―――プルルル…プルルル…プツン、


『…もしもし? 佐助?』
「あーもしもし? 今いい?」
『大丈夫だけど……どうかした?』
「いや? ちょっと声聞きたかっただけ」
『…そう』
「今何してた?」
『今? ……うん、ちょっと寄り道』
「こんな時間に? 何やってんの」
『まあ、色々あって』
「ふうん……一人なの?」
『大丈夫よ、まだ人通りは多いし』
「そうは言ったって、危ないもんは危ないよ」
『はは……ごめん、気をつける』
「俺だってこないだ残業あってさ、このくらいの時間は流石に同僚の女の子送ってあげたよ」
『へえ、優しいじゃない』
「ふふん、まあね。送ったげるよーっつったら可哀相なくらいおどおどしちゃってさ、あの感じだと俺様に気があるとみた」
『そう』
「あっ妬いた? 妬いちゃった?」
『アンタの下心わかりやすいのよね。まあ精々バレないように頑張ったら』
「えっちょっと、冷たい……やっぱ妬いて、」
『あ、そうそう。私もこの間告白されたんだけどね、』
「……は?」
『好きです、良かったら付き合ってください、だって』
「っえ、ちょ……ハア!? 何で!? 指輪してるだろ!?」
『してるけど。…何? 何かご不満?』
「バカか!! 何言ってんだよ当たりま、ッゲホゲホ」
『……“彼氏いるから”って断ったわよ、指輪に気付いてなかったみたい。なに勝手に焦ってんの』
「あっそう…」
『そんなにびっくりした?』
「だってそんな、紛らわしい……」
『人のこと言えないんじゃないの』
「そうだけど……」


くすり、と小さく笑う声。思わず溜め息が落ちる。
相変わらずの減らず口と態度だったが、それすらも今の俺にとって、涙を誘うのにはもう十分で。


「―――ねえ、」
『なに』


困らせるつもりはなかった。本当は声を聞くだけで良くて、ちょっと話したら切るつもりで電話帳から彼女の番号を呼び出したのだ。それが自分にとっての地雷だとも知らずに。
軽率だったと、滲む視界で後悔をしてももう遅い。


「……あい、たい…」


小さく呟いた声は、暗い部屋にはちっとも響かなかった。

シンと静まり返った電話の向こう側。階段を上るようなカツンカツンと固い音だけが流れてくる電話を、縋るように握り締める。


「……? もしもし?」
『聞こえてるよ。…聞こえてる』
「?」


しばらく沈黙が続いて、流石に何も言わなくなってしまった向こう側に焦れた俺は弱々しく問い掛ける。が、意味深に返ってきた言葉から感情を読み取ることができなかった。


『……そろそろ切るね』
「え、」


ぶつん、と。呆気なく通話は切れてしまった。さっきまで彼女の声が流れていたそこから鳴り響く、ひどく無機質で無感情な音に固まる俺は、きっとこの世の最後でも目の当たりにしたみたいに青ざめていることだろう。

……そろそろ切るねって、何だよそれ。時間差でふつふつと感情が煮立つ。あまりにも不自然すぎるその流れに、困惑と怒りと哀しさと、それから言いようのない寂しさが俺を襲った。もぞり、と冷えたベッドの中で身じろぎする。
どうにもやる瀬なくなったが、ジンと痛む目の奥には気付かない振りをした。誰も他にはいないのに、ガキみたいに嘆くのは妙なプライドが邪魔をした。



不意に、カチャン、と。部屋の鍵が外から開けられる、場にそぐわない軽快な音がした。
思わずハッと息を飲むが不思議と恐怖はない。やがて近付いてきたのは、トントントンと迷いのない足音。その主によって、暗がりに支配されていた部屋に明かりがもたらされる。


「……へ、」


パチンと音をたてて付けられた光は、どうやら俺に幻覚でも見せているらしい。
だってそこには、会いたくて会いたくて仕方がなくて、思わず電話まで掛けてしまった最愛の人の姿があったのだから。


