火傷しない程度に温められたコーヒーを、一口啜って喉越しを楽しむ。空調で整備された室温はいつでも春真っ盛りの22℃だが、オフィスの外は冬真っ盛り、氷点下3度が本日の最高気温だというのだから洒落にならない。
アポロンメディア内にあるカフェで束の間の息抜きを楽しみながら、虎徹はごきりと肩を鳴らした。退屈なデスクワークに心が折てしまいそうな時は、ここのコーヒーを味わうに限る。豆の質が違うのかそれとも水が違うのか。味に煩くない虎徹にも、そのコーヒーが他と比べて"抜群に美味い"ことだけは分かる。

「何で僕まで……後でロイズさんに叱られたらどうしてくれるんですか」
「堅いこと言うなって。オフィスに缶詰だと息が詰まるだろ?」
「缶詰って言うほど仕事してないですよね、あなた」

憎まれ口を叩きながらも、なんだかんだで最終的には虎徹の意思を汲んでくれる。バーナビーは、真面目で可愛い最高の相棒だ。碧の瞳が呆れを映した色でこちらを見据えていることに気が付いて、虎徹は気まずそうにぽりぽりと頬を掻いた。デスクワークに関してはバーナビーの言う通りなので、言い訳をする余地もない。

「そういや、お前最近すげーのな」
「すごいって、何がです?」
「雑誌だよ雑誌。本屋に並んでんの、お前が表紙のやつばっかだったぞ」
「ああ……そういえば最近、やたらと取材が多かったな」

ウロボロスの一件以降、バーナビーの人気は空高く上り続けている。何しろ、無駄に顔がいいのだ。強くて外面がよくて金持ちでハンサム。これだけの好条件が揃った男を、世間が放っておく筈がない。気のない顔で小首を傾げたバーナビーとは裏腹に、虎徹はどこか誇らしい気持ちでその人気ぶりを褒め讃えた。

「でも、顔出してヒーローっつーのも大変だろ。外歩いたら即刻囲まれてるもんなあ」
「それも仕事です」
「バニーは真面目だな。でも、常にああじゃデートもまともに出来ないんじゃないか?つーか、お前、恋人とか作らないの?」
「…………」

恋人。虎徹がその言葉を口にした瞬間、バーナビーの肩がぴくりと跳ねた。それが何を意図するのか分からないまま、虎徹は再び地雷を踏む。"お前くらい万能だったら、落とせない相手なんていないよなあ"。

「……別に、今は恋愛とかそういうのに興味ないですから。プライベートな事に干渉しないでくれませんか、お・じ・さ・ん」
「うわっ、可愛くねーの。人がせっかく褒めてやってんのに」
「頼んでません。……ほら、いつまでもさぼってないで仕事、仕事。あなたが始末書を片してくれないと、僕までロイズさんに小言を言われる羽目になるんですよ」

恋愛に興味がない。バーナビーがそう言い切ったことに不思議な安堵を感じながら、虎徹は先に店を出た相棒の背中を追い掛けた。暖かい室内とは裏腹に、窓の外では大粒の雪がしんしんと降り続いていた。





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鈍感なのかわざとなのか。苛立つ気持ちをキーボードを叩く指に込めて、バーナビーは眉間に皺を寄せる。あのおじさんはいつだって"そう"だ。無条件の優しさで他人の心に滑り込んで、恋愛感情に火を燈して。そのくせ、自分が恋愛の対象にされている事には爪の先ほども気付かない。月が欲しくて涙するのは、物分かりの悪い子供だけだ。無意識のうちに零れた深い溜め息に、一段と気が滅入ってしまう。あれだけ分かりやすく"好き"なオーラを振り撒いているブルーローズでさえ、全く意識されていないのだ。バーナビーは、自身の中に芽生えた恋愛感情に気付いたその瞬間から、自らの恋が叶うことはないと本能的に悟っていた。

「バニー、仕事は終わりそうか?」
「まだ少し掛かりそうです。先に上がって下さい」
「ああ、いや、飯でも一緒にどうかなーと思ってさ。お前が暇ならだけど」
「……僕と?」

小指で触れたエンターキーがかしゃんと軽い音を立てた。既に机周りを片し終えている虎徹は、デスクチェアに腰を下ろしたまま、大人びた笑顔でバーナビーの答えを待っている。夕食に誘われるのは初めてではないが、何度経験したところで慣れが来る事はないだろう。バーナビーは耳を赤くして、わざとぶっきらぼうに「構いませんが」と語尾を濁した。

「更新作業だけしたら上がります」
「おう」

他愛のないやり取り。或いは、虎徹の中の恋愛対象枠に掠りもしていないからこそ、こうして側に居られるのかもしれない。艶のある蜂蜜色の髪を掻き上げて、バーナビーは眼鏡の位置を正した。時計の針は既に午後の八時を回っている。

「…………虎徹さん」
「んー?」
「昼間、恋愛に興味がないって言いましたけど、実はあれ嘘なんです」
「嘘?」
「ええ。僕、失恋したんです。――本気で好きだった人に」
「…………!」

見開かれた瞳が同情と困惑に揺れるのを見て、胸の奥が痛痒くなる。信じると決めた人に本当の事を言えない自分が情けなくて、バーナビーは長い睫毛を伏せた。人気のないオフィスに重たい沈黙が落ちる。虎徹から目線を外して、バーナビーはわざと明るく「なので」と繋いだ。

「恋愛は暫くいいかなって。……思ってます」
「相手は俺が知ってる奴なのか?」
「ええ」
「そっか……昼間は悪かったな、傷えぐるような質問して」
「はは……何であなたが失恋したみたいな顔してるんですか。失恋したのは僕ですよ」

無言で微笑んだ虎徹に、バーナビーもゆっくりと笑みを返す。左手の薬指に嵌められた指輪が妙に眩しく思えて、目の奥がじんと熱くなる。羨ましくないと言えば嘘になるが、敵うとは微塵も思っていない。相棒でいい。それ以上になれないなら、現実維持で構わない。

「恋愛感情に気付いた瞬間、失恋するってのも辛いもんだな……」

不意を打って呟かれた言葉は、バーナビーの心の中の声をそのまま音にしたかのようだった。虎徹は相変わらず微笑んでいる。先程の呟きが幻聴だったのではないかと、自身を疑いたくなる穏やかな笑顔で。

「お待たせしてすみません。行きましょう」

PCモニタの電源を落とす。終わった恋愛にも終止符を打つ。立ち上がって歩きだしたバーナビーの耳に、追い掛けてくる虎徹の足音が届いた。"追い掛けてくる"虎徹の、足音が。





「お前が誰を好きでも、俺はお前のことが好きだよ」


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