等間隔に並べられた5つの冷蔵庫の左から2番目。それは、2リットルのペットボトルを3本入れるとそれだけで容量オーバーになってしまう小さな小さな代物だが、虎徹は特に不便を感じることもなく、むしろ"コミュニケーションの一環"として有り難く利用させてもらっている。ヒーローの所属する企業毎に個別の冷蔵庫が贈られた理由について、司法局側は「ルナティックの凶行を未然に防ぎ続けている事に対する褒賞代わり」と公言しているが、その贈り物の裏には、裁判官ユーリ・ペトロフの意向が色濃く反映されているに違いない。
虎徹は、ロッカールームの中に持ち込んだ紙袋の口に指を掛けると、緩慢な動きでそれを左右に押し開いた。雑誌の企画で訪れたマイナーな洋食店で、甘酸っぱい野苺のソースがかかったカップ入りのレアチーズケーキが売られていることに目を留めた虎徹は、スタッフに断りを入れ、そのケーキを1つ購入した。同じアポロンメディアに所属する虎徹とバーナビーは、つの冷蔵庫を2人で共用している。冷蔵庫が新しくなる前──全員で1つの大型冷蔵庫を私用していた時分──に、ロックバイソンのプリンが何者かによって盗み食いされるという事件が発生したことがあったのだが、時系列を考えて推理すると、事件の犯人として浮かび上がってくるのはバーナビーしかいなかった。恐らく、虎徹がロックバイソンのプリンと全く同じプリンを冷蔵庫に入れているのを見て、虎徹のものならば……と深く考えず手を出してしまったのだろう。年下の相棒を猫可愛がりしている自覚があるだけに、彼のいとけない悪戯が大きな騒動へと発展してしまったのは辛かった。手頃な値段のデザートくらいなら。多額の賠償金に喘ぐ虎徹でも、好きなだけ与えてやることができる。

「これでよし……っと」

虎徹は袋から取り出したカップの側面に手早くペンを走らせると、満足げに顔をほころばせた。冷蔵庫の中にはバーナビーのミネラルウォーターが入っている。水分補給の為に扉を開けば、嫌でもこれが目に入るだろう。喜怒哀楽、どの感情でリアクションが返ってくるのかは、神のみぞ知ることだ。構いたがり、お節介。何と言われてもめげずに食らいつき続けたからこそ"今"があるのだと思うと、最初の頃の険悪な関係さえも愛おしくなる。
時計の針が三時を差し、調子外れの時報がぴぽんと世にも間抜けな声を上げた。履き古した靴の紐と緩む頬とを同時にきつく締め直すと、虎徹は高い天井に向かってうんと両手を押し上げながら、仲間の待つトレーニングルームへと足を踏み出した。




「ちょっと!虎徹さん、何ですかこれ!僕の名前はバニーちゃんじゃなくてバーナビーですし、顔だってこんなに適当じゃないですよ!」




トレーニングを終えてロッカールームに戻ってきたバーナビーは、冷蔵庫の中に置かれた小さなケーキの存在に気付くと、深く考える間もなく虎徹に詰め寄った。汗を流す為にシャワーを浴びたことで、髪のカールが僅かに弱まっている。立てば芍薬座れば牡丹、怒る姿はまるで兎──だ。虎徹はにやつく頬をタオルで覆い隠しながら謝った。どうやら、プラスチックカップの側面に書き込んだ名前と似顔絵が、バーナビーの怒りを買ったらしい。

「でも、俺はちゃんとバニーちゃんに似てると思うぞー?」
「止めて下さい、全く似てませんよ!眼鏡なんてほとんど丸になってるじゃないですか!」

そこまで言って堪えきれず笑い出したバーナビーに、釣られて虎徹の肩も揺れる。ひとしきり笑い合った後、バーナビーが急に真面目な顔をして「僕が貰ってもいいんですか」と呟いたので、虎徹は大きく頷いて、濡れた金糸を掻き回した。

「バニーの為に買ってきたんだ」
「僕の…………ありがとうございます」

普段は自信家のくせに、個人対個人のやり取りになると急に謙虚になるのが哀しい。早くに親を亡くしてから20年、誰に甘えることもなく生きてきた彼は、"愛される"ということに関してひどく不器用だ。非の打ち所のない陶器に欠けがあると、それだけでぐっと身近に思えるだろう。虎徹は父親のそれとも恋人のそれとも言えるような甘さでぽんぽんとバーナビーの頭を叩くと、さあ食べろと言わんばかりに簡素なテーブルが設置されている一角に視線を向けた。既に時刻は夕方へと駆け始めている。おやつと称するには遅過ぎるかもしれないが、せっかく買ってきたのだから、やはり今すぐに目の前で食して欲しい。どうやら、その思いはバーナビーにも伝わっていたようで、彼は薄く笑みを浮かべるとそのままテーブル脇のベンチに腰を下ろした。付属のプラスチックスプーンの先端が野苺と生クリームの山を越え、柔らかい表面を突く。形のいい桜色の唇の中に、スプーンが吸い込まれていく。

「とても美味しいです」
「おう、そっかそっか」
「虎徹さんも一口食べますか?」
「なに、くれんの?」

頷くと同時に差し出されたスプーンに嬉々として顔を近付けた虎徹は、犬歯の目立つ口を開けてそれに食らいつこうとした。しかし、すんでのところでスプーンが消え、代わりに柔らかい唇が虎徹の鼻の先に触れる。……まさかの騙し討ちだ。ケーキよりもキスの方が嬉しいと思ってしまうのは、この天使の皮を被った悪魔に、心を奪われてしまっているからなのだろう。無理やり作った不満顔でスプーンを奪い取り口に入れると、バーナビーは目を細めて笑いながら、クリームのついた虎徹の唇に優しいキスを落としてくれた。

「次はロールケーキ、お願いしますね。期待していますよ、おじさん」

天使でも悪魔でも可愛いことに変わりはない。一度離れた唇を追いかけてまた塞ぎ、震える舌に容赦なく吸いつくと、苺のソースの甘い香りが虎徹の舌にも仄かに届いた。いつ誰が訪れるとも分からないロッカールームで睦みあうことへの罪悪感が、2人の呼吸を乱していく。

「そこはバニーちゃんの頑張り次第、だろ?」

どうあがいても答えは一つだ。期待されればやるしかない。虎徹は、空になったカップの表面で仏頂面をしている"もう一人のバーナビー"にも恭しくキスを贈ると、ロールケーキの美味しい店を頭の中に思い並べて、はにかむようにそっと笑った。


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