公園の水道で洗った靴が乾いたのを確かめて、素足のまま履き直す。少し湿っているが、まあ仕方ない。天気のいい日だし、歩いているうちに乾くだろう。
 自分にとって承太郎は、憧れの人だ。
 いきなり血縁者が現れて、更に彼が自分の甥だというのだから、最初は信じられなかったし落ち着かなかった。
 しかしそんな関係性を抜きに考えてみれば、強くて自信に満ち溢れ、しっかりとした足取りで常に冷静な承太郎は、仗助の理想であり憧れの大人なのだった。
 日が落ち始める少し前、ほのかに白んできた空を見上げて、先ほど別れた甥のことを思い出す。
 かっこいいよな、承太郎さん。
 ときどき自分を侮るような態度をとる人だけれど、承太郎なのだから仕方がない、とも思えてしまうのだ。承太郎にとって、自分はまだまだ青臭い子供なのだろう。
 けれどやはり、子供扱いはされたくない。
 いつか自分を認めて、一人前の大人として接してくれる日はくるだろうか。
 そんなことを考えていたら、ぐう、と腹が鳴った。
 そういえば、結構動いた割に何も食べてなかったっけ。
 ネズミ退治の帰りがけ、空いた小腹に何か入れようと、仗助は近くのオーソンに立ち寄った。

 04 動物と仗助



 いらっしゃいませー、という声に顔を上げると、つい最近知り会ったばかりの億泰の幼馴染がそこにいた。

「あれ、千昭さん」

「よ」

 ブレザーの制服を着ているときは幼い印象だったのが、オーソンの縦じまの制服を着た千昭は、なんだか少し大人びて見えた。服装って大事だな、と一人ごつ。

「何してるんスか?」

「何って、バイト」

 そりゃそうだ。言ってから、自分がおかしなことを言っているのに気づいた。コンビニの制服を着てコンビニで働いてなかったら、ちょっとおかしい。
 しかし気づかなかったのには理由がある。自分や億泰の通うぶどうヶ丘高校は、アルバイト全面禁止なのだ。おかげですっかり、アルバイトができるのは大学生から、と思い込んでしまった。

「千昭さんの高校、バイトできるんスかァ」

 いつも金欠で、どうやって小遣いを増やすか考えている仗助にとってみれば、バイトOKなんて夢でしかない。いいなあ、オレもそっちの学校行きたい。
 他に客がいない店の中、千昭の手招きでレジまで寄って、台に寄りかかる。オレもバイトしたいなァ、と続けようとして、「いや、バイトできないよ」千昭の言葉に遮られた。

「え?」

「特例で許可もらったんだ」

 特例。思わず復唱すると、千昭が「母さんがさ、九州に単身赴任に行ってるんだけど」と話し始めた。

「男の一人暮らしだと、炊事が心配だろ。買い弁ばっかだと、仕送りじゃ賄えないかもしれないし」

 って担任に相談したら、許可もらえた。そんな話をして満足げに微笑む千昭に、はあ、と頷いた。
 いくら家庭事情とはいえ、校則で禁止されているところを直談判するとは。意外と行動派だったのか。この間の、少しゆるい雰囲気からはあまり想像できないが、こうしてオーソンの制服を着て背筋を伸ばす千昭はそう思えなくもない。相変わらず、口調は力が抜けているが。

「え、てか、千昭さん一人暮らし?」

「うん。駅のほうに、アパートあるだろ。あそこに住んでる」

 思わず、ハァー、と感嘆の声が漏れた。

「一人暮らしって言うとアレでしょ、勉強しろってガミガミうるさい人もいないし、好きなだけゲームできるし」

 いつでも友達呼べるし、門限ないし。あと、あと・・・…と続けようとして、千昭と目が合う。笑いを堪えようとしてあまり堪えきれてない変な顔を、ぽけっと眺めていると、開き直ったのか堂々笑い出した。
 うわ、なんか恥ずかしい。居心地悪くなって、首の後ろを手のひらで掻いた。
 さっき承太郎に子ども扱いされないようにしようと決意したはずなのに、あろうことか自分とそう歳の変わらない人にも甘く見られてしまうとは。不覚だ。

