大粒の雨が降り注ぐ夜の街に、小さな傘の花が咲いた。ブロンズステージの片隅にある寂れた歓楽通りに人影はなく、カタツムリのようにのろのろと進む傘以外は、深い眠りについているようだ。

「別にあなたに助けてもらわなくても、僕一人であしらえたんだ。それなのに……」

酒で呂律が悪くなっても、言葉尻の棘は素面の時と同じだ。虎徹は、傘布からはみ出してしまわないよう寄り添いながら、それでもまだ機嫌を直さずぶすくれているバーナビーに慈愛を込めた視線を向けると、彼が冷たい雨に打たれることのないよう、そうっと傘の傾きを大きくした。バーナビーを怒らせたのは虎徹だが、虎徹に百パーセントの非があるかというと、決してそうとは言い切れない。出会った瞬間から今日このときまで数え切れないほどの衝突を繰り返してきた二人なのだ。今更「どちらがどう悪い」と言い出したところで、泥沼化するだけだろう。

虎徹の部屋で言い争いになった時、虎徹は内心またかと斜に構えていた。バーナビーは冷静で穏やかな男だが、一度こうだと思い込むと人の話を聞かなくなる頑固さも持ち合わせている。それより何より一番の欠点は「自分に自信を持っているくせに、自分の魅力を理解していない」ところなのだが、具体的にそれを指摘しようとすると虎徹自身がマーベリックやスポンサーに嫉妬していた事まで洗いざらい話さなければならなくなるので、気軽に口にすることも出来ない。とにかく、脂ぎった中年男に親しげに肩を抱かれても尻を撫でられても仕事と割り切ってニコニコしているバーナビーに虎徹が腹を立てたことから口論に発展したことは確かだ。虎徹はこの手の口論が幾度となく繰り返されてきたこと、そしてその全てが終着点に至ることなく霧散したことを思い出し、喧嘩の途中で匙を投げた。勝手にしろ・出ていけ。或いは、もっと辛辣な言葉をぶつけてしまっていたかもしれない。出ていけと怒鳴った瞬間、バーナビーの顔が泣き出しそうに歪んだのを見てすぐに「言い過ぎた」と後悔したものの、謝罪の言葉を伝えるべき相手は荷物も持たずに部屋を飛び出し、十分待っても二十分待っても、閉じた扉が再び開かれることはなかった。

素直に好きだと言えない分、何度も何度も態度で気持ちを伝えてきた。肩肘張って生きてきた彼の唯一無二の支えになってやりたいと思う気持ちに嘘はなく、自分を求めて欲しい、愛して欲しいと願っているからこそ空回りしてしまうのだということも(頭では)ちゃんと理解できている。虎徹は足元に散らばった酒瓶を蹴り飛ばしながらリビングを出ると、勢いよく玄関扉を押し開けた。冷たい雨が頬を打つ。バーナビーの傘は無くなっている。──逡巡している暇はない。すぐに"あの子"を迎えに行かなくては。



「大体あなたはお節介なんですよ。本当は僕のことなんか何とも……」



経緯を反芻するのをやめて、虎徹はぴたりと足を止めた。心無い言葉に青筋が立ち、それに気付いたバーナビーが、叱られた犬を彷彿とさせる表情で口を噤む。バーナビーに対する想いが同情や無関心の亜種であったならば、虎徹は今よりもっと上手に立ち回ることが出来ていたに違いない。

「俺がお前を、何とも思ってない──って?」

雨が傘の面を打ち、街灯が眠る世界を照らす。雨音しか耳に届かないことに焦れたバーナビーが、更なる苦言を呈そうと虎徹に向き直った瞬間、長い睫毛に縁取られた二つの双眸から大粒の涙が零れ落ちた。支える腕を"奪われた"傘がゆっくりと宙を舞い、水溜まりとキスをする。

「……不器用な人だな。傘も上手にさせないんですね」

長い時間真冬の雨に晒されていた虎徹の半身は氷のように冷え切ってしまっていたけれど、バーナビーは少しも躊躇うことなくその腕の中へと飛び込んだ。守る傘を無くした背中が、きつく抱きしめた腕の中で雨粒に濡れていく。
これが恋愛映画のワンシーンであったならば、このあたりで雨が雪に変わったり、虎徹の口から気の利いた愛の詞が飛び出したりする憎い演出もあっただろう。
不器用な二人が、不器用なりに求め合う。好きの一言も言えないくせに、結局は好きで大好きで、離れることさえできないのだ。

「惚れた相手を守るのが男、だろ」
「泣かせたくせに?」
「俺が悪かった。ごめんな」
「それだけですか?」
「はいはい。……好きだよ」

刀が鞘へと戻るように、唇と唇が重なる。緑の瞳が潤んでいるのは、酒のせいか雨のせいか、それとも他の何かのせいか。白い頬に張り付いた髪を指先でそっとなぞりながら、虎徹はふっと目尻を下げた。これが最後の痴話喧嘩、とはならないだろう。想い合う二人に争いは付き物なのだから、仕方がない。詞で素直に愛を伝えられない時は、抱きしめて指を絡めて唇を重ねて、そこから繋いでいけばいい。

「"帰りましょう"、虎徹さん」

愛の詞より優しい詞が耳に届いたその瞬間、茶色の瞳が潤んだように見えたのは──何のせい、だったのだろうか。


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