退院して三日、やっとのことで復学すると、クラスでは席替えが行われた後だった。
 くじ引きに参加できなかった自分の席は、なんと教卓真正面。
 もともとないやる気を更になくした裕也は、登校早々授業をフケることに決めた。

 11 猫と噴上


 教室を出て、当てもなく中庭をぶらついていると、どこからか獣の臭いがする。
 くん、と鼻をひくつかせて臭いのもとを辿ると、校舎と植え込みの間に猫が三匹いた。それと、人間も一匹。
 突然現れた裕也に驚いたのか、ブレザーを着た人間は、うわ、と声を上げて立ち上がった。いや、驚いていないかもしれない。台詞のわりに、抑揚のない声だった。
 裕也の姿を認めると、ほっとしたようにまた猫の前にしゃがみ込む。

「ああ、びっくりした。先生来たかと思った」

「……お前、普通科のやつだろ。こんなところで何してんだよ」

 うちの高校は、普通科とそれ以外で制服が違う。
 具体的に言うと、普通科は男女共にブレザー、それ以外の工業、商業、農業科は、男子が詰襟で、女子はセーラー服。
 同じ高校の生徒と言っても、見た目からして普通科とそれ以外は全く毛色が違い、それぞれのクラスの生徒が鉢合わせることもあまりない。2つの高校が一緒になっていると言ってもいいくらいだ。
 だからこんな、工業科の校舎裏に普通科の生徒がいるなんて、おかしいわけで。

「えーと、餌付け、かな」

 この黒いのがピートで、そこの毛長がアンディ、でぶいのがパトリック。
 普通科の生徒、普通科くんは、一匹一匹指差しながら猫を紹介すると、ポケットから取り出した猫缶をプシュ、と開けた。
 猫缶独特の臭いが漂ってきて、裕也は少し顔を歪める。こういうとき、自分のスタンド能力が少し恨めしい。

「一ヶ月くらい前かな、ここでお腹空かせてたんだ」

 コンビニのデザートについてくるような、プラスチックの小さなスプーンで猫缶の中身を掻き出し、地面に置いた皿に乗せていく。
 猫たちが、待ちきれないとばかりに皿に群がった。

「学校で餌付けなんてしていいのかよ」

「ダメなんじゃない?」

「はァ?」

「ダメだけど、君が内緒にしてくれればいいと思う」

 バレなきゃやってないのと同じだよ、と少しも悪びれずに言った普通科くんは、誰も使わないような錆びた外付けの水道で空き缶を洗うと、コンクリートの地面の上に逆さに置いた。手つきがやたら慣れている。
 家猫か野良かははっきりしないが、初めて見つけたという一月前からずっと餌をやり続けているんだろう。

「オレは別に、チクったりとかはしねーけどよ」

「マジ?サンキュ。お礼にこれ、どうぞ」

 朗らかな笑顔のもと、すっ、と差し出されたのは、煮干。どこからどう見ても、煮干だ。

「これを、どうしろってんだよ……」

「えっ……食べるなり、ピートたちにあげるなり、ご自由に」

「…………」

 あ、パトリックはダイエット中だからあげるならピートかアンディにしてね、と言われて裕也は脱力した。そして手渡された煮干をどうしようかと、三匹の猫を眺める。
 パトリック以外って、まずパトリックがどいつだよ。
 とりあえず一番近くにいた黒猫に煮干をやって、普通科くんの方へ向き直る。

「お前、授業とか出なくていいのかよ」

 自分のことは棚に上げてそう聞いてみると、やはり「そっちこそ」と返された。

「オレはいいんだよ、工業科だから。でもお前普通科じゃん」

 普通科って真面目なんじゃないのか?と聞く。さっき煮干をやった黒猫が、脚に擦り寄ってきた。おい、オレはもう煮干持ってねーぞ。屈んで撫でてやると、ごろごろと喉を鳴らして頭を手に摺り寄せてくる。

「普通科にも不真面目な生徒がいるってことじゃない」

 そう言って、猫たちが満遍なく舐め終わった皿を、また水道で洗う普通科くん。見慣れないブレザーをなんとなく視線で追っていると、一限目を終えるチャイムが聞こえた。

「じゃ、オレ授業行くから」

 またね、と言われて反射的に、おう、と返す。
 皿と空き缶を入れたレジ袋をぷらぷらと揺らしながら、小走りで去っていく背中を見送って、裕也もゆっくりと立ち上がった。







 普通科くんがいなくなって、もう餌がもらえないと悟ったのか、猫たちもまばらに解散しつつある。
 さっきはあんなに懐いてきていたのに、ずいぶん打算的なやつらだ。
 そろそろ教室に戻るか、と踵を返すと、嗅ぎ慣れた香水の匂いが漂ってくる。次いで、「裕ちゃん!」と聞きなれた声がした。

「裕ちゃんこんなとこにいたァ」

「教室にいないから、探したのよ!」

「いくら探しても見つからないんだから、もう」

 言われてみると、確かに見つかりにくい場所にいたな、と思う。
 猫の匂いを辿ってきたので意識してなかったが、工業科校舎の中でもとりわけ小汚くて人気のない場所だ。用がなければまず来ない。
 悪い悪い、と言ってレイコとアケミの肩を抱くと、ヨシエが裕也の胸に寄り添いながら、北沢くんに、こっちにいるって聞いて来たのよ、と言う。

「北沢くん?」

「あら、裕ちゃん知らないの?いい子ちゃんばっかりの普通科で、唯一バイトしてる子よ」

「バイトの許可取るために、試験でずっと一番取ってるんだって」

「違うわよ、家庭の事情で、特別に許可されてるのよ」

 他にも、親が校長の知り合いで特別に許可をもらったとか、いろんな噂をああだこうだと言い合う三人に、「それでよォ、」と水を差す。この手の噂話は、自分が介入しないといつまでも続いてしまうのだ。

「北沢って、このくらいの背で、レジ袋持ってた…」

「そうよ」

「裕ちゃん、北沢くんと仲いいの?」

 北沢くんも裕ちゃんのいる場所知ってたし、というアケミに、そうだ、とも、違う、とも言えずに、あー、んー、と間延びした返答をする。

「なんつーかなァ」

 猫仲間かなァ、という裕也に、三人が不思議そうな顔をする。猫仲間って?裕ちゃん猫飼ってるの?今度見に行きたーい!、と、はしゃぎだす三人がいじらしい。
 北沢の猫よりこっちの猫の方が、愛想があって可愛いな、と裕也はひとりごちた。


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