13 昼と宮本


 今まで全く気に留めなかった存在が、急に視界に入ってくるようになった。北沢千昭だ。
 真っ暗な本棚の中、何も出来ずただひたすら時間が経つのを待つだけ。そんな悪夢のような日々に転機が訪れたのは、二週間ほど前のことだった。
 それまで、今までまるで信じていなかった神や仏にすがり続けていた輝之輔は、急に視界が開けたとき目の前にいた少年、北沢千昭を救世主か何かのように感じたのだ。
 しかし後で話を聞くと、「治らなかったら放っておくつもりだった」というものだから、正直生きた心地がしなかった。仗助や康一を攻撃した自分が言うのもなんだが、良心の呵責というものがないのか、あいつは。

 その気まぐれな救世主の背中を、ちらりと盗み見る。
 北沢千昭。二年B組、男子。身長体重、平均並み。
 輝之輔の席から、二つ前、一つ左。ふと目を逸らせばすぐに背中が見える位置に、北沢千昭の席はある。
 授業態度は悪くはないが、際立って真面目でもない。休み時間になると周囲のクラスメイトと話していたり、ふらりと教室を出てどこかへ行っていたり、まちまちだ。
 程よくクラスに馴染み、目立った行動を起こすこともなく、スタンド使いにしては平穏無事に生活している。まるで、どこにでもいる普通の生徒のようだった。

 ただ最近気がついたのは、ときどき工業科の、それも実習棟へ昼食を食べに行っている、ということだ。
 うちの学校に学食はないし、購買は逆方向。つまり北沢は、弁当を持参して、工業科校舎を訪ねていることになる。
 正直言って、普通科と工業科の仲はよろしくない。よろしくないというか、互いに無関心なのだ。他の学科もいくらかあるが、その中で一際距離があるのが工業科で、小学中学で友達だったのに学科が別れてぱったり縁が切れる、なんてよく聞く話。

 だから、北沢のこの習慣が、とても奇妙に感じて。
 輝之輔は思わず、北沢千昭の後をつけて行ったのだった。







 今の心境を一言で表すなら、何でお前がここに、だ。多分、お互いに。
 今にも飛びかかってきそうなハイウェイスターを傍らに、噴上裕也がこちらを睨み付ける。
 正直言って、東方仗助に敗北したそのときから、吉良吉廣に味方し続ける気もなければ、無闇やたらに戦う気もない。
 しかしそちらがやる気なら、こちらも抗戦せねばなるまい。手持ちが少なく心許ないが、噴上の恐怖のサインは一度見ているからなんとかなるだろう。
 そうしてポケットから武器の入った紙を取り出そうとしたところで、噴上の背後から北沢が顔を出した。

「先に昼飯食べない?」

 喧嘩ならその後にしなよ、と言う北沢に、出鼻をくじかれたような気分になる。それは噴上も同じだったようで、眉をひそめて北沢に向き直った。

「おい北沢!こいつはスタンド使いなんだぞ!」

「うん、知ってる」

「お、おお!?」

 うろたえる噴上に、北沢がオレを助けたんだよ、と言うと、「お前には聞いてねえんだよ!」と怒鳴られた。

「どういうことか説明しろ」

「昼飯食べながらでいい?」

「今!」

「じゃあ今昼飯食べながら説明する」

 何が何でも先に昼飯を食べたいらしい北沢に、噴上が諦めたようにため息をついた。







 もしかしたら、あのときの非道な物言いは何かの間違いで、本当は自分のことを心から思いやってくれていたのではないか。
 そんなことを一瞬でも期待した自分が馬鹿だった。 
 北沢は前と変わらず、「クラスメイトがゲームソフトが返ってこないと嘆いており、彼に貸しがあったため東方仗助に治させた」という慈悲の欠片もない経緯を話した。それを聞いた噴上の、なんとも言えない視線が生ぬるい。

「それで、宮本は治りました。ゲームは返却されました。おわり」

「おわりって、お前なあ……」

 若干呆れ顔の噴上をよそに、北沢の箸が、黄色の玉子焼きを捕まえる。
 栄養面に不足はなさそうなものの茶色主体で所帯じみた弁当は、親が持たせた弁当かと思いきや、北沢が自分で作ったものらしい。

