高層ビルの隙間を駆け抜ける風が、刃のような鋭さをもってバーナビーの頬を叩いた。海風が直に吹き込む真冬のシュテルンビルトは、分厚いコートを着込んでいても、身体が縮み上がるほど寒い。年明けに放送されるバラエティ番組の撮影に想像以上の時間が掛かってしまったせいで、日中は人で溢れている撮影スタジオの前にも、人の影は殆ど見当たらなかった。

「虎徹君、バーナビー君、お疲れ」
「お疲れ様です、ロイズさん」
「俺、テレビの撮影ってどうも苦手なんすよね……ずーっとカメラに追っかけられてると落ち着かねえっつーか」
「文句言わないの!だいたい君はバーナビー君のオマケで呼ばれたんから、そこら辺ちゃんと考えてやってくれなきゃ困るんだよね」
「まあまあ、無事に終わったんだからいいじゃないですか。虎徹さんも機材壊さないように気を使って頑張っていましたし、ね?」
「…………おう」
「それじゃ車出してくるから」

手慣れた所作でポケットから鍵を取り出したロイズが、少し離れた場所にある駐車場を指さして二人に背中を向ける。屋内駐車場なのでフロントガラスが凍りつくことはないだろうが、それでも車が着くまでには暫く時間が掛かりそうだ。悴む指先を揉んで温めながら、バーナビーは黙って空を見上げた。流れる雲の隙間から、無数の星が覗いている。空気が澄んでいる冬は、星の輝きがよりいっそう美しく感じられる。

「…………っ!」
「寒いだろ、掛けてろよ」

肩に触れた手に驚いて視線を向けると、不機嫌そうに眉の根を寄せた虎徹が、脱いだコートをバーナビーに向けて差し出していた。コートの生地の厚さは、バーナビーが身に付けているものの方が遥かに分厚い。寒いと感じていたことを偽るつもりはないが、自分よりも薄着でいた虎徹に気を使わせてしまったことが申し訳なく感じられて、バーナビーは丁寧にコートを押し返した。

「お気遣いありがとうございます、でも、大丈夫ですから。コートは虎徹さんが着ていて下さい」
「バニー、寒くねえの?」
「寒いのは寒いですけど、人のコートをお借りするほどではないですね」
「…………はいはい。ったく、ほんっと可愛くねーのな、お前」

気遣いに気遣いを返したつもりが、虎徹には"そうは届かなかった"ようで。目線を逸らして唇を尖らせる相棒に上手い返しが出来ないまま、バーナビーは再び空を見上げる。他人を遠ざけて生きてきたことに対する代償が、少しずつ我が身に返ってきている。親の仇討ちを果たし、改めて自分の人生を楽しめるようになった筈なのだが……一番"大切にしたい人"とは最近、どうにも上手くいかないでいる。

「タイガーさん、バーナビーさん!お疲れ様です。今から帰るところですか?」
「あ、お疲れ様です。スタイリストの方ですよね?今日はありがとうございました」
「良かった、覚えていて下さったんですね」

気まずい空気を中和する明るい挨拶に、ほっとして自ずと頬が緩む。声を掛けてきたのは、親しげに肩を抱いてきたり電話番号を聞いてきたりと、距離感の近さに若干の苦手意識を抱いていたスタッフだったが、そのフランクさが今は逆にありがたかった。

「うわ、バーナビーさん手、冷たいんですね。冷え性なんですか?」
「えっ?──ああ、昔から体温が低めで」
「じゃ、良かったらこれどうぞ。俺の手袋なんですけど……あ、昨日買ったばかりですから綺麗ですよ」
「でも」
「俺、帰りはバイクなんで、どうせすぐに専用のグローブに付け替えますから。それに、これ知り合いがやってるブランドのなんですよ。バーナビーさんが使ってくれたら、いい宣伝にもなりますから」
「……ありがとうございます、頂きます。すごく温かそうですね」
「へへ。それじゃあ俺はこれで。失礼します」

手渡された手袋には、僅かに他人の体温が残されていた。冷えた指先を温めるにはちょうどいいと片方に指を通した瞬間、隣から大きなため息が聞こえてきて、バーナビーは虎徹に向き直る。

「……片方、貸しましょうか」
「いらない」
「贔屓だ!とか言わないで下さいよ」
「………そんなんじゃねえよ」

ただ、うまくいかねえなと思っただけ。吐息だけで作られた本音がバーナビーの耳に届く事はなかった。虎徹の腕の中で、行き場を失った上着が恨めしそうに手袋を睨みつけている。

「そうだ」

長い睫毛を伏せて考え込んだバーナビーは、漸く答えを見つけたとばかりにぱっと顔を上げて、複雑な表情をしている虎徹の側に寄り添った。銀色の指輪のある左手に触れると、茶色の瞳が困ったように左右へ踊る。

「僕が手袋をして、虎徹さんの手を握っていれば二人とも温かいですよね」
「俺、お前がわかんねえよ……」
「?何がです?」

いちど離れていった手が、抱えていた上着を強引にバーナビーの肩へと乗せ、再び優しく掌を取る。今度はされるがまま、虎徹の温かさを素直に受け取った。手袋を通じて伝わる体温に、胸までじんわりと熱くなる。手袋がないほうが良かったと感じる自分に不思議な思いを抱きながら、バーナビーは虎徹の横顔を見た。ほんのりと赤く染まった頬は、凍てつくような寒さによるものだろうか。──分からない。答えは、自分自身の中にあるような気がする。

新しい年の始まりを告げる鐘が鳴り響くと同時に、タイミングよく滑り込んできた黒塗りの車を目の前にして、二人はそっと互いの手を振りほどいた。


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