千昭が公園にいるのは午後の三時からチャイムが鳴る五時まで。その前も後も公園は無人だ。だからこんなに早く行ってもあいつはいないぞと形兆は億泰を宥めようとするのだが、成果は芳しくない。幼稚園から家に帰ってきて靴も脱がずに出かけようとするのだ。時間はまだ二時半にもなっていない。公園までは五分しかかからないのだから、今から行ったら寒い中で三十分も待つはめになる。第一幼稚園の服を着たままで出かけるなと父親にも言われているのだ。まずは着替えをして、途中でお腹が空かないようにおやつの一つでも食べて、しばらくテレビでも見たあとで出かけるべきなのだ。 そう億泰を言いくるめて着替えさせたあと、形兆はリビングの隅に置かれたみかんの箱からよさそうなのを二つ選んだ。ここ二週間のおやつは毎日みかんだ。 いつものように指先が不器用な億泰の分まで皮を剥いてやると、落ち着かない様子であたりをうろうろしている背中に声をかける。 「ほら。みかん」 「うんー」と上の空の返事をしながら手を差し出した億泰に、形兆は深くため息をつく。 「手袋したまんまじゃ食べれないだろ」 そう言ってもなお億泰は生返事で、壁の時計を見上げてはそわそわと身を揺り動かす。形兆は億泰の手袋をすぽんと抜き取って、その手のひらに無理矢理みかんを持たせた。そうすると流石の億泰もみかんを一房ずつもいで黙々と口に運ぶ。 まったく、と思いながらも強く叱れないのは、早く公園に行きたいその気持ちが形兆にもよく分かるからだ。今日も時計の進みが遅く感じて、じれったい。 「今日はなにする?」と言う千昭に「いつもの!」と億泰が答える。この一連の流れが挨拶代わりだった。おはようとかこんにちはとか言うのがしっくり来なかったというのもあるし、事実いつもの宝さがしゲームしかやることがなかったというのもある。どちらかというと後者の方が大きい。 さすがに毎日やっていると飽きが来るし、雨の降った翌日などは砂に手を突っ込みたくないので他の遊びをすることになる。けれど三人でやる遊びというのがなかなかないのだ。ブランコは二つしかないから一人余るし、シーソーも三人よりは二人の方が具合がいい。はないちもんめやけいどろは人数がいないとゲームとして成立しないし、おにごっこや影踏みなどの走る遊びは億泰が転んで膝をひどく擦りむいてからなんとなく避けるようになってしまった。今日も狭い砂場で小さなおもちゃを埋めては、それを掘り出して見つけた数を競っている。 「形兆、さかあがりできる?」 救急車のミニカーを埋めていると、唐突に千昭がそう切り出した。初めて会ったときに鉄棒をしていたからなのか、なぜか形兆は鉄棒が上手いのだと思われている。実際得意ではあるのだが。 「……たまにできる。できないときのが多い」 「そっかあ、やっぱりむずかしいんだね」 おれ前回りしかできない、と言う千昭は、毎日遊んでいるうちに自分たちのことを呼び捨てで呼ぶようになった。形兆がそうしていたからそれに倣ったのかもしれない。人の真似が好きな億泰もすぐに千昭にくん付けするのをやめた。 名前をそのまま呼ぶのは少し粗野な気がするし、相手の親にいい顔をされないだろうとも思う。しかしこの公園には形兆と億泰、そして千昭の三人しかいない。子供同士の世界に水を差す視線がないというのはとても自由で、そして楽しかった。 「台があれば楽なんだけどな……」 「台?」 「さかあがりのだよ。あれがあるとやりやすいんだ。マンションの公園にあるだろ?」 「んー……あったっけ?おぼえてないや」 手持ちのおもちゃを全部埋め終えた億泰から「おもちゃちょうだい」と言われて、千昭はバケツから適当に三つほどおもちゃを掴んで億泰に渡した。 あの目立つ台を覚えていないなんてやっぱり千昭は少し変だ。