一番に瞼を開けたのは形兆だ。二番目が千昭で、三番目が男。億泰は最後まで目を閉じて長々と語りかけているようだったが、ぐうう、と大きな音がした瞬間、ぱっと目を開けてその場にしゃがみこんだ。

「……お、……おなかすいた……」

 ぐうう、とまた億泰の腹の虫が鳴る。形兆もずいぶんとお腹が減っていた。朝に戸棚のビスケットを食べたきりで何も口に入れていない。億泰に至っては昨日の晩飯を食べ損ねていたから、昨日の夜からビスケットだけだ。そりゃあ腹の虫もぴーぴー泣く。
 億泰の腹の音が大きかったからか、あまりに悲痛な顔で空腹を訴えたからか、その両方か。男があははと笑いながら墓の上のおにぎりを一つ摘み上げて億泰に手渡した。

「はい、どうぞ。形兆くんも」

 億泰が受け取ると、もう一つを形兆にも差し出す。形兆が怯んでいる間に男は「千昭くんもどうですか」と言い、それに頷いた千昭が自分で墓前からおにぎりを一つ持っていった。

「形兆くん?いりませんか?」

「……これ、かあさんにどうぞってしたんじゃあないのかよ。なんで食べちゃうんだ」

「えっ!おかあさんのなの!?」かぶりつこうとしていた億泰がびっくりして口を離す。

「おはかとおぶつだんのごはんはあとでたべていいんだよ」

「で、でも、おかあさんのなんでしょ?」

「いいんだよー。しんじゃった人はたべられないもん。たべられる人がたべなきゃ」

 いただきまーすと千昭が言って、ぱくりと手に持ったおにぎりに食いついた。いっぱいに頬張って「おいしー」と笑顔になる。
 それを見た億泰も、恐る恐る口をつける。遠慮がちに一口目。二口目からはすごい勢いでがっついた。あまりに焦って食べて、途中でのどに詰まってむせこむ始末だ。

「形兆くん、これ、ちょっと」

 お茶を出しますからと男がさっと形兆におにぎりを渡す。億泰に気をとられていたのと自然に渡されたのとでうっかり受け取ってしまった。
 男が風呂敷から水筒を出して億泰にお茶をあげている様子と、自分の手の中のおにぎりとを交互に見る。ただの真っ白い、少し冷えたおにぎりが、ものすごくおいしそうに見えた。きゅう、と腹の音が鳴る。億泰のじゃあない、自分の腹の音だ。だんだんとおにぎりを見る時間の方が長くなっていって、形兆はついに、おにぎりを口に含んだ。
 ふかふかしていて、表面が少ししょっぱい。塩味だ。

「……おいしい」

「おいしいねー」

 形兆の独り言に千昭が相槌を打った。「そとでたべるおにぎり、おいしいね」と続ける。

「ああ、うん」

 空は晴れている。墓地はこじんまりとしていたが、とはいえ千昭のマンションの方の墓地やいつもの公園なんかよりはずっと広くて、開けた場所だ。周りを生垣や植木が囲んでいる。地面には黄色い花も咲いていた。千昭に聞いてみると、これはスイセンというそうだ。毒があるから触っちゃだめだよと物騒なことも言い添えられる。

「この木、さくらの木かなあ。ねーおじさん、この木、さくらの木?」

「そうですよ。おや、もうつぼみが膨らんでますね。あと一週間もしたら、咲きそうですねえ」

「おはなみできるねえ」

「そうですねえ」

 男と千昭が揃って木を見上げる。形兆も見上げてみた。木の背丈が高くてよく見えはしないが、じっと目を凝らせば確かにピンク色の小さいつぶつぶが枝にぶら下がっているのが分かる。

「おにぎり、食べ終わりましたね。お菓子もどうぞ。最中ですよ」

 男が墓前に供えた和菓子をみんなに配る。形兆も一つもらって、なんとなく、墓石に向かっていただきますと言ってから封を開けた。それを見ていた男が微笑んだので咄嗟にむっと表情を険しくする。

「べつに、ちがうよ。ぎょうぎがわるいといけないから」

 ここに母がいると思ったわけではない。どこにいるとも知れない母や誰とも分からない御仏に、この最中やおにぎりを一度渡したのだと思ったわけでもない。ただ、形兆は、気持ちが悪かったのだ。礼儀作法はきっちりしないと体がむずむずする。

「おれにとってはちがうけど、みんなにとっては、そうなんだろ」

 自分にとって、母はここにいない。と、思う。でも千昭や億泰がそう思っているのなら、少しくらい付き合ってやってもいいと思っただけだ。母さんはこんなところにいないと言ったら億泰はぐずるだろうし、千昭とは、多分、永遠に話が噛み合わないだろうし。それは得策でないと思った。
 そして付き合ってやろうと決めたなら、一言断っておいた方がいいと思っただけなのだ。お供えしたけど、もう終わったから、食べますよって。
 そのことを、分かってくれたのかどうなのか、曖昧だが、男はにこにこして「そうですね」とだけ頷いた。

「人それぞれですからね。君は本当に賢いし、真面目で、とてもやさしい子だ。お母さんも誇らしいでしょう」

 あ、今のは私が勝手に思っているだけで、お母さんが実際にどう思っているかは、分かりませんよ。と男は付け足した。形兆は無言で最中を頬張る。

「でも、多分、そうだと思いますけどね」

 お茶を飲む人ーと男が手を挙げる。すかさず千昭と、それにつられた億泰がびしっと手を挙げた。形兆も最中のせいで口の中が乾いたので遠慮がちに手を挙げる。コップが一つしかないから順番ねと言いながら、男が水筒からお茶を注いだ。


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