カチ、カチ、と一定の早さで針は進む。テーブルの隅に置かれた電子時計は覚えのある日付けと時間を示していた。
テーブルを挟んだぼくの正面には、椅子にだらしなく腰掛ける、ぼくのよく知る、まだ青い少年だった頃の玖渚友がいた。短く切り揃えられた自分の髪を指でくるくる絡めている。その様子をじっと眺めていたら、友がぼくへ視線を向け、「いーちゃん、決まった?」と問いかけた。唐突に向けられた彼女の言葉に、ぼくは間抜けな声を上げてしまう。

「数分前の事も忘れちゃったの?僕様ちゃんは、いーちゃんの未来が心配だよ」

青い少年は溜息を吐いてから、腕をぼくの方へ真っ直ぐ伸ばし、手のひらをぱんぱん、と叩いた。真剣な眼差しでぼくをみる。

「腕も足も口も耳も目も、心臓もおっぱいも鼻の穴も、全部二つずつつけてあげようか、って。そういう話をしてたんだよ。これから始まるいーちゃんの人生は、決して平穏なものではないから、スペアがあって損はしないと思うんだよね」

「ああ、確かそんな話をしていたっけ」

話の途中で意識がどこかへ行ってしまうのは悪い癖だ。ましてやぼくの人生、ぼくにとってとても重要な事を決定する会話の途中で。

「遠慮しなくていいんだよ。そんな事、僕様ちゃんが世界を征服しちゃうのと同じくらい簡単なことなんだから」

「お前が言うと怖いよ」

スケールがでかすぎて信じられないかもしれないが、彼女は本当に世界を征服してしまうのだ。言葉の意味そのままに。

「いや、でも、口は一つだけでいいか」

「えー、なんで?」

「ぼくが一人で喧嘩したら収集つかない」

「確かにあまり見たくない光景だね」

「だろ」

友はテーブルに肘を付いて暫く黙って何かを考えた後に「……気味悪い」とだけ呟いた。彼女が何を想像したのか、なんとなく予想がついて、ちょっと傷ついた。

「……それに、ぼくが一人とだけキスをできるようにさ」

ちょっと格好付けて言ってみたが、対する反応はぼくの期待したものとは少し違った。

「うーん……ここは僕様ちゃん、喜ぶところなんだろうけど、いーちゃんがいろんな女の子とキスすること知ってるんだからね」

「……不可抗力だ」

「まあ、そんなことはどうでもいいんだよ。いーちゃんか誰とキスしようが、僕様ちゃんには関係ない」

「そうかよ」

「そうなんだよ。じゃあ心臓は?脳と並ぶ、人間にとって最も大事な臓器」

彼女の提案にぼくは暫く考えこむ。決して悪い話ではない、が。

「いや、右側の心臓はいらない」

「いーちゃんってば、なんでそうやっていつも自分を追い込むような選択をしちゃうのかな」

呆れた表情で友は肩を下げる。

「ほら、ぼくに大切な人が出来て、その子を抱きしめるときまで、2つの鼓動が両側で鳴る感覚はとっておきたいんだよ。未来に楽しみが無いってのは生きる気が削げる」

「右側は僕様ちゃんのために取っといてくれるんだ?」

「ああ。ぼくが一人では生きていけないように」

「そうだね。いーちゃんには僕様ちゃんが絶対必要なの」

そう、ぼくには玖渚友が必要なのだ。ぼくは玖渚友を求める。逃げても逃げ切れず、恨んでも恨みきれず、殺しても殺しきれない。それがぼくと彼女との間に生じる関係。これからぼくが生きる、後悔と絶望と救いようのない事実だけがループする世界に、たった一つだけ希望を落とす。

「そういえば最後にもう一つ、」

「まだあるのか」

「涙もオプションでつけてあげようか?これは面倒だからってつけない人もいるんだけどね」

確かに。ぼくにとって感情なんてもの、面倒臭いことこの上ない。ぼくは集団として生きる上で必須になる感情を殺すことになるわけだが……それに涙なんて、無くても全然支障はないだろう。暫く考えていると、友がぼくを呼んだ。

「でもいーちゃん、強い人より優しい人になりたいんでしょう?」

「……そうだったな」

こちらに笑顔を向ける彼女をみて、一番初めにそんな話もしていたことを思い出した。

「僕様ちゃんの為に泣いてよ」

僕様ちゃんが、僕様ちゃんでなくなるときに使って、と言ったときの友の表情をぼくは知っていた。胸が痛くなる。ぼくにも痛くなる心があるのか。

ぼくは彼女の、この表情が好きではない。トラウマ、と言えば語弊があるけれど、それに似たようなものだろう。彼女の無理に笑うその顔を、拭うことが出来るのなら、この程度の面倒事を背負うくらい安いものだ。

「ああ、頼むよ。未来のぼくが、大切ってのがどういうものなんだかわかるように」

「いーちゃん、ありがとう」


そうしてぼくと青い少年の長くて短いやりとりは終わった。一定速で進む時計があの時間へ近付く。

きぃ、と椅子が床に擦れる音が響いて、友が椅子からひょいと下りた。身体の大きさとは不釣り合いな大きめのコートから、白い肌をちらつかせ、最後にぼくに手を振る。

「じゃあまた未来で」

ぼくも適当に手を振って、ガチャリ、と扉の閉まる音が部屋のなかに大きく響いた。





「あ、」

なにか、大切なことを伝え忘れていたような気がする。さてそれは何だったか。いくら記憶を辿っても、答えはみつからない。そんなことを考えている間に、電子時計のベルがうるさく鳴り響いた。ガンガンと両耳の鼓膜を震わす騒音の中で、ふと浮かんだ疑問を口にする。

「それにしてもあの子、どこかで会ったことがあったっけ?」

ベルがうるさくて音になったかどうかもわからないが、その答えとはまたいつかどこかで出会えるような気がした。



オーダーメイド



「思い出って何だかわかるように」







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