※捏造・パラレル激しいです。なにが飛び出しても大丈夫な人向け。

 ノクターン

子供のころから、天気の移り変わりに敏感だった。雲ひとつない晴れ空の下でも、その後すぐ雨が降り出すのが分かっていたし、土砂降りの雨の中にいても、一時間後には雨が上がり晴れ間を覗かせるのが分かっていた。自分でもなにやらよく分からなかったが、とにかく自分には、空の機嫌が分かってしまうのだった。そんな自分についたあだ名は、ウェザー・リポート。人間天気予報、だ。

学校に行けば「ウェザー、おはよう」と肩を叩かれたし、近所の老人には「やあウェザー、今日の天気は?」とにこやかに尋ねられた。今は晴れてるけど、お昼すぎに一回雨が降る、と伝えれば、じゃあ洗濯物は早めに取り込まないと、とか、散歩には傘を持っていかないと、とかいう、独り言に近い言葉が降ってくる。そして最後に、「ありがとうウェザー」と優しく頭をなでられていたのだった。

地元のロースクールから、街一つ離れたハイスクールに進学しても、さらに州を跨いだ大学へ進んでも、ウェザーはウェザーだった。

晴れの日に雨具を持ち歩き、このあと何時間後に雨が降る、などと言うウェザーを、始めは誰もが疑心とからかいの目で見ていた。しかし事実、天気はウェザーの言うとおりに変わり、雨が降り、また突然晴れたりひどく曇ったりするのだ。数ヶ月もすれば、周囲の人間はウェザーの天気予報を受け入れ、また信頼し始める。その繰り返しで、ウェザー・リポートは今までの二十年と少しを生きてきたのだった。

しかしここ最近、人間天気予報は不調だった。今日は晴れだ、と思っていても、雨が降ってきてしまうことが時々あるのだ。予測のできなかった雨は夕立のように一時的なものばかりだったが、今まではそんな急な雨の匂いもしっかりと感じ取ることができていた。どうもおかしい。

不思議に思って自分の勘が外れた日をカレンダーに記し始めてみると、決まって木曜日に雨が降っていることに気づいた。特に、午後の二時ごろに集中している。この時間といえば、ウェザーはいつも同じ講義を受けていることに気づいた。

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「それ多分、雨女のせいだ」

「雨女?」

「ほら、あそこにいる子だよ」

ウェザーは自分のささやかな発見を、同期生にぽつりと話した。すると彼は、教室の前の方、壁際の席に座っている女子生徒を指差した。何の変哲もない、普通の女子生徒が、少し退屈そうに本をめくっている。

「彼女、雨女なんだってさ」

雨女。口に出してみると、なんだかひどく現実味のない言葉のように感じられた。雨女とは、大切な行事や外出の日に、必ず雨に降られる女のことだ。しかしその実態は、ほとんどが気のせいだったり、単に外出する季節が悪いだけだったりする。

しかしそれを差し引いても、彼女の雨女ぶりは群を抜いているのだという。

「たった一人の都合に合わせて雨が降るなんて、信じられないな」

そう零せば、傍から見たらお前も相当うさんくさい、と言われてしまい、ウェザーは甘んじて彼女の存在を受け入れることにした。

世の中には、不思議なことがあるものだ。自分自身ですら、何がどうなっているのか分からないことだってある。彼女もきっと、そんな「よく分からないこと」のある人間なのだろう。ウェザーはそう自分を納得させて、そのあといつもの講義を受けた。途中何度か雨女の後ろ姿を盗み見てみたが、やはり特に変わった様子はなく、彼女はただの女生徒に変わりなかった。

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次に彼女を見かけたのは、翌週の木曜日ではなく、それから数日後のことだった。

見かけたというか、鉢合わせたのだ。図書館で、同じ本を取ろうと伸ばした手が。

あ、と声を出したのは彼女で、自分は無言だった。ただどちらも、中途半端に本に伸ばしかけた手を引っ込められずにいた。

「・・・あの、どうぞ」

少しの沈黙のあと、口火を切ったのも彼女だった。

急いでいないから君が先に読めばいい、と言うウェザーと、私も急ぎの用じゃない、と言う彼女。互いに一歩も引かない静かな譲り合いのあと、結局二人は隣の席に座り、間に開いた本を一緒に見ることにした。同じ講義の、同じレポートをやるために、同じ本を参考にしようとしていたことが分かったからだ。例の、木曜午後にある講義で出されたレポートだ。

「どうもありがとう、・・・えっと、『ウェザー・リポート』?」

両者とも、必要な部分の書き写しや読了をつつがなく終えて本を棚に戻そうかという頃、彼女がためらいがちに口を開いた。呼ばれた名前に思うところはないが、それが彼女の口から出たことに驚いて、ペンを走らせていた右手がピタリと止まる。

