家から五分ほど歩いたところにその公園はあった。公園とは言ってもその言葉を聞いて想像するような明るい場所ではなく、錆びて茶色くなった遊具と人の気配の無さが相まって昼間から寂しい雰囲気のあるところだった。古ぼけたシーソーは動かすたびにキイキイ軋み、ブランコの鎖や鉄棒は触るたびに鉄臭さが手のひらに染み付く。他には塗装の剥げたジャングルジムと家の浴槽ほどの広さしかない砂場があるだけの、寂れた公園だった。 「おにいちゃん、ぼく、おおきいジャングルジムがいい……」 ねえ、と隣で億泰が声を張る。形兆は一言「だめだ」と切り捨てたが、億泰はめげずに駄々をこねて立ち止まった。 「おおきいジャングルジムがいいよお……ねえー、おにいちゃあん……」 繋いでいた手を引っ張られて、形兆も足を止める。両手で形兆の手を握り直して、億泰は“おおきいジャングルジム”の方へ兄を引っ張っていこうとしているようだった。 あの寂れた公園とは別に、もっと大きな公園があった。二人の家から少し離れたところに建っている六階建てのマンションの隣だ。遊具は全てカラフルなペンキで彩られ、剥げや錆びなど一つも見当たらない、きれいな公園。シーソーは片側に三人も乗れる長いもので、砂場は浴槽どころか風呂場と脱衣所を合わせたくらいの広さがある。ブランコや鉄棒はもちろんのこと、螺旋を描いたような長い滑り台もあった。そしてなにより、その公園のジャングルジムはとても大きかった。 億泰はジャングルジムが一番好きだった。一番上までよじ登って高いところから辺りを見渡すのも、下の方で檻の中を探検するのもいたく気に入っていた。そのどちらをするにしても、大きいジャングルジムの方が楽しいに決まっている。億泰は大きいジャングルジムのあるきれいな公園が好きだった。 形兆は億泰の手を強く握り返すと、力任せに引っ張ってまた廃れた公園の方へ歩き出した。やだ、やだあと億泰がぐずる。足を突っ張って抵抗しているが、二歳年上で力の強い形兆には大して意味が無かった。半ば引きずるようにして、形兆は歩き続ける。 あの公園には、いつ行っても大人がいた。遊具や砂場で遊んでいる子供の母親や父親だ。その多くがマンションに住んでいる家族らしく、顔見知り同士の母親が隅の方で話し込んでいるのをよく見た。子供の遊びに混じっている大人は、歳の離れた兄や姉のときもあるのかもしれない。それは形兆の知る限りではなかったが、付き添いのいない自分たちはあの場所でひどく浮いてしまうことだけはよく分かっていた。こちらを見て、ひそひそ話をする大人がいるのだ。自分たちが同じ遊具で遊びだすと子供を呼び戻す大人もいたし、ぼくたち、お母さんは?と直接聞いてくる大人もいた。二人で来たの?お母さんとお父さんは?近くに住んでるの?…… 形兆は、あの公園に行くのが嫌だった。どれほど遊具がたくさんあって、きれいで、明るいところだったとしても、楽しくなんかない。自分たちに視線を配る大人がいるところに行くくらいなら、家の近くの人っ子ひとりいないあの寂れた公園の方がましだった。片側に三人乗れるシーソーなんて二人しかいない自分たちには必要ないし、浴槽ほどの広さしかない砂場だって、よくよく考えれば十分広い。錆びた鉄の臭いは嫌いだったが、どうせ砂場で遊べば手なんていくらでも汚れるのだ。そう考えると、どちらの公園でも大差ない。 けれど億泰はそうは思ってくれず、毎度こうして泣きながら形兆に引っ張られていた。 やっとの思いで公園に到着すると、形兆はずっと繋ぎ続けていい加減痺れてきた手を離した。着いたぞ、と声をかけるも、完全に不貞腐れた億泰は何も言わない。 突っ立ったままの弟を放って、形兆は一人公園の中に足を踏み入れた。鉄棒のところまで行くと、一番低い棒に手をかける。耳の傍でびゅうっと風を切る音が鳴るのを聞きながら、慣れた仕草で何回か前回りをする。まだ肌寒さの残る空気が頬や耳をちくちく刺した。鉄棒に足をかけて逆さ吊りになって、億泰の方に目を向ける。まだいじけているようで、入り口近くに座り込んでいた。 だって、仕方がないじゃあないか。形兆は目を伏せてひとりごちる。 もともと仕事が忙しいからと言ってあまり構ってくれなかった父親は、母親が入院してからと言うもの掃除洗濯など家の雑事に手一杯で、形兆や億泰の遊び相手などとてもしていられない。そんな父親に公園へ連れて行ってくれなどと無邪気に言えるのは億泰くらいだ。形兆にはできなかった。 億泰が不機嫌だと、どうも自分が悪いことをしているように思えて形兆は居心地が悪くなる。 だって、仕方がないことなのに。父さんが一緒に来れないから、あっちの公園に行けないだけなのに。本当は、自分だってきれいな公園で遊びたいのに。 「ねえ、スコップもってる?」 ふいに頭上から声をかけられて、形兆ははっと目を見開いた。目の前に子供の足がある。長いズボンの裾は折り上げられ、男子ものの靴を履いている。視線を上に――逆さ吊りの形兆からすると下に――移していくと、子供が一人立っていた。自分と同じくらいの年頃だ。鉄棒から足を外してぐるりと一回転して地面に降りると、その子は関心したように「わあ、じょうずだね」と言った。 「……なんだよ」 「あのね、おれスコップもってないんだ。もってる?」 「……もってない」 「そっかあ」 さして残念そうにするでもなく、子供はあっさりとした返事を寄越して踵を返した。その背中をなんとなく目で追うと、子供は奥の砂場へ行き、いそいそと腕まくりをするとしゃがみこんで何かをやり始めた。 見たことのない子供だった。形兆たちが通っている保育園にいる顔ではないし、この近辺で会ったこともない。それに、付き添いの大人も見当たらなかった。一体どこに住んでいるのだろう。一人で来たのだろうか。何をしているんだろう……疑問がいくつも頭に浮かんできて、形兆は子供に歩み寄った。 |