街頭の大型モニターに映るのは、個性豊かな六つの影だ。社長の犯罪が明るみに出たことにより、一時はTV局としての存続も危ぶまれていたOBCだが、敏腕プロデューサー・アニエスの指示のもと"マーベリックを追い詰めるヒーロー達"の姿が包み隠さず市民に公開されたことで、局も番組も最悪の結末を迎えることにはならなかった。事件の熱気も覚めやらぬ頃に発表された人気ヒーロー・タイガー&バーナビーの電撃引退は世間に更なる衝撃を与え、下世話なゴシップを飯の種にしている三流雑誌は、ここぞとばかりに二人の噂を書き散らした。マーベリックとの癒着。ヒーローTVのやらせ。ヒーロー同士の軋轢。二人の同性愛疑惑。それらの記事の大半は「知人Aによると」「関係者に聞いた話では」というお決まりの文言で始まる捏造であり、相手にすることさえ馬鹿馬鹿しいと思えるレベルのもので。私人となった二人を追うことに旨味がないと感じたのか、引退して三ヶ月が過ぎた頃には、二人の名がゴシップ誌の表紙を飾ることもなくなった。鏑木・T・虎徹とバーナビー・ブルックスJr。二人はもう、コンビで戦うヒーローではない。 約束の時間を十分過ぎても、向かいの席は空いたままだ。夕食時を過ぎた店内には数えられるほどの客しかおらず、暇を持て余したウエイターが腹を空かせた獣のようにテーブルの間を行き来している。 気まずさをごまかす為に注文した紅茶に唇を付けて、バーナビーはふっと溜め息を零す。"アポロンメディアまで書類を提出しに行く予定があるから、その時に二人で食事でもしないか"と持ち掛けてきたのが虎徹なら、日取りや場所を決めたのも虎徹。本来ならば、彼が先に来てバーナビーをエスコートすべきなのだ。最も、あの虎徹に紳士的な振る舞いを求めたところで、叶う確率はゼロにも等しいのだが。 舌が痺れるほど熱かった紅茶は、ぬるま湯と言ってもいいくらいの温度にまで冷めてしまっている。十五分の遅刻。眼鏡の下の目を細めて、飽きるほど眺めたメニューに憂いた視線を落とす。浮かれる気持ちをひた隠しにして、それでも待ち切れずに二十分も前から待ち合わせ場所をうろうろしていた自分は、滑稽なピエロそのものだ。再び落とす溜め息にもしも形があったなら。テーブルの上はとっくの昔に溜め息で埋め尽くされていただろう。 「いらっしゃいませ。お一人様ですか?」 「あ、いや、連れが先に……バニー!あー、スンマセン、ども、失礼しまーす」 「ごゆっくりどうぞ」 間髪入れずに声を掛けた店員の横を摺り抜けて、近付いてくる無遠慮な影。バーナビーは軽く眉を上げて、いかにも面倒臭いと言わんばかりの表情を造る。人間に尻尾がついていなくて、本当に本当に良かった。 「久しぶりだなあ。ちゃんと飯食ってるか?」 「……遅刻ですよ、お・じ・さ・ん」 「相っ変わらず可愛くねえのな。仕方ないだろ、ロイズさんが書類にケチ付けてきて全然纏まんねーんだもん」 「僕は五分で終わりましたよ。大体、あの書類の提出期限、先週でしたよね?」 「だーっ!細けえことはいいだろ、それより飯だ飯!なっ?」 「全く……」 数ヶ月ぶりに顔を合わせる虎徹は、ほんの少し髪が伸びたことを除けば、以前と何ら変化していないように思えた。娘に「ダサい」と批難された髭も、ワイルドシュートが仕込まれた大きな腕時計もあの頃のまま。少しも進化していないし、けれど退化もしていない。 「……何でわざわざ僕を誘ったんですか」 「んー?別にいいだろー?」 「よくないですよ。久しぶりに連絡があったと思えば、ついでもついでじゃないですか」 「……拗ねてんの?」 「拗ねてません!」 「バーニィ、拗ねんなよお」 「拗ねてません!」 虎徹はビーフステーキセットとビールを、バーナビーはパスタセットを、それぞれに選んでウエイターを呼ぶ。下世話な記者が「デート」だとぶち上げた、なんてことのない外食風景。色っぽい雰囲気とはまるで無縁なこの逢瀬が本当の意味でのデートであることに、気が付く者はいないだろう。バーナビー自身だって、半信半疑だ。好きだと告げて、返事の代わりにキスを貰って。結局そこから"何"もないまま、虎徹は田舎に帰ってしまった。掛かってくる電話にも届くメールにも、関係を肯定するような言葉はどこにもない。 