「お望通り、来てやったけど」


ところが、どうやら幻覚ではなかったらしい。


「あー寒かった。ったく、真田も人使い荒いわね」
「う、そだろ……なんで、」


起き上がろうとした俺を手で制した彼女の左手。そこには何やら色々と詰め込まれた、近所のスーパーのビニール袋が提げられている。

それはまるで、俺が風邪を引いたのをあらかじめ知っていたかのように。


「薬は? 飲んだ?」
「……昼に、飲んだ」
「何か食べた?」
「や、あんまり……」


ベッドの縁に座った彼女が、じっとりと嫌な汗の浮かんだ俺の額を撫でる。張り付いた髪の毛がそっと払われて、冷たい指先が輪郭をなぞった。


「……なんで?」
「真田がね、少しでも余裕があったら佐助の看病に行ってやってくれないか、だってさ。久々に電話寄越したと思ったら、断れないのわかってて人のこと体のいいパシリにするんだもん、あいつもふてぶてしくなったよね」


お粥作ったげるから寝て待ってて、薬飲まなきゃ治るものも治んないんだから。そう言って微笑んだ彼女はすぐキッチンに立つ。その光景を、何だか信じられないような心地で眺めた。
やがて出来上がったお粥は、塩で軽く味付けされただけの胃に優しいもの。駄目元で「食べさせて」とねだってみると、俄かに渋ったものの「今日だけね」と溜め息混じりに答えが返ってきた。言ってみるもんである。


「他に何かして欲しいこと、ある?」
「…………」


どうにか完食し、渡された薬も飲んで、汗ばんだ服も着替え、ゆるゆると思考が溶けはじめてきた頃。彼女が額に貼ってくれた冷却シートの心地好さに微睡みながら、そっと髪を梳いていた手に手を絡ませた。


「……手、握ってて」
「うん」
「名前、呼んで」
「ん、佐助」
「あと…」
「あと?」


どれだけの我が儘なら許されるか、なんて考える余裕はなかった。ただ己の願うままに、繋いだ手に縋るように。それこそ、ガキが母親に甘えるみたいに。
さっき俺を阻んでいた妙なプライドなんて、どこにも存在しなかった。


「ここに、いて」


掠れた声が紡いだ、一番の願い事。一瞬だけ止まった時間は、まるで花でも開くようなあたたかい微笑みによって再び動き出す。


「おやすみ、佐助」


優しい愛しい声が降ってきて、そっとこめかみに送られる唇。
この上ない安心感に満たされた俺の意識は、そのまま眠りの底まで一直線に落ちてしまった。




◇ ◇ ◇





忌ま忌ましい熱が抜け、昨日よりずっと軽い体はもう元気そのものだ。それでも自分一人の体温しか感じない室内に、昨夜の出来事は夢だったのかと首を捻る。けれども額の上で干からびたシートは確実に自分で貼ったものではないし、いま自分が身につけている部屋着だって昨日とは別のものだ。
そんな、ぼーっとした頭のままベッドから抜け出した俺を迎えたのは、テーブルに置かれた一枚の紙切れだった。


―――本当は朝までいてあげたかったんだけど、ごめんね。今日も学校なんだ。目が覚めて、元気になってたら連絡ちょうだい。
それじゃあ、行ってきます。


丁寧に綴られた文字をゆっくりと追い掛けて、思わず笑みを零す。俺様ってば愛されてるなあ。我ながらだらし無く緩んだ表情は戻らない。
突然現れたと思ったら、瞬きするより簡単に俺の願いを叶えて消えてしまった彼女。まるで流れ星のようじゃないかと、枕元で充電しっぱなしの携帯電話を手に取りながらこっそり笑った。

コールする端末を片手に、もう一方の手でカーテンを開ける。今日は随分と空が高い。




息をする時間があるならきみといっしょにいたい

(できることなら、終わりまで)


―――――

企画「笑うポラリス」さまに提出させていただきました。
ありがとうございました!

thx 遠恋/ラッドウィンプス




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