「ち、よ、こ、れ、い、と!」

 億泰が一気に抜きん出て、得意げな顔で振り返る。次は千昭がグーで勝って三歩進んだ。ただの三歩ではない。ものすごい大股の三歩だ。億泰にほとんど追いついている。

「え!ずるい!千昭くんそれ三歩じゃあないよ!」

「三歩だよー。ぐ、り、こ、ってやったでしょ。三歩しかすすんでないよ、おれ」

「ええー……じゃあ、おれもそれやる!」

「いいよー」

 いいのかよ、とひとりごつ。先頭をグリコで進んでいく二人のあとを、形兆は普通に歩いて続く。隣に男もいた。男は黒い浴衣のようなものを着ていて、紫色の風呂敷に包んだ荷物を右手に、左手に黄色い花の小さな束を持っている。

「これが何か気になりますか?」

「……ならない」

「そうですか。これはね、お母さんのお墓にお供えするお花と食べ物ですよ」

あんまり車道に出ないように!と男が千昭と億泰に呼びかける。二人が同時にはあいと返事をして、またじゃんけんを始めた。億泰がグーで勝って三歩進む。

「……たべもの?……おそなえ、ってなに?」

「お墓やお仏壇に食べ物やお花を置いておくことですよ。仏様や、お母さんに、どうぞってするんです」

「ほとけさまってだれ?」

「誰、というのは難しいですね。誰かのお名前ではないのですよ」

 その後男は仏様についていろいろと説明をしてくれたが、結局形兆はよく分からなかった。なんとかにょらいとか、なんとかぼさつとか、長ったらしい言葉ばかり並んでさっぱり頭に入ってこない。

「難しかったですか?プレゼントのようなものですよ」

「花はわかるけど……たべものもプレゼントするのか?死んだひとは、体がないんだろ?」

 それに仏様というのも、話を聞く限り生きた人間ではないようだ。体がないのに、生きてないのに食べ物をあげてどうするのかと形兆は男の風呂敷を横目に問う。

「でも、お母さんがおいしいものを食べて笑顔になっていたら、形兆くん、嬉しくはないですか?」

「……もし、ほんとうにそうだったら、うれしいけど」

「もしそうだったら、でいいですよ。そうだったら、うれしいですよね。それで十分なんですよ。食べれなくてもいいんです。こういうのは気持ちですから」

 ちなみに今日はおにぎりを持ってきました、塩おにぎりですよと微笑む男に形兆はなんとも言えず眉を寄せる。

「でもさ、でも見えないんじゃあ、かあさんがそこにいるのかわかるわけない。幽霊なんて見たことないし……。かあさんがおはかにいるだなんて、おれはしんじてないよ」

「そうですか。じゃあ、どこにいらっしゃると思いますか?」

「……わかんないよ」

 昨日の夜、カップラーメンを食べた後に一度考えて、シャワーを浴びたあとにもう一度考えたが、結局答えは出なかった。そういえば億泰は昨日お風呂に入り損ねたなと関係ない考えが飛び出てくる。それくらい何も思い浮かばなかった。

「とうさんは……遠いところにいくんだっていってた。でも、どこかはいわなかった。きっとしらないんだよ。だからいわないんだ。とうさんがかあさんの行き先をしらないなら、誰もしらないよ」

 母がまだ、家にいたときのことを思い出す。形兆が「とうさんどこ?」と聞くと、母は皿を洗ったり料理をしたりしながら答えるのだ。お父さんはお仕事よ、とか、今日は職場の人とゴルフに行ったのよ、とか。父親に尋ねても同じだ。いつも母の行き先を知っていた。二人はいつも相手がどこに行って何をしているか知っていた。
 その父が母の行き先について言葉を濁しているのだ。嫌でも分かる。父すらも、何もかも知っていて、いつも形兆に何かを教えてくれた父すらも、死んだ母がどこへ行ったのか知らないのだ。

「億泰はおじさんのいったとおり、きょうの朝、かあさんの写真に手をあわせて、ぶつぶついってたよ。あいつ、こころの中でいうっていうのできないんだ。口でいっちゃってた……。でも、おれは、やらなかった。だって、へんだとおもったから。あれは写真だよ。かあさんの写真だけど、かあさんじゃあない」

 写真に話しかけたところで本人に届くわけもない。
 それにその写真が、病院で撮ったあの写真だったのも気に障った。写真を撮って、それを見て、アルバムにしまう。その工程をちゃんと終えてない中途半端な写真だ。形兆はその写真を見るたびにそのことを思い出して苛立つし、行けなかったピクニックを夢想して悲しくなる。
 男が、穏やかな声で「形兆くん」と呼んだ。形兆はずっと鼻水をすすって「なに」と返す。顔は前を向いたままだ。千昭と億泰が相変わらずグリコで遊んでいるのが見える。

「億泰くんにとっては、お母さんは写真の中にいるし、お墓にもいるし、どこにでもいるんですよ。億泰くんにとってはね。千昭くんにとっては天国とお墓にいます。どちらも真実です。君は賢い子なのでまだ答えが出ていませんが、急ぐこともないでしょう。じっくりと考えて、探していけばそれでいいんですよ」

「さがすって、どこを?」

「うーん……とりあえず、今日は、お墓に行ってお母さんがいるかどうか確認してきましょう。でも、お母さんがいないと思っても、内緒にしていてくださいね。億泰くんにとってはお母さんがお墓にいるかもしれませんから」

 それは結局、まやかしではないのだろうか。自分と億泰とで母親の居場所が違うだなんて、おかしい。だって母親は一人しかいないのだ。複数の場所に同じ人間が存在するわけがない。

「……死んだひとは、体がなくなるから、いろんな場所にいるのか?」

 いや、でも、納得できない。そんな形兆の内心を察してなのか、男は何も言わずただただ隣を歩いていた。前の方でずいぶんグリコに熱中していた億泰が「おはかだ!」と叫ぶ。目的地に到着したようだった。


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