扉をそっと開く。やわらかな旋律が、僅かにその音量を上げる。長方形のテーブルの周りに4脚のパイプ椅子が添えられているだけの部屋は控室というよりも物置に近い残念な雰囲気を醸し出していたが、今のバーナビーには自身の待遇など、さっき飲んだ水の銘柄と同じくらいどうでもいいものでしかなかった。

ヒーローアカデミーからタイガー&バーナビー宛に届けられた封書の中に入っていたのは、『学園祭のステージにサプライズゲストとして出演して欲しい』という要望を記した手紙だった。現役で活躍している"卒業生"のバーナビーがステージに顔を出せば在学中の生徒の士気が上がり、あわよくば来年度の入学者数も――という算段あってのことらしいが、ヒーローアカデミーとは縁もゆかりもないワイルドタイガーにも要請を出してきているあたり、タイガー&バーナビー人気にあやかりたいという欲を隠すつもりもないのだろう。念のためロイズにスケジュールの確認をとってみたところ、偶然にもその日は丸々予定に空きがあったので、2人は快くその依頼を受けることにした。最も、卒業生の肩書を存分に利用され、バーナビー1人だけ質疑応答のイベントにまで引っ張り出される羽目になるとは夢にも思っていなかったが。

(ギター……弾けるんだ)

しかし、驚いた。控室に一人残した虎徹のことを気にして足早に戻ったバーナビーの目に飛び込んできたものは、あまりにも"予想外"な虎徹の姿だった。アカデミーの備品であろうアコースティックギターを膝の上に抱え、こなれた手つきで弦を弾く姿は、まるでミュージシャンそのものだ。

「すごいですね!ギターを習っていたんですか?」
「だっ!お前、いつから聞いてたんだよ」

一曲弾き終わるのを待って扉を開けたバーナビーは、両の掌をぱちぱちと叩き合わせながら虎徹に尊敬の眼差しを向けた。こんなにも早くに帰ってくるとは思っていなかったのだろう、ネックの影に顔を隠して照れ臭そうに唇を尖らせた虎徹は、いつになく稚い表情をしている。

「習ってはねえけど、昔ちょっとな。っても、俺の世代はだいたい弄ったことあると思うぞ?」
「独学なんですか」
「こういうのは指で覚えるもんなんだよ。……バニー、こっち来い」

後ろ手に扉を閉めたバーナビーは、手招かれるがまま虎徹の側に歩み寄った。赤い躯のギターが、蛍光灯の光を受けて鈍い色の輝きを放つ。動物を撫でるような手つきでボディに触れた後、無造作にそれを手渡されて、バーナビーは恐る恐るそれを抱いた。――想像していたよりも随分と軽い。中身が空洞だからだろうか。

「ほら、座って。ああ、持ち方が違うな。こっちを上にして、首のところを左胸に預けんだよ。――で、掌でこの辺りを支える、と」
「ん……難しいですね」
「さっきも言っただろ。こういうのは慣れだよ、慣れ。さ、弾いてみな」

虎徹の座っていた椅子に腰掛けてギターを抱え、おっかなびっくり弦をなぞると、旋律と呼ぶには不格好すぎる音がビロンと部屋の空気を揺らした。後ろから抱きすくめるような姿勢で指導に当たっていた虎徹が、堪え切れずにぷっと吹き出す。艶のある低音に耳をなぞられて、骨張った肩がぴくりと跳ねた。――こんなのは、卑怯だ。

「…………っ、あ!虎徹さん、今の聞きました!?すごくいい音がしましたよ!」

肩口に顔、左手に左手、右手に右手を重ねた2人羽織の状態で15分ほど特訓を続けて漸く音階らしきものを作り出すことに成功した瞬間、バーナビーは子供の姿に戻ってぱあっと顔を輝かせた。また耳元で虎徹が笑う。整えられた髭の先が無防備な白い首をつつく。一度コツを掴めば、確かに"慣れ"で弾けそうだ。

「バニーちゃん、器用だもんなあ。この調子ならすぐに俺より上手くなるだろうな」
「あまり嬉しくないですね」
「おいおい、お世辞じゃねーぞ?本気で俺は――」
「そうじゃなくて」

息を潜める。廊下の足音に耳を澄ませる。バーナビーが素早く身体を動かすと同時に、ギターの弦がひゅうと冷やかすような声を上げた。虎徹の目が、ほんの僅かな時間だけ、2倍の大きさに見開かれる。

「ずっと虎徹さんが先生でいてくれたらいいのにな、と思って。下らないことですけど、でも、真剣な顔をしてる虎徹さんを見られるのって出動している時以外では殆ど無いじゃないですか。ヒーローとして出ている時はまじまじ顔なんて見られないでしょう。ちゃんとしてたらすごく綺麗で格好いいのに、どうしていつもダラッとして――あ!ほら、また!」
「お前、お前なあ……何でさらっとそういう可愛いこと言うかなあ……!」
「もう、止めて下さいよ!格好いい顔が台なしじゃないですか!」

密着した身体が熱を増し、繰り返し重なる唇から余裕の色が消えていく。ギターを鳴かせていた指が眼鏡に触れると同時に、揶揄うような甘さを含んだ声が、優しく鼓膜を震わせた。

「俺、実はハーモニカも得意なんだよ。――試してみるだろ、なあ、バニー?」

ぼやけた視界の中、口角を上げて煽る年上の恋人の顔は、馬鹿らしいほど綺麗で真っ直ぐで大人げなかった。白い歯の隙間に踊る舌に唇を押し当てながら、バーナビーは長い睫毛を伏せる。――どうやら彼は。"バニー"という愛称の楽器を鳴らす事にも、長けているようだ。白いボディが長いネックを揺らす。楽器が放った音階は――。

「――はい、虎徹さん」


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