夕食は起きてきたDIOと父親、そしてミシェルの三人で囲うことになった。
 DIOに気を遣ってもらい二人で取った朝食も嬉しかったことには違いないが、父親も含めてとなるとミシェルの顔から笑みが途切れることはなかった。尊敬するDIOと一緒に食卓を囲んでいることが嬉しく、自作のシチューに対する彼の賛辞も嬉しければ、人との関わりを遮断している父親が他人と共に食事をしているということも嬉しい。
 ミシェルは上機嫌になって、父親にあれこれと街の話題を振った。

「父さん、街の様子はどうだった?去年から大きな鉄橋工事があったでしょう。もう橋は開通してた?」

「……さあな。見てこなかった」

「えっ!あんなに大きな橋なのに……じゃあ、西の方にあった教会は?あそこ、屋根の内側に茶色い鳩が巣を作ってて……あれ、まだ残ってた?」

「見てこなかった」

「……じゃあ、花屋のアレクシアおばさんは?あの人はあまり噂をしない人だから挨拶くらいしたでしょう?」

 ガシャン!と父親のコーヒーカップがソーサーに叩きつけられた。
 ミシェルは冷水を浴びせられたようにびくりと身体を凍らせる。そのはずみでフォークを取り落とし、固い床に落ちて派手な音が鳴り響いた。「ごめんなさい」と細い声で呟きながらミシェルはフォークを拾い上げて替えを取りにキッチンへ下がる。
 静まり返った空間に独りきりになってみると、自分がどれほど浮かれていたか思い知って居た堪れない気持ちになった。
 深々とため息をつき、気を取り直してリビングのドアを少しだけ開ける。堂々と入るには勇気が足りていなかった。隙間から部屋の様子を覗いてみると、何やらDIOと父親が神妙な顔をして話し込んでいる。今入ってはいけない気がして、ミシェルは一度キッチンへ戻ると手持ち無沙汰に紅茶を淹れ始めた。
 食前も食後も、食事中でさえコーヒーを飲む父親にはそのお代わりでもよかったが、そうなるとさっき乱暴に机に置かれたカップがまた使われるだろう。それを思うと自然と茶葉に手を伸ばしていた。
 十分は経っただろうか。あまり遅くなっても夕食を食べ損ねてしまうと、ミシェルは紅茶を淹れてすぐリビングに入った。
 DIOと父親は話がひと段落したのか、今度は少し開いたドアにすぐ反応してミシェルへ視線を向けた。

「食後にはまだ早いですけど、紅茶、どうぞ」

 父親は無言で頷きながらカップを受け取り、DIOは「ありがとうミシェル」と微笑んだ。どちらにもどうぞと声をかけながらミシェルは席に戻り、一人だけ遅れてしまった食事を再開する。

「……何を話されていたのですか?」

「ああ、少し大人の話をね」

「……僕の分からない話ですか?」

「いや、それは……」

「そうだ」

 曖昧に笑って差し当たりなく返事をしようとしたDIOの言葉に被せて、父親がきっぱりと言った。目を丸くしたミシェルの方を見もせずに「お前には分かるまい」と続ける。

「……本当に、僕には分からない話?」

「………………」

「…………あのね父さん、僕、父さんの例のこと――」

「お前が首を突っ込むことじゃない」

「……でもっ……」

「お前がどう思っていようが、関係ない」

 父親はそう言うと、有無を言わせずにコーヒーを飲み干して食卓を後にした。
 持ってきたばかりの紅茶はまだ並々とカップに満ちて白い湯気を上げている。ミシェルはあからさまに突き放された寂しさと、家族のいざこざを部外者であるDIOに見られた恥ずかしさとで胸がいっぱいになった。
 DIOの視線を感じて、大丈夫だと言い張りたい思いや何でもないことだと取り繕いたい思いで唇を開くが、重く淀んだものが喉に詰まって何も言えない。そのうち目頭が熱くなり、鼻先がつんと水気を帯びる。ミシェルは泣くものかと必死に涙を堪えた。