それに気づいた彼女が、慌てて「ごめんなさい」と言った。

「噂を聞いてたから、つい・・・」

「天気が分かると?」

「うん・・・」

「気にしなくていい。事実だから」

それに別に、嫌なわけじゃない。そう言うと、今度は彼女の方が少し驚いたようだった。

「嫌じゃないの?」

「生まれたときから、こうなんだ。別にどうとも思っていない」

ウェザーの答えに納得したのかどうなのか、何か考え込んだように黙ってしまった彼女に、ふと頭に浮かんできたことを口に出した。

「オレも、噂を聞いた。君は『雨女』だろ」

君だって、オレと同じじゃないのか。―そう続けようとしたのだが、『雨女』という言葉を聞いた途端、どこか複雑そうな顔をした彼女に、ウェザーは口をつぐんだ。

「・・・すまない」

「あ、ううん、気にしないで。本当のことだし」

なんでもないように言ったつもりだろうが、少し気落ちしたような声がその心境を物語っていた。

「本、ありがとう」

ぎこちなく微笑んだ彼女が、机の上に広げた持ち物を鞄にしまって静かに立ち上がる。

ウェザーが口を開くのも待たずに、彼女は図書室を出て行った。

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彼女とはこれきりかと思いきや、そのまた数日後、ウェザーは大学で彼女と鉢合わせた。日が落ちて、講義もとっくに終わった時間だ。加えて空は雨模様。残っている生徒と言えば研究室にいるかいないかといったところで、辺りは無人だった。自分が濡れるのは構わないが、論文の入った封筒が濡れてしまうのは困る。

雨が降るのが分からなかったということは、近くに彼女がいるんだろう。

手ぶらで封筒を取りに来たことを反省しながら、そんなことを考えていると、「ウェザー・リポート、」背後から声をかけられた。最近聞いたばかりのこの声は、案の定、彼女のものだ。

「ウェザー、でいい」

振り向きざまにそう言ってみたものの、彼女は曖昧に笑って言葉を濁しただけだった。

「これ、使って」

そう言って差し出されたのは、シンプルな無地の傘だ。思わず、彼女の顔と傘とを視線が往復する。

「・・・君は?」

「私はいいの」

「・・・よくないだろう」

五分十分で止む夕立かもしれないが、それでも結構な土砂降りだ。自分が傘を借りて彼女を置き去りにするのは気が引けたし、もし彼女が傘も差さずに帰って身体を壊したりしたら目も当てられない。

「でも、いいから。この間のお礼」

「この間は、お互いさまだった」

「ううん、あなたの手の方が早かった。だからお礼」

ずい、と差し出された傘を間に挟んだまま、両者とも一歩も退かなかった。そういえば、図書館に行ったときもそうだった。自分と彼女は、よくも悪くも、気が合うようだ。ふう、と息をついて、ウェザーは先に折れることにした。

「分かった、傘は借りる。でも、君を家まで送っていく」

「え?」

ぽかんとした彼女を横目に、パッと傘を広げる。少し大きめの傘は、二人入ってもそこそこ雨をはじくだろう。

振り向くと、彼女は戸惑ったように視線をさまよわせていた。

さっきまでは彼女が差し出していた傘を、今度がウェザーが差し出す。明るい傘の色が彼女の顔に映りこんでいた。今度は、彼女が折れる番だ。それからたっぷり三十秒後、やっとのことで傘に入った彼女に、ウェザーは少し口元をほころばせた。

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帰り道、話題は天気のことばかりだった。厳密に言うと、雨のことばかり、だ。

自分が雨女だと気づいたのは、七歳のころだったという。行く先々で雨に見舞われ、旅行という旅行は全て延期、しまいには中止。自分のクラスだけ遠足が雨天中止になるのを不思議がっていたところ、親戚から『雨女』という言葉を教えてもらい、自分のせいで雨が降っていたのだと知った、と。

「私ね、虹って見たことないの」

唐突な言葉に返答が浮かばず、黙って先を促す。

「一人でいると降らないし、誰かといると雨が上がらないから」

だから見たことがない、と言う彼女の表情は笑っているはずなのに、どこか冷めたような様子だった。

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「ここで大丈夫。別れたら、すぐに止むから」

駅の方向と、彼女の帰る方向との分かれ道。そう言って彼女はウェザーの持った傘の影から抜けた。パタパタと降りしきる雨が彼女の髪や肩を濡らしていく。

「すぐに止むなら、傘は君が持って帰ればいい」

「・・・いいってば。家、近いし」

「風邪をひく」

傘を彼女の方へ差し出すと、傘下に漏れた自分の肩に雨粒が落ちてくる。きっと自分の肩も、彼女の服と同じく雨粒が染み込んで色濃くなっていっているのだろう。

困ったように眉を下げて、彼女が傘を受け取った。少し低くなった傘に頭が当たって、少し背を丸める。

「これじゃあ、全然お礼にならなかったね」

送ってもらっただけだし、傘も持って帰ってくれないし。

ぽつりぽつりと呟かれた言葉を拾って、ふと気づく。彼女はきっと、自分に何かしたかったのだ。漠然とそう思い立って、少し申し訳ない気持ちになった。全く気づかなかったとはいえ、彼女の気遣いを全て無下にしてしまった。

しばらくの沈黙のあと、「じゃあ、」と足を踏み出しかけた彼女の腕を慌てて掴む。

「・・・なに?」

しまった、と思ったがもう遅かった。咄嗟の、無意識の行動だったのだ。何か言わなければ、と言葉を捜すが、焦れば焦るほど、何も浮かばない。ぱたぱたと、傘に打ち付ける雨の音が頭を占めていく。

「え?」

聞こえなかったのか、彼女が聞き返す。やっとのことで口から飛び出したのは、突拍子もない一言だった。意図が読めない、とでも言うような彼女の表情に、何も言えずに黙り込む。自分でも、よくわからなかった。




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