泥咲朱華
お前の眼は綺麗だよ、銀時。
自分よりも小さな身体にまるで包み込むように抱きしめられる、ゆっくりと伝わる体温はどこか優しかった
敗者の戦場、返り血を浴び右手にしっかりと赤く染まる刀を握るそれに似合わぬ背丈の銀時は昼も夜もなくただ続く鈍色のひび割れた空を見上げていた
顔すら覚えていない両親がもの物心が付いて間もない銀時を戦場に捨てたのは数年前のことだった薄暗い雨の中、
むせ返る程の血の臭いを纏い背中を向けられた二つの影に手を伸ばし泣き叫ぶも呼ぶ名すら知らなかった銀時にとってそれは足場の無い泥の中で無意味に脚をばたつかせるのと同等なことだっただろう
太陽、月などが現れるはずもない空に本当の己が映し出されることに怯え無意識に自ら闇に手を伸ばしその場から離れることを拒みながら数年が経ちある時なんの前触れもなく夕焼けにもよく似た淡い髪色がふわりと暗闇に浮き「鬼が出ると聞けば、こんな可愛い子鬼でしたか」と
髪同様に口元がふわりと孤を描くと同時に背中を向けられ銀時は誘われる様にそれに身を預けた、その広い背中が観せる景色は暖かかくとても自分には不似合いだと深く顔を埋めたゆらり、ふわりと揺れる背中に暫くもたれていると小さな寺子屋の様な場所に着き新しい畳の匂いがする部屋に入ると数人の銀時と同い年位の子供達がお互いに顔を寄せ合い珍しげに緊張を含んだ声質で銀時に話しかけた、(それは決して眼を見ずに)胸の奥が小さく軋む、それには当たり前、と軋む音に張り付け造った様な表情でだらし無く笑いかけてみせると周りは安心した様な表情を見せた、それに戦場とは違う痛みを覚え指先を薄汚れた服に紛らわせた
戦場を離れ幾月、銀時はお得意の冗談で周りを笑わせ直ぐにに馴染むことが出来たらしく周りには沢山の子供が自ら好んで集まっている様に見えた、
だがその中の誰一人と銀時と目を合わせる者はいない、(それに安堵を覚えたのは何時からか)
話すことが無くなり周りが銀時の側から姿を消すと滑る様にそっと近づいてくる高杉は銀時にとって不思議な存在で誰もが恐れたこの朱眼を覗き込む様にして話しかける。
それも自分の冗談を当てにしているのでは無く今日の夕飯の話等のたわいのない話だ、尤も、こういうものを望んでいたのだと不意に気付かされてしまう、
あの透き通るような碧瞳に全てを悟られてしまうのが、気づかれてしまうのが怖い、他の奴の様に腹を抱えて指を指して面白いと言い、笑うことで補った表面と内面を見ていてくれればいいのに
眼を開くことにすら怯え、闇を掴み差し延べられた手を、光を掴むことすら拒む臆病な本当の自分を、今だ戦場からうずくまり石の様に動けずにいる自分を見つけてほしくない、
そう独りで思いつめ高杉の話を聞き流しながら高杉の向こうの壁に目を移した、
それから数分と経たないうちに中庭で縄跳びをしていた青い着物を着た一人が雨だ、と呟いた案の定、雨は次第に酷くなり雷が鳴り出した、松蔭先生は何やら声を上げて中に入る様に指示を出し寺中の窓を閉めた、
木々の激しく揺れる音、地面に叩き付けるような雷鳴、冷える指先、
銀時はそれらに比例するかの様に身体を震わせた、瞳孔が開き目の前の色が消え脳内に響く鬼、という声を最後に声にならない声を上げて頭を抱え自室に逃げる様に身を投げた、
薄い庄子越しに見えたのは淡くそれでいて揺るがない満月だった、月光に映しだされたのは昨日の事の様に鮮明な他者を恐れ、殺めたあの日の出来事だった
大雨の中、雷鳴が響き木々が出ていけとばかりに揺れる、
空っぽの胃に林檎を一口流し込み走り続けた、遠方では侍の様な格好をした大人が数名追いかけて来ていた、
理由はこの辺りは食料不足で侍ですら食料にありつけていないため銀時が腕に抱える三つの林檎だろう、
体力も限界な銀時は慣れない雨道に足を滑らせその場に倒れ込んだ、立ち上がろうとする前に落とした林檎は侍に拾われ銀時に跨がると手首を押さえ付けそのまま値踏みする様な目付きで見ると「血色朱い眼…こりゃ有名な鬼の子じゃねーか、」と吐く他の二人の侍も小さく頷き銀時の後ろから身体、口を押さえ付け銀時の足首に跨がる侍の手がかかり孔に脈打つなにかが乱暴に当てられる、怖い、それは喉に詰まり声に等ならない、
刹那、下半身に走った激痛と共にぐらりと視界がまるで他人事の様に揺らぐ、どこか遠いところで悲鳴の様なものが響いているように感じた、どろりふわりと浮かぶ感覚の中から現実に引き戻したのは体中を濡らす生臭い血、誰のものかもわからない血に塗れた刀を握る痺れた腕、先程まで自分を押し倒していた侍が足元に横たわる姿だった、その光景に、時の流れに付いて行こうと見開いた目に飛び込んできたのは星一つない空にくっきりと浮かび自分を罵る重い満月だったそれを引き裂く様に開いた庄子に反射的に顔を上げると満月を背後になにも知らない高杉が息を上げて立っていた、
人相を変え突然逃げ出した自分を心配し駆け付けたのだろう、何時もの様に目を合わそうとしてくる高杉の前に自分から初めて睨む様に目を合わせ
「お前…恐くないのかよ、俺の眼…血の色だぜ?」返事を返さない高杉にほら、やっぱりお前もだと吐く様に付け足すと不意に抱きしめられ
「恐い訳ない、銀時、お前の眼は綺麗だよ、太陽みたいで暖かそうで」
もう一度囁かれたその言葉がゆっくりと身体に染み込んだのが分かった、
嘘だと言い返したかった、たがその透き通るような声質からは偽りを微塵と感じさせない
嗚呼、信じてしまう
初めてだったこの眼を血の色ではなく太陽の様だと言ったのはこの姿を鬼の子ではなく綺麗だと言ったのは
その小さな背中に縋る様に腕を回すと両胸に心音が鳴るのが分かった、本当は怖かっただけなのだ何時消えてしまうか分からない温もりに手を伸ばすことが
もう戦場に銀時のうずくまる姿はない。
掴んでしまった以上もうなにに変えても、この温もりを手離せなくなってしまった
(満月が照らし出したのは俺の護るべきものだった)
End
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