逆上がり台は人気で、いつも誰かしらが使っているから順番待ちしないといけないほどなのに。 形兆はふと、前に感じた小さな疑問を思い出した。千昭はなぜこんなつまらない公園に来るのだろう?遊具も日当たりも子供の人数も、向こうの公園の方が数段上だ。それに千昭は隣のマンションに住んでいて大人たちとも顔見知りだろうから、子供だけで居ても変な視線を向けられたりはしないだろう。 「形兆、それ埋めないの?あとそれだけだよ」 「あ、ああ……うん……あのさ、千昭さ……」 「なあに?」 真っ直ぐ視線を向けられると、途端に言い出しづらくなった。千昭がこっちを選んだ理由を聞くことで、逆に自分がこっちに来る理由も尋ねられるのではと怖気づいたのかもしれない。父親が一緒に遊べないことや、母親が家にいないことを話すのは気が進まなかった。せっかく自分たちがどこの誰かを気にせず遊べる相手と出会ったのに、もったいない、と思った。 しかし形兆がまごついていると億泰が突然「そういえばさあ」と切り出した。弟のタイミングの悪さと間の読めなさは神がかっていると形兆は思う。 「千昭はなんでこっちの公園にくるの?あっちのほうがジャングルジムおおきいのに」 形兆は無言で億泰をじっとり睨みつけた。その意図は通じないなりにも責められているのだということだけは分かったのか、億泰は唇を突き出して気まずそうに足元を見つめる。そんな二人の様子を気にもせず、公園の隅にあるジャングルジムに目をやっていた千昭が「そうだっけ?おんなじくらいじゃない?」と不確かな記憶でものを言う。 「あっちの方がおおきいだろ……ぜったい」 「ほんとう?でもおれ、こっちの公園のほうがいいなあ」 「……なんでだ?」 「だって、こっちの方が砂場ちいさいもん。ねえ、始めていい?誰がよーいドンする?」 おれがする!と億泰が顔を上げた。三人とも一度立ち上がって、砂場の縁の外に出る。億泰の元気なかけ声で、一斉に屈み込んで砂の中に両手を突っ込んだ。頭の中で何をどこに埋めたか思い出しながら、形兆は千昭にちらちらと視線を向ける。 「……おおきい方がたのしくないか?砂場も、ジャングルジムも」 「ううん。小さいほうがいいよ。おおきいとおもちゃ見つからないから」 詳しく聞けば、前はマンションの隣の公園でこの宝探しゲームをしていたのだが砂場が広すぎてどこに埋めたか分からなくなり、ついぞ見つからなかったおもちゃがいくつもあるのだという。それに他の子供が掘り返してしまったり大きな山を作っている子供に場所をとられたりして、なかなか上手くいかなかったようだ。 「だいはしょうをかねる、って言うけど、小さい方がいいときもあるんだ」と言う千昭は、形兆たちの方に聞き返す気配など微塵もない。喋りづらいことを喋らずにすんで形兆は安心した。それと同時に少し真新しい気分にもなった。こんな小さくて廃れた公園に来なきゃいけない自分たちはなんて惨めなのだろうとばかり思っていたが、ここにも良いところがあったのだ。宝探しゲームをするときにしか見えてこない極めて限定的な長所ではあるが。 「……そうだな。だだっ広いのが絶対いいってわけじゃあ、ないもんな」 「うん。でも、もしあっちの砂場がちいさくても、こっちのがいいなあ。形兆たちがいるもん」 「あ、おれもー!おれもこっちのがいい!千昭がいるから!」 千昭がへにゃりと笑って、顔を輝かせた億泰がそれに続く。 「にいちゃんもそうでしょ?」 「あー……あ、救急車……」 そうだよ、とは気恥ずかしくて言えなかった。照れ隠しにぐしゃぐしゃ手元をやっていたらちょうどミニカーが一つ出てきて、そのまま話題を変える。見当をつけた場所から出てこなくて密かに敵意を抱いているのだが、たまにはいいときに出てくるじゃあないかと丁寧に砂を払ってやった。 |