暗い屋敷の片隅でミシェルは別れの日に思いを馳せる。もうずいぶんと昔のことのように思えた。色あせた記憶を無くさないように、何度も何度も同じ場面を思い返している。 あのとき見た父の顔、最期に一言だけ聞いた声の調子、それから自分たちを見下ろしていた薄暗い空の色と小屋の中でぼんやりと灯っていたランプの色。全てが懐かしい。思い出せば出すほど胸が温まり、それと同時に今の自分との落差を思い知って隙間風に心が凍る。 期待に満ちていた。期待と不安とを天秤にかけて、期待の方へ大きく傾いているように見えていた。期待どころか、光差す未来を約束するような、希望という透き通った宝石が銀皿の上にあるような気すらしていたのだ。 しかしその皿を押さえつけるしたたかな手の存在には、一向に気づかないままだった。 気づくべきだったのだ。全てがまやかしだと悟り、目の前にぶら下げられた餌に食いつくような真似をするべきではなかったのだ。 目が慣れてしまえば、暗闇の中でも物の形をしっかり捉えることができる。ミシェルはのろりと立ち上がると、水場を目指して歩き出した。力の入らない太ももやふくらはぎは震え、膝もうまく動かない。 食欲はなかったが、喉は渇いていた。誰もいないのだろうか、ただでさえ静かな屋敷の中はミシェルの歩く音以外何の物音も聞こえない。 廊下の角を曲がったとき、黒と灰色だけだった視界に突然白いものが現れた。瞳にちりりと小さい痛みが走る。カーテンが少し開いて、外の光が漏れ出ているようだった。 しばらくランプや蝋燭の光も見ずに過ごしていたせいで、目が眩みそうになる。直に見でもしたら、目が潰れてしまうだろう。 それなのにミシェルは誘われるようにその光へ向かっていった。もう水を飲もうとは思っていなかった。逃げてしまおうと思った。 手を伸ばせば届く距離まで来ていた。一歩進み、光の帯に手を伸ばす。舞った埃が淡い光の中できらきらと輝いている。きれいだと思った。 「何をしている?」 耳に声が届くのと、手を捕まれていることに気づいたのとは同時だった。今更引っ込めようとしても力強く握られていてどうにもできず、それどころかいつの間にか光から遠ざかっていた。 ミシェルと光との間に一人の男が割って入り、その金糸が間接光を浴びて淡く照らされている。 「……別に、何も」 喉が渇いただけです。ミシェルは一時前の目的を思い出してそう言い繕う。逆光になっているせいで相手の表情は見えない。それなのに向こうからはミシェルの顔がよく見えているのだと思うと、どうしようもなく苦々しい気持ちになった。 DIOはフンと鼻を鳴らすと、手を掴んだまま「調理場の場所くらい覚えろ」と静かな声で言った。取って付けたような釈明をDIOがそのまま信じるはずがないことはよく分かっている。ミシェルにその瞳は見えていなかったが、きっと鋭い光を放っているだろうこともよく分かっていた。 ミシェルがDIOの屋敷で使用人として働き始めて、二ヶ月ほど経った日のことだ。 |