「虎徹さん」 「はいはい」 「僕のこと嫌いですか」 「ぶっ!……っは、何だよ急に……」 「別に、聞いてみただけです」 「下らねえこと聞くなよなー。次同じこと言ったら怒るぞ?」 「じゃあ、好きですか」 「お前なあ……」 呆れた顔で肩を竦める虎徹から視線を外して、バーナビーはすんと鼻を鳴らした。我儘を言っているという自覚は、ある。二十五の男が、幼子のように拗ね始めたのだ。虎徹が呆れてしまうのも無理はない。 「……やっぱり嫌いなんだ」 「馬鹿、んな訳ねーだろ!」 「好き?」 「まあ、そりゃ……」 「どっちですか?僕のこと好き?嫌い?」 「…………きだ」 「えっ?」 「好き、好きだよ!」 「………………!」 「だーっ、俺、こういうの苦手なんだって!なしなし、今のなし!」 「嫌です。ちゃんと聞きました。虎徹さん今"好きだよ!"って言った」 「やめろよ、真似すんなよ!」 「虎徹さん僕のこと好きなんだ……」 「やーめろって、恥ずかしい」 唇を尖らせたり、目を見開いたり。バツの悪そうな顔で百面相をしてみせる虎徹の顔を覗き込んで、バーナビーはぱあっと目を輝かせた。たった一度のキスが、虎徹の気持ちを確かめる唯一の術だったけれど。今日からは違う。少し強引なやり口だったかもしれないが、遅刻の代償だと思えば優し過ぎるほどだ。 「……ったく、俺が飯に誘うまでにどれだけ勇気出したと思ってんだよ……」 「何か言いました?」 「お待たせしました。ご注文のステーキセットとパスタセットです」 「何も!あ、こっちがステーキセットで!」 店内に設置されたテレビの中で、耳に馴染んだ音楽と共に六人のヒーローが駆け回る。虎徹とバーナビーがタイガー&バーナビーとして活躍していた場所に、二人の面影はない。上から押さえつけられるようにして仕方なく組んだコンビだったが――今では当たり前のように、自分達の意思で寄り添い合っている。バーナビーは虎徹が好きだ。人間として男として、彼に強く惹かれている。あの日のキスが過ちでも、誘導尋問で得た好きの言葉でも。押して押してほだされてくれるなら、多少の強引さも駆け引きの一環だと言えるだろう。 「ね、虎徹さん」 「……何だよ」 「今日はキスしてくれないんですか?」 「お前、変わったなあ」 「この間、テレビで見ました。キスがAで、それ以上がBとCなんですよね」 「あー、聞いたことあるようなないような」 「Bの予定はないんですか。Aの後にBとCをするんでしょう」 「……あー、もう」 必死で我慢するのが馬鹿らしくなったわ、と吐き捨てた虎徹の茶色の瞳は、見たことのない欲で濡れていて。自分で煽っておきながら、その獰猛さに腰が震える。濃い味付けのパスタを口に含んでも、それを味わう余裕はなく。作業にも似た堅い動作で、二人、黙々とフォークを動かす。虎徹を食べたい、食べられたい。細切れにされたステーキが聞けばきっと呆れるであろう言葉が、脳裏に浮かんで蕩けて落ちて――。 「ホテル、取り直すしかねえかな。シングルじゃお前引っ張り込めねえもんな」 「……虎徹さん?」 「今夜はABCのフルコース希望、だろ?」 笑ってしまうような台詞を格好いいと感じてしまうのは、その台詞を発したのが虎徹で、さらにその虎徹にバーナビーがどっぷりと惚れ込んでいるからなのだろう。 テーブルの下で触れ合う互いの長い足が、意味ありげにぴたりと重なって。視線と視線がかちあった瞬間、同時に照れ笑いが零れる。バーナビーはまだ何も知らない。ひとり待つバーナビーの横顔を、窓の外から見つめる虎徹の姿があったこと。その二つの瞳が、隠しきれない愛に満ち溢れていたこと。まだ何も、何ひとつ。 『バーナビーの電撃引退から半年!KOH、今期はまさに激戦に次ぐ激戦!果たしてスカイハイは再び王者に返り咲くことができるのか!ブルーローズが逃げ切り真の女王様となるのか!ヒーローTV、来週もお楽しみに!』 六人並んだシルエット、空いた皿と無人のシート。下世話な記者達に背中を追われることのなくなった二人のヒーローが、夜の帳にゆっくりと姿を消していく。鏑木・T・虎徹とバーナビー・ブルックスJr。今宵の二人は愛し合う獣だ。キスの後のデザートは、胸やけがするほど甘い、枕越しの蕩ける睦言で。 |