ。 「それでは、やはり、この前も今日も夜のうちに山を登ってきたのですか?」 「そんなに驚くことかい?」 「はい。夜の山は暗くて、危ないですから」 熟練した登山家でさえ、日が落ちる前に野宿の準備をして日没後はその場を動かず身を休めるのだ。日が落ちた直後と日が昇る寸前の比較的明るい時間帯だけ足を動かして何日もかけて登ることができないわけではないが、それをするにはDIOの荷物は少なすぎた。野宿に必要なテントはおろか、寝袋すら持っている様子がない。ともすれば、一晩かけて暗い夜の山を登ってきたとしか思えなかった。 果たしてそんなことができるのだろうか。幼いころからずっとこの山の頂に住んでいるミシェルにしても、真夜中に小屋を出て遠くへ出歩くなど危険すぎてやろうとも思わない。 疑心に満ちたミシェルの目を見て、DIOはふっと笑うと柔らかに語り始めた。 「私は夜目が利くと言ったじゃないか。忘れてしまったかな?普通の人間では見えないような暗闇も、ずっと日陰で生きてきた私にとっては親しみ慣れたものなのだよ。確かに、この山を登るのはちと骨が折れたが、登山とは得てしてそういうものだろう。私にとってみれば、昼間の明るい世界の方が視界が悪い。目が眩んでしまう」 「そういうものですか」 「そういうものだ。日が落ちるころ目覚め、日が昇る前に眠りにつくのが、私の普通なのだ。おかしいかい?」 少し眉を下げてそう言ったDIOは、自分でも普通でないことを十分承知しているようだった。ミシェルが「いいえ」と返すと、興味をそそられたように、ほう、と片眉を上げる。 「いろんな人がいるということは、分かっています。おかしくはありません。けれど、不思議なお人だとは思います。昼夜がひっくり返っているなんて、まるで吸血鬼みたいだ」 だんだんと笑みを深めていったDIOが、最後には声を上げて笑い出した。 「吸血鬼か。それはいい。今ここで、君の首に噛み付いてしまおうか」 そう言った彼の赤い瞳があまりに鋭く光っていたので、戯れと分かっていながらもミシェルはびくりと顎を引いた。唾を飲み下そうと一度上下した喉元を、ぎらぎらと見つめられてる。 一瞬の出来事のあと、DIOは「冗談だ」と言ってすっと目を逸らした。 「君は本当に、私を珍しいもののように見るね」 「え……そうでしょうか。すみません」 「いいや。ただ、私よりも不思議な人が、すぐそばにいるのに気づかないのが面白くてね」 DIOよりも不思議な人。思い当たらなかったミシェルは首を傾げたが、DIOは答えを直接には与えず、「よく考えてごらん」「何か、不思議なことが起こるときはないかい」と誘導するような言葉を連ねた。 「例えば、誰かにひどいことをした人間に、次々不幸が襲い掛かるとか、そういうことはないかい」 「……父のことを言っているのですか」 言い当てると、DIOは満足げに頷いた。 「父は……、下の人間は、みな父が変な薬を盛ったのだとか、ひどいことを言いますが、父は何もしていません。それどころか、ひどいことをするのはいつも登山客の方なのです。この間など、女性の客人が父のことを体が臭いなどと言いました。街の方ではどうか知りませんが、ここでは水は貴重です。毎日シャワーを浴びたり、湯に浸かったりはできません。父は確かに、その日汗を流していましたが、それは客人を暖かい小屋に迎えるために薪を割っていたからなのです。それなのに、ひどいお人です」 「それで、その客人はどうなったんだ?」 「客人は……そのご一行は、父の割った薪をくべた暖炉で暖まった翌日、ここを出て、あの小道を引き返していかれました。山を下りるおつもりだったのでしょう。けれど、八合目を過ぎたあたりで、全員亡くなられたそうです。何が起きたかは分かりません。ただ、互いに激しく争いあったような痕が残っていたと聞きました」 「そうか。それはとても、不思議だね。けれど当然の報いだ。客人を持て成そうとした君の父上に、ひどいことを言ったのだから」 「ええ、本当に……」 ひどい話です、と頷きかけたミシェルは、はっとしてDIOの顔を見た。ひどく饒舌になっていた上に、自分が不躾なことを言いそうになったことに驚いていた。突然黙り込んだミシェルに、DIOは優しく「どうしたんだ?」と声をかける。不謹慎だと思って、などと、それを言った客人に指摘するようなことはできなかった。 |