浮自愛想寂しそうな眼、俺と同じ そう呟き小さく微笑んだそれは誰に届くこともなく淡い青紫の空と冷たい水面へと溶け込んだ 穏やかさを孕んだ午後の陽射しが小さく壁の隙間から入り込みその暖かさに裸体を衣服の代わりに覆う薄汚れた布が酷く冷たく感じた、小屋の隅で膝を抱えている晋助の身体は大人が抱きしめればその腕の中に簡単に収まってしまうほど小さくそれにはあまりに不似合いな愁いを帯びた碧硝子細工のような瞳を持っていた。 小屋の外になにかを置くような音が小さく響きそれを逃げるような足音と細い罵声が耳を塞いだ、 不事の病を患い、人里離れたこの森の奥の小屋に隔離するよう置いていかれたのは自分の顔すらまだ記憶にない頃であった、 足音が完全に消えたのを確認すると同時に湿っぽさを感じる木製の床に右手から体重をかけ身体をゆっくりと起き上がらせ存在の意味を成さない扉の壊れたドアへ向かい足元に置かれた萎れた野菜、小さな握り飯、それを定期的に置いて行くのは憐れんだ村人かそれともせめてもの偽善を保つための無論、顔すら覚えてなどいない両親か、 それを手に取ると無造作に口内へと押し込み飲み込む、小さく噎せた音を漏らし、また小屋の隅へと戻り擦れて紅くなった膝に顔を埋めた そうしてまた夜の静寂が晋助を包む、虫の声と木々のざわめきだけがその空間を埋めては散ってゆく、その砂時計の動作にも似たそれが妙に生々しく、それでいて冷たく感じられた ふと、温もりが欲しいと腕を延ばしては自分のそれで自分を抱きしめる、変わらない体温と込み上げる感情に瞼が濡れるのが嫌でも理解でき必要以上の力で瞼を腕で擦り摩擦による痛みで滲む視界の隅で揺らぐ月明かりに誘われ逃避するようにそれに引き寄せられ夜独特の空気を肺に溜めては吐き出した、少し顔を上げれば今にも夜の芯からこぼれ落ちそうな弓張り月、その孤独を纏う橙色は少々淡くなり足元の湖へと映し出された それに手を伸ばそうと膝をつき身体を乗り出したとき、水面に映し出された自身の姿を見つけ自分の顔など見たことのない晋助はそれを別の他人として認識し、側に居てくれる唯一の人間、と思い込むのは簡単、不思議がりながらも水面に顔を近づけ「俺、晋助、お前は?」と期待と瞳と同様の愁いを包み混んだ声を放つが無論、返事等なく、水面に小さく波紋をつくるだけだったが満足そうに瞼の裏で眼を細め小屋へと戻って行った、 それからというもの、晋助は毎日のように湖を覗き、返事をしない映し出された姿に話し掛けた、毎日変わりのない出来事、空想の物語の話等漏らすように語る、 触れたその姿は水のように冷たく手を伸ばせば溶けるように消えてしまうそれだとしても、何処か暖かく水面に映るその寂しげな瞳に徐々に光りが灯り唇が孤を描くことが増えることに喜んだ、そして恋にも似た呼吸をすることすら億劫になる感情を覚えた 青紫の闇に浮かぶ月が満月へと姿を変えた頃、日に日に悪化する病、歩くことすら困難になった身体を引きずりながら湖に映る頬を撫でながら小さく呟かれた、それ「寂しそうな眼、俺と同じ、大丈夫二人なら暖かいから」自分の眼など見たことは無いがきっと水面に映る彼と同じものを持っていたのだろうと考えた晋助は映姿を両手で抱きしめるように水中に沈めると、今いくね、小さくそう微笑み飲み込まれるように沈んでいった、 頭の芯から足の先まで凍てつくように溶けて逝くのが理解出来た、愛しき者を抱きしめた筈の腕の中は空っぽ、もう一度強く抱きしめてみたが何も無かった、 今まで決して零すことのなかったそれは瞼から幾度となくこぼれ落ちる、薄れゆく意識の中、浮つく感覚、微かに右手に感じた小さな温もりと包み込まれるような暖かさをそれと疑わずゆっくりと全てを預けた、湖底、微笑み右手だけを最期の力で小さく握った彼のために月明かりだけがそっと泪を零した (好きだよ、やっと、逢えたね) End 0402 |