男の右側に千昭、左側に形兆と億泰が並んで、夕暮れの道を歩いて戻る。 「おかあさんは、てんごくに行ったんだって。みんないってたよ。おうちにはいないよ。なんでおうちにかえったら会えるの?」 「会える……というのは、違うんだけどね。でもお話はできるんですよ。億泰くんの声が届くんです」 「なんで? お母さんいないよ?」 「いない人にどうやって話しかけるんだよ」 不思議がっている億泰に続けて、形兆もぽつりとそう漏らす。 「おうちに、おうちに、仏壇はありますか?金色のお椀とか、線香とか、たくさん置いてある棚みたいなの……」 千昭が、うちの和室にあるやつだ、と口を挟む。けれど形兆はその“ぶつだん”というのに思い当たりがなかった。うちにはないのだろう。億泰がこっちを伺うように視線を寄越したので「ない」と言ってやる。 「ああ、そうなの……じゃあ、ええと、お母さんの写真は?」 「それならある」 「そうですか。よかった。じゃあ、そこで手を合わせて、話したいことを話しましょう。今日はどこどこで遊んだよー、とか、なにを食べたよー、とか」 「そうすると、どうなるの?」億泰が聞く。 「そうすると、お母さんに聞こえるんですよ。声に出さないで、心の中で言いましょう。今日はどこへ行って、誰に会って、なにが楽しかったよって」 億泰くんが楽しかったって分かるとお母さんも楽しい気持ちになるんですよ、と男が続ける。 「お母さんが楽しい気持ちで笑ってたら、億泰くんも楽しいでしょう?」 「うん!たのしい!」 「そうしたらほら、また億泰くんが楽しいのが分かって、お母さんも楽しい気持ちになるんですよ。だから心の中でいっぱい話しかけましょう」 「わかった!」 さっきまでのぐずりが嘘のように、億泰が元気よく返事をする。その一方で形兆は、だんだんと、もどかしいような、むず痒いような気分になってきていた。 男の話にいらいらしてきたのだ。これだけ話しているのに大事なところがなんにも分からない。母親に声が聞こえるって、どうして?母親は結局どこにいる?母親に会えるのはいつ? その後も男は億泰ときどき千昭と話をしていたが、マンションまであと少しというところまで来たところで形兆は我慢の限界を迎えた。 「あの、さあ!おれ、わかんないよ!」 急に大声を出した形兆に驚いて、億泰と千昭が目を丸くする。途端に頭が冷えて口をつぐんだものの、吐き出してしまった言葉はもう戻らない。形兆は大きく息を吸ってから、ゆっくりと話し出した。 「おじさんは、母さんが話をきいてくれるって言うけど……母さんはどこかへ行っちゃったんだ。天国に行ったとか、お墓にいるとか、みんないろいろ言って、結局どこなのかわからない。でも、家にはいないんだ。いない人と話せるわけないし、それに、母さんが楽しいとか嬉しいとか、どうしておじさんに分かるんだよ。おれにだって、わからないのに……」 話しているうちに、自分の声がどんどん大きくなってくるような気がして、形兆は先が言えなくなった。周りの音が小さくなったのかもしれない。どちらにしろ、言葉を続けられなかった。言えば言うほど嫌な気持ちになってきて、心臓がどきどきする。黙っていた方がよかったのだ。 そんな形兆に、男は「うーん」と唸ってから、屈みこんで目線を合わせた。 「形兆くんは、死んじゃうって、どういうことだと思いますか?」 「……わかんないよ。わかんないから、聞いてるんだろ」 「そうでしたね。億泰くんは?億泰くんはわかる?」 「……えっと、てんごくに?てんごく……?に、行っちゃうこと?」 「それは、千昭が言ったことだろ」 受け売りじゃないかと億泰をなじる。だってわかんないんだもんとむきになった億泰を、男がまあまあとなだめた。 「死んじゃった人はね、体がなくなるんですよ。ゆうれいって分かりますか? そういうふうになる。心だけになるから、どこにでもいるし、どこにもいない。難しいから、こうやって覚えましょう。“君たちのお母さんは、君たちがいると思ったところにいる”んです」 「……でも、千昭は、おはかにいるって」 「それは、千昭くんが“死んだ人はお墓にいる”って思ったからですよ。そうですよね?」 「うん。死んだ人は天国にいるんだけど、おはかにいくとね、おはかにいるんだよ」 千昭の分かりづらい言い方もさることながら、男の言っていることがうまく掴めずに形兆は眉を寄せる。 億泰なんかはとっくに理解するのを投げていて、さっき男に言われた“写真に話しかける”ということだけを記憶したようだった。早く帰ってお母さんに楽しかったことを話したい、と言って歩みを急かす。 「そうですね。もう日が暮れる。行きましょう」 男が立ち上がって、千昭と手をつなぐ。もう片方の手を差し出されたが、形兆はそっぽを向いた。代わりに億泰が手を握られて、形兆は億泰の隣につく。 「かーらあすー、なぜなくのー」 おもむろに千昭が歌いだす。カラスの勝手でしょ、と変な歌詞に繋げたあと、やはり続きはちゃんと覚えていないようで、ふんふんふんと鼻歌にして誤魔化していた。 |