「オレはこいつに殺されかけたんだぞ」

 ちらりと横目で見られて、思わずむっとする。

「悪かったって言ってるだろ……」

「その言い様!反省してるやつの態度じゃねえなァ」

 言いつつも、割り箸で北沢の弁当のおかずを摘む噴上は少し決まらない。
 あわや殺し合いに発展したと言っても、今とあの時とでは事情が違うのだし、引っかかるところはありつつもお互い敵意はないのだ。気持ちは分からなくもない。

「……いつも一緒に食べてるのか?」

「いや。猫にご飯あげるときだけ」

「猫?」

「餌付けしてんだよ、な」

「うん」

 見えない話を詳しく聞いていくと、北沢は何日かに一度猫に餌付けをしており、そのときの猫缶の匂いを感知した噴上が北沢の弁当のお零れに預かりに来ているらしい。
 学校で猫に餌付けなんてしていいのか、と言ってみると、「バレなきゃいいんだ」と噴上が言った。工業科連中の素行の悪さは、あながち嘘や噂でもないようだ。

 北沢の弁当からひょいひょいおかずを攫っていく噴上の手元をぼんやり眺めていると、ぱちり、北沢と目が合う。

「宮本も食べる?」

「あ、いや……」

 断ろうとして、「お昼まだなんだろ」と割り箸を渡される。つい受け取ってしまった割り箸を開けずに手をこまねいていると、噴上が「ちょっと待て」と声を上げた。

「こいつも食ったら足りねーだろ」

 確かに、と内心独りごつ。というかそれは北沢の弁当じゃないのか。

「でも、もう購買閉まってるし」

 開いてても売り切れてる、との言葉に腕時計を見ると、確かに購買に行くには遅すぎる時間だ。
 時計を持っていないらしい噴上に文字盤を見せると、噴上は大げさにため息をついて、仕方ねえなあ、と肩をすくめた。

「ほら、お前も食えよ」

 だからこれは北沢の弁当じゃないのか。思いつつもなんとなく突っ込む気になれずに、いただきます、と言って箸を割る。「どうぞ」少し目を細めた北沢から、弁当を差し出される。
 目に付いたからあげに箸を伸ばそうとしたら、隣から出てきた噴上の箸にぱっと横取りされた。
 こいつ、やっぱりまだ紙にしたこと根に持ってる。じとりと睨みつけると、弁当箱を持ったままの北沢から、「喧嘩なら食べてからにしてよ」と聞いた言葉をかけられた。







 三人で食べたら足りないだろうという杞憂を流した北沢は、何も考えがなかったわけではないらしい。渡されたメロンパンをぼんやり見つめる。
 スタンド使いだとは聞いていたが、こういう能力だったのか。
 北沢のポケットから次から次へと出てくるおにぎりやらカレーパンやらのコンビニ食品に、噴上が「もういいから仕舞え」と言ったのは先ほどのことだ。
 どうやら自分がいてもいなくても、弁当の後さらに何かしらを食べているらしい。
 しかし噴上も、まさかこんなに持ってるとは思わなかった、とこぼしていた。いつもは必要な分しか出さないんだろう。能力面からして、正確に言うと「持っている」というより「持ってくる」と表現するのが正しいが、それは置いておくとして。

「噴上が食べるって分かってるなら、弁当二つ作ればいいんじゃないのか」

「やだよ。オレ噴上の彼女じゃないし」

 さらりと言った北沢に、ジャムパンを頬張っていた噴上が「ハァ?」と顔を上げた。

「こんな美男子捕まえといて聞き捨てならねえぞお前」

「別に噴上の彼女になるのが嫌だって話じゃないって」

「じゃあいいのかよ」

「それは嫌だけど」

 やっぱ嫌なんじゃねえか、と言った噴上が、北沢の肩をぺしりと叩く。
 「顔はよくても性格がなあ」という北沢に、まず彼女うんぬんを突っ込んでいいのかどうか、結局分からないまま昼休みは終わった。


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