「今度、遊びに来なよ。億泰とでも」

 一人でもいいけど、と言う千昭に、いや億泰と行きます、と返した。
 一人だと、また子ども扱いされてしまいそうだ。自分よりも更に落ち着きのない億泰がいれば、多分そっちに集中するだろう。
 本人には申し訳ないが・・・…いや、幼馴染なのだから申し訳ないも何もないか。とにかく仗助は億泰を生贄にすることを決めた。







 じゃあまた、と言ってコンビニを出ようとして、当初の目的を思い出した。そうだ、何か食べるものを買おうと思っていたんだった。
 振り向いてそれを伝えると、「おー」と頷いた千昭が目を細めて笑う。おっちょこちょいだなあ、と言われている気がして、またごしごしと襟足を掻いた。

「肉まんと、からあげ下さい」

「はーい」

 間延びした返事の後に、三百四十円ね、と言われて、財布を出す。トレーの上にお代を置いて、千昭の働きぶりを目で追った。
 働きぶりと言っても、千昭は至ってマイペースに見えたので、働いていると言っていいのかどうか、よく分からなかったが。
 いやしかし、てきぱきと動くことが働くということだと思っている自分が、子供なのだろうか。それとも、何が子供で何が大人だとか、そんなことを考えることこそ子供染みているのだろうか。

 考え始めると、自分の所作の全てが子供っぽい気がしてきた。

「オレって、そんな子供っぽい・・・…ッスかね」

「え?いや、普通じゃない」

 唐突な質問にも難なく答えた千昭に、うーん、と唸る。やっぱりこの人大人なのかも。どうなんだ。

「誰かにそう言われた?」

「承太郎さ、・・・…親戚の人に」

「あ、承太郎さん?こないだ会ったよ」

 え、何だそれ。何か言おうとしたものの、はい、とおつりを渡されて口ごもる。

「仗助と会った後でさ、病院で会った」

「ハア?」

「あ、そうだったごめん、病院行っちゃった」

 少し気まずそうに眉を下げて「言われたこと忘れててさ」と言う千昭に、なんだか少し脱力する。この人やっぱり大人じゃないな。

「承太郎さんのは、気にしなくていいんじゃない」

 オレも子供扱いされたし、と言う千昭に詳しく話を聞くと、何でも頭をなでられたとか、なんとか。

「承太郎さんが、頭をなでる・・・…」

「なでるっていうか、手を置くっていうか」

 あの人変わってるよね、と言う千昭に相槌を打つのも忘れて、人の頭をなで回す承太郎をもやもやと想像する。
 いや、ない。それはない。絶対ない。
 承太郎が何かをなでるなんて、近所の野良犬くらいしか見たことがない。ああ見えて、承太郎も普通に犬猫が好きだ。前に学者だと言っていたし、多少範疇外でも生物には興味が沸くんだろう。
 あれ。ということは、それって子ども扱いというか、犬猫扱いなんじゃ・・・…

「仗助?」

 ほら、とレジ袋を渡されて、「あ、ど、ども」慌てながらなんとか受け取る。
 犬猫。妙に納得した自分がいて、仗助はちょっと笑った。それに首をかしげた千昭がまた動物じみて見えて、おかしい。

「承太郎さんは、別に変わってないッスよ」

「ええ、そうかなあ」

 少し眉を寄せた千昭の顔は、子供っぽいというよりも、やはり少し動物っぽいのだ。猿とか狼とか、そういう獣くさい方ではなくて、どちらかというと猫とか犬とか、人間社会に馴染んでいる方の。
 そう思うと、掴めない人だなあと思っていたけれど、なんとなく親近感が沸いてきた気がした。
 店を出て、ガラス張りの中から手を上げてみせた千昭に、同じく手を上げて返す。
 承太郎に子ども扱いされるのは仕方ない。千昭から子どもに見られるのは、まあ、お互いさまってことにしよう。
 そんなことを考えながら、家までの道を歩いていく。すっかり傾いた夕日が少し眩しかった。


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