不自由させんとは言えないけど。
『健康で文化的な最高級の生活』
ミニマリストとまではいかんが、あんまり物は置かんタイプ。
そんな俺でも、このソファーは是非欲しい。
くすんだ青い色味。珍しく一人掛け用。
ファブリックの質感や、少し北欧っぽい雰囲気も含めて、やけに欲しいと思わせる。
2万7千円。…強気じゃ。
お値段以上なんて謳っとる店では、ソファが2つ、ひょっとしたらオットマンまで付けられる。
5月の頭に引っ越しをしてから暫く経った。
段ボールも片付いたし、ソファーでも揃えようかとインテリアショップに入って、いきなりそれと目が合った瞬間。
柄にもないが運命を感じてしまった。
「欲しいの?」
「正直かなりストライクじゃけど迷っとる」
「うーん、まあ確かに雅治っぽい…かも」
一緒に買い物に来た名前がそう言ったのもあり、自分がこのソファの上で食後に寝落ちするところまでリアルに想像した。
うむ、完璧じゃ。
「でも、こっちの方がいいよ」
そう言って名前が近寄ってポンポン触ったのはもう二回りくらい大きい、ブラウンのソファ。
2.5人掛けくらいの大きさは、どう考えても8畳1Kの自宅にはアンバランスすぎる。
「でかすぎ」
「えーそうかなあ、いいと思うけど」
愛しい飼い犬でも撫でるみたいな手つきで触るから、一瞬ソファが羨ましく、ない。
断捨離は割と得意な方じゃと思う。
今回の引っ越しでも、ベッドサイドのテーブルや、アンティーク調のチェストを捨てて大分スッキリした。
本当は結構気に入っとったけど、それらを捨ててようやく手に入れたスッキリとした空間。
そこに、何故わざわざこれを。
「駄目じゃ。邪魔になる」
「大きい方が使い勝手いいって」
「一人用で充分」
「えー」
名前が小さな子供みたいに口を尖らす。
店の窓から射す西陽が、キューティクルを艶々と照らした。
その赤味を帯びたブラウンとソファのキャラメルブラウンが相まって、一つのディスプレイとして成立しとるように見える。
ふと、次の休みは旅行に行きたいと思った。
どこでもいい。
新幹線に乗って、品川の高層ビルから田舎の田んぼに景色が移り行くのをボーっと眺めたい。
夜は少しいいもんを食べて、温泉でも入って。
時間がゆっくり流れる空間で、こいつに触れてみたい。
この恋は間違っとるんじゃろうか。
付き合おうとか。
核心に触れず、何となく。ここまできてしまった。
繊細でシンプルな気持ちほど、誤魔化しがきかず難しい。
今更正しい手順も分からず、自分の嘘に自分で傷ついたりしている。
本当はもう1本南に降りた路線の方が、俺の生活には便利なはずじゃった。
それでもこの駅に越したのは、名前と同じ路線だったから。
家賃の予算は1万円以上オーバーした。
ソファのアームに腰かけ、名前の左肩に背中をくっつける。
キャラメルブラウンの生地を撫でながら、自分の心臓の音を数えとった。
お気に入りの家具を捨てて、多少手狭な、予算オーバーの部屋を選ぶ。
そうでもしてまでコイツの近くにおりたいこの気持ちは、俺にとって良性の癌かもしれん。
「なあ、一緒に住まんか」
声は震えとらんかっただろうか。
顔は見れず背を向けたまま、ソファのプライスカードに視線を落とすと、4万9千円らしい。
心の中で頭を抱えた。
「え」
「いいじゃろ。別に」
ソファから立ち上がって店員に「これ買います」と伝える俺を見て、名前は何を思ったか。
青いソファはもう欲しくなかった。
本当は家具なんてどうでもよくて、あの8畳の部屋に名前が居てくれたらそれでええ。
三種の神器なんて言葉があるが、俺は名前さえおれば健康で文化的な最高級の生活を送れる自信がある。
情けないことに大して金もないし、部屋も狭いし、不自由させんとは言えんけど。
あー。
にしても予算オーバー。
明日からもやしだけ食べて生きよう、二人で。
その節約で金が貯まったら、旅行に行きたいと思った。二人で。