「な、なんだか、機嫌が悪いみたいですね……」

 誤魔化そうとすればするほど笑いは寒々しく、視界は滲んでいく。一粒でも涙を零してしまったら歯止めが効かなくなってしまうと分かっていた。

「おいで、ミシェル」

 DIOは音もなく椅子から立ち上がると、ミシェルの手を引いて胸元に寄りかからせた。ミシェルはされるがままに力を抜き、その背に一定のリズムを持って触れるように叩くDIOの手を感じる。

「仕方のないことだ。仕方のないこと……私達は特別なんだ。良くも悪くもね……君だけが拒まれた人間ではないし、父上だけが拒んだ人間でもない。皆そうなんだ。君のせいじゃない……」

 ミシェルはDIOの服の裾をそっと掴んだ。それに気づいたDIOがよりいっそうミシェルの身体を腕の中に引き寄せ、繰り返し背を撫ぜて慰める。
 皆そうだと言っても、こうしてDIOはミシェルを温めてくれる。父は突き放しても、DIOは受け止めてくれる。その差がどこから生まれるのかミシェルは分からなかった。
 性格の差だろうか。環境の差だろうか。答える人のいないはずの問いに、悪魔の声がどこからともなく囁いてくる。父は自分のことが嫌いなんじゃないか?人嫌いだと知っていて、なぜ自分だけは好かれていると思っていられたのか?
 DIOの優しさに触れれば触れるほど、父親の素っ気無さが思い出されて悲しみが増していく。

「ごめんなさい、もう大丈夫です……もう……離してください……」

「大丈夫には見えないな……涙がこぼれそうだ」

 DIOの指が頬に触れた拍子にぽろりと涙が一粒こぼれた。それが切欠となり、両眼から次々と零れ落ちる。ぎりぎりで堪えていたものが決壊してしまったようだった。

「ごめんなさい、僕……ごめんなさい」

「何を謝ることがある。泣きたいなら泣けばいい」

「だって、僕……僕っ、なんっ、なんで……なんで僕……」

 DIOはミシェルをソファに座らせて、その隣に腰を下ろした。

「ゆっくり話してごらん」

「……僕……、父さんのっ……父さんのこと、わか、わかりたくてっ……、……っ」

「……ああ、そうだな」

「それでっ…………話、しようとおもっ、思って……でも、…………」

「ゆっくりでいい。ゆっくりでいいんだ……」

「…………どうして、こうなってしまう、んでしょう……」

 とめどなく伝い落ちる頬の涙をそのままに、ミシェルは呆けたような表情でそう呟いた。しかし一呼吸置くと、また悲しみがぶり返して激情に顔を歪ませる。
 DIOはミシェルが落ち着くまで待って、嗚咽が止まってしばらく経ったころに静かな声で話し始めた。

「……君には辛いことだろうが、理解し合えないのだよ。君は普通の人間で、父上は少し違う……その少しの違いがどれほどの苦しみになるか、常人には想像できない。なにしろ、それが想像できないからこそ異端者を排除できるのだからな」

「僕は、父を蔑んだりなんかしません……」

「ああ、そうだろう。それどころか愛している。しかし父上からしてみればどうだ?君は普通の人間だ……普通に生きて、普通の中に入り込み、誰にも後ろ指を差されることなく笑って生きていける人間だ。そんな人間が隣にいたら?しかもそれが、自分と近しい人間だったら?自分の受けている仕打ちを改めて思い知らされることになる。さぞ妬ましいだろう。光の隣で自分の影が色濃くなって、さぞ辛いことだろう」

 優しい声色と辛辣な内容とが合わさってミシェルの心をじわじわとすり潰す。思わず顔を俯かせたミシェルに顔を上げるように言って、DIOは視線を合わせた。深紅の瞳は橙の照明の灯りを受けてぎらぎらと輝いている。

「けれど、全く方法がないわけじゃない。一つだけあるんだよ、父上と同じ土台に立つ術が」


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