一言二言の会話を客人と交わしながら小屋に戻ると、中から金槌で何かを叩くような音が聞こえてくる。リビングに入ると、父親が窓に板を打ち付けていた。

「父さん? 何してるの?」

「見ている暇があったら、手伝わないか」

 釘を打つのに疲れたのか、父親は息を荒くして言った。ミシェルは卵の入った籠をひとまずテーブルに置き、壁に立てかけられた板を持ち上げて父親に差し出した。小屋ではひどい嵐や雪が来るときにこうして窓を塞いでしまうことがあったが、しかし天気予報によればこの先一週間ほど雪どころか雨すらも降らないはずだった。

「どうして板なんか……」

「私が頼んだのですよ」

 呟いたミシェルに、客人が答えた。

「アレルギーというものがあるでしょう。海老や卵なんかを食べると発疹が出来てしまう体質だ。私は、太陽の光に対してアレルギー体質なのですよ。だから日の当たらない部屋に泊めてくれと頼んだのです。しかし、この様子だとこの山小屋に窓のない部屋はないのでしょうね」

 客人はそう言うと、「私が頼んだのだから、私がやりましょう」と言ってミシェルの持っていた板を受け取った。ミシェルが両手でやっと持っていた分厚く重い板を、客人は片手で軽々と持ち上げる。客人にそんなことをさせるわけにはいかないと思ったものの、ただの板を懸命に持ち上げようとする自分がさぞ貧弱に見えたのだろうと思うと、口を挟むのは憚られた。父親もミシェルを叱り付けはせず、ただ静かに睨んで、朝食の準備を、と言った。







 ミシェルがこしらえた朝食を持ってリビングに行くと、そろそろ朝日が昇るころだというのに、部屋の中は夜と見紛うほど暗かった。太陽アレルギーだという客人のために、少しの隙間もなく板を打ち付けたのだろう。もしかしたら、板と板の隙間にぼろ布を挟み込んでいるのかもしれなかった。
 一つしかない部屋の電球を点け、プレートに乗せた皿やパンの入った籠をテーブルに移していると、客室の方から客人が現れた。

「驚いた。電気が通っているのかい」

 客人は天井からぶら下がる電球をしげしげと見上げて言った。尋ねるというよりは確認するような口調だったが、ミシェルは首を横に振った。人里離れたこの山小屋に、電気は通っていない。

「発電しているのです、太陽の光で。屋根の上に、青いパネルが取り付けてあるのを見ませんでしたか」

 言うと、客人は不思議そうな顔をした。

「何か変わった屋根だとは思ったが、あれで発電をしているのか」

「はい。最近は、つけている民家も多いと聞きますが……」

 本当に初めて見たのだろうか。客人は「外のことには疎くてね」と言いながら、まだ興味深そうに電球を眺めていた。

「あの……先ほどは、すみませんでした。仕事をさせてしまって」

「いや、いいんだ。さっきも言ったが、私が我侭を言ったのだし。それに、人には能力に見合った仕事というのがある」

 天井の電球からテーブルに並べられた朝食へと目を移すと、客人は「うまそうだ」と口角を上げた。

「きっと見た目通りの味なのだろうね。君は力がないが、うまい料理を作ることができる。板は重かっただろう? しかし私にはそれほど負担でないのだよ。力仕事は力のある者がやることだ。料理が上手い君が料理をして、力のある私が板を持つ。理に適っていると思わないかい?」

 面と向かって力がないなどと言われてミシェルは少しどきりとしたが、客人が自分を貶そうとしているわけではないと分かったので、曖昧に笑ってみせた。

「お客人は、お優しいのですね」

「本当のことを言ったまでさ。ところで、お客人と呼ばれるのは少しさみしいな。私のことはDIOと呼んでくれ」

「……ええ、もちろんです。僕は――

 名乗ろうとしたミシェルを、DIOは人差し指を立てて制した。

「君の名前はもう知っているのだよ。ミシェルだろう」

「……父から聞いたのですか?」

 父が自分の話をするとは思えなかったが、そうだと頷かれて驚く。

「……ずいぶん、父と打ち解けたのですね」

 ミシェルが目を瞬かせると、DIOは愉快そうに微笑んだ。







 厚めに切った硬いパンの他に、ハムの燻製、チーズ、そして少しのスクランブルエッグだけの朝食を食べたあとも、DIOと父親の二人はリビングのテーブルに残り何か話をしているようだった。食後のコーヒーのマグを下げるときに少し会話が聞こえたのだが、父親が今までになく饒舌でミシェルは驚いた。饒舌といっても、普段の父と比べてであって決しておしゃべりになっているわけではなかったが、それでもミシェル以外とはほとんど口を効かない父が会ったばかりの客と話しているのは衝撃だった。
 DIOという客人が来てから、驚いてばかりいる。ミシェルは食器を洗いながらそう思った。
 二人が何を話しているのかは分からなかったが、邪魔はしない方がいいだろうと思い、朝食の片づけが終わり暇になったミシェルは父の仕事もやってしまうことにした。バスルームの貯水タンクと井戸とを何度も往復してシャワーの水を溜め、離れの掃除をし、雪解け水が凍っているところがあればシャベルで氷を砕いた。
 一通りを終えて小屋へ戻るころにはへとへとに疲れ切ってしまい、ミシェルはキッチンの床に座り込んだ。ふとリビングの方に目をやると、二人はもう話を終えたようで、父親が一人で新聞を読んでいた。

「父さん、DIOさまはどうしたの」

「寝ると言って、部屋に行った」

「こんな時間に?」

「太陽に当たれないから昼に寝て夜に起きるのだと」

 ミシェルはまた驚く。しかしよくよく考えてみれば、そんな人がいてもなんら不思議ではない。日が昇る前に起き、夜の八時には寝てしまう自分たちの生活も、街の人間からすれば普通ではないのだと、登山客に言われたことを思い出した。人生のほとんどを山の上で過ごしているミシェルには、知らないことがたくさんあった。


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