「なんだよ……おれが、なんかしたのかよ」 「じ、じだ……おかあ、おかあさんがッ、おかあさんがいないってえ……千昭どお……」 聞き取りづらい涙声を根気よく聞いていくと、どうやら億泰は、さっきの形兆と千昭の会話を怒っているらしい。 「きいてたのかよ」 「きいでだ……」 「…………だからって、なんで怒るんだ。ほんとうのことだろ。かあさんは……」 わあああ、と億泰が大声で泣き喚く。涙が頬に伝い落ちる。鼻水も出てる。形兆はハンカチとティッシュを出そうとして、カバンごと公園に置いてきてしまったのを思い出した。最初にベンチの上に置いたっきりだ。 「はい、これ。わすれてたよ」 ぽん、と目の前に差し出されたのは、形兆の黄色いカバン。千昭だった。 「ああ、うん、ごめん……ほら、億泰、これで鼻ふけ」 ティッシュを一枚渡す。億泰が鼻を噛んでいる間にハンカチも出して、ぐしゃぐしゃの頬を拭いてやった。 「億泰は、どうしちゃったの?」 「……かあさんの話、さっきしただろ。おまえの家におまえのかあさんがいるってやつ。それがなんか……いやだったって」 形兆だって、別に、言いたくて言ったわけじゃあない。あのときは千昭がおかしなことを言ったから……それに、あのおばさんが母親のことを聞いてきたからだ。仕方がなかったのだ。もし千昭がああ言わなかったら正直に死んだと言うなり嘘をつくなりしなくちゃならなかったし、千昭が思い違いをしてるならそれを正さないといけなかった。仕方がなかった。自分が悪いんじゃあない……。 でも、億泰は泣いている。形兆はどうしていいか分からなかった。 「おがあさん、いるもん……いるもん!!いるのお!!」 「わかった、わかったよ。かあさんはいる、どこかにいる……」 「天国だよ」千昭が言った。 「そうだ、天国だ。億泰、かあさんは天国にいる。だから……」 「てんごくって……てんごくって、どこ?どこにあるの?」 億泰の言葉に形兆は押し黙る。そんなの知らなかった。それに正直なところ、天国なんて場所が本当にあるのかも半信半疑だ。本当に母が天国に行ったとして、あの木の箱のまま行ったのだろうか?目を瞑ったまま? 結局あの箱と母がどこへ行ったのか、形兆は知らなかった。あの日変な建物へ着いたあと、知らない大人に預けられて、大きなホールの片隅に座ってずっと用事が終わるのを待っていた。父親が戻ってくるまでとても長かった。母さんはもう行ったよと突然言われて、よく分からないまま家に帰った。 母がどこへ行ったのか形兆は知らない。昔、父親が出張へ行くときは駅に行って仙台行きの電車を見送ったけど、今回は見送りはしなかったのだ。だから知らない。 知らないよと、突き放すような声で言い放つ寸前だった。先に千昭が声を出した。「じゃあ、さがしにいく?」形兆は言葉を引っ込める。 「天国はわかんないけど、おはかの場所ならしってるよ。おかあさんがね、死んだひとたちは天国にいるけど、おはかにいったら会えるっていってたんだ」 「……なんで天国にいるのにおはかにいったら会えるんだ」 「わかんないけど、そうなんだって。いってみようよ」 「お、おかあさん会えるの!?」 たぶんね、と言って千昭が億泰の手をとり、立ち上がらせる。もう片方の手で千昭は形兆の手を握ると、そのままどこかへ向かって歩き出した。そのときちょうど、例の放送が流れてきた。千昭は帰る時間だ。 「千昭、帰んなきゃだめじゃないのか」 「うーん……いいよ。おかあさんべんきょうしてるから、もうちょっとなら気づかないよ」 気づく気づかないとかじゃあなくて、決まりごとは守らないとだめだろう。そう思ったものの、結局形兆の口から出たのは「じゃあ、いそいで行こう」だった。 「えっと……こっちをずっといくとね、黒木川があるでしょ?そこの橋をわたったところのね、みぎがわにお寺があって、そこがおはかだから」 すぐそこだから、と千昭が言う。確か昨日も、黒木川のところに寺があるんだという話をされたなとぼんやり思い出す。母に会えるかどうかは置いておくにして、お墓の場所を知っているというのは本当らしい。 「おはかって……おばけとか、いないのか?だいじょうぶか?」 形兆の記憶では、お墓は怖いところだ。絵本でも映画でもアニメでも、お墓の周りには足のないおばけや青い炎がゆらゆら浮いていて、人に悪さをするのだ。おばけと聞いて億泰もびくっと肩を揺らす。 「えー?おれ会ったことないよ」 「……本当に?」 「うん。おはかいっぱい行ったことあるけど、いっかいも会わなかったよ」 「今日、はじめて会うかもしれないじゃんか」 「うーん……わかんないけど、おばけって昼間はいないんでしょ?もうすぐ夕方になっちゃうけど、いまならまだ昼間だから、いそげばだいじょうぶだよ」 じゃあやっぱり急ごう、と足を速める。じわじわと白んでくる空を気にしながら、形兆たちは歩いた。 お墓につくころには、空はすっかり茜に染まっていた。整然と並ぶ墓石が夕日を跳ね返していて、少し眩しい。電線に止まったカラスがこっちへ来て攻撃してくるような気がして嫌だった。 億泰はおばけを気にしているし、形兆は千昭が遅くまで出歩いていて怒られないのか気になってしまって、もう母親どころでなくなっていた。それに形兆と億泰だって、何時までに帰れとは言われていないけれど、あんまり遅いと怒られるに違いない。あとやっぱり形兆もおばけが気になる。暢気でいるのは千昭くらいだ。 「んーと……形兆と億泰のおかあさんのおはかって、どれかな?形兆、苗字なに?」 「にじむら」 「にじむら……にじむらって、どういう字?」 「にじむらは……おれは、ひらがななら書けるけど、おはかの字って漢字だろ。わかんないよ」 「そっかあ。じゃあ、どうしようかな……」 一番端から順番に手を合わせていこうかと千昭が提案したが、時間がないと言って却下した。続きは明日にして今日はもう帰ろうと形兆が言ったものの、半ば意地になった億泰が嫌だと言って立ち行かなくなる。八方塞がりだ。どちらにしろこのままでは暗くなってしまうから、家に帰るしかない。 でもこのまま帰ったら、億泰はずっと機嫌が悪いままだろう。それは嫌だった。しかめっ面のやつと隣の布団で寝るなんて寝つきが悪くなりそうだし、億泰の機嫌が父親に電線したらそれこそ最悪。 どうすればいいんだろう。解決策も浮かばないままに、時は刻一刻と過ぎていく。千昭がお母さんに怒られたらどうしよう。おれたちがお父さんに怒られたらどうしよう。それに、おばけが出てきたらどうしよう……。三つの不安がぐるぐると形兆の頭の中を巡る。もう少しで涙が出てきてしまいそうだった。そのときだ。 ざく、ざくと砂利を踏む音がした。だんだんと近づいてくる。音のする方をばっと振り向くと、黒い服を着た、男の人がこちらへ歩いてきていた。おばけではなさそうだが、見たことのない格好で怖い。形兆は一歩後ずさりした。隣にいる億泰も困惑した様子で男をじっと見つめる。 「おや。千昭くん」 顔がよく見えるところまで来た男が、千昭を見てそう言った。 |