"初恋の人"を思い出すと、今でも胸が熱くなる。学校指定の地味なジャージを身に纏っていても、彼女はやはり綺麗だった。顔やスタイルが人より秀でていた訳ではないけれど、ふとした瞬間に見せる優しさや温かさは、誰にも真似をすることの出来ない彼女だが持つ魅力のひとつで。話しかけたい・もっと知りたいと心の奥で欲しながらも、バーナビーの淡い恋の花は、卒業という手に摘み取られ、蕾のまま終わりを迎えてしまった。





動悸、息切れ、眩暈、発熱。
前触れもなく襲い掛かってきた二月の風邪はやけにしつこく、もうかれこれ半月近くも、バーナビーを悩ませ続けている。薬を飲んでベッドに入ると、急に気分が軽くなる。完治したつもりで仕事に出ると、途端に動悸が激しくなる。まるで体調不良の虫に揶揄されているような気分だ。常に行動を共にしている虎徹が健康そのものである以上、バーナビーの身体に何かしらの疾患が生じているとみて、まず間違いはない筈なのだが。

「はー…………」

始業時刻の三十分前に出社して、残った雑務を片付ける。虎徹の賠償金の尻拭いをさせられるのは不本意だが、彼一人に任せていると十年経っても二十年経っても終わらないような気がするので、手を貸せるところは貸すようにしている。噂に聞くところによると、アポロンメディアに移籍してきてからは、賠償金の額も少しずつ落ち着きを見せているらしい。ロイズの説教がよほど耳に痛いのか、斎藤のスーツの性能がよいのか。手慣れた所作でアポロンメディア・サーバー内の個人キャビネットを開きながら、バーナビーはふっと、吐息だけの微笑みを零す。……もしかすると、体調不良の原因は、虎徹の賠償金にあるのかもしれない。虎徹がいない時に症状が落ち着いているのは、彼が何かしでかしやしないかと、気を揉む必要がないからで。彼の一挙一動がやけに気に掛かるのも、そこから来る無意識の不安によるもの、つまり……一回りも年上の先輩相手にこういった物言いをするべきではないのかもしれないが……虎徹の挙動のせいでバーナビーの体調が悪化している可能性が高い、と。

タッチパネル式のモニターに映り込んだ自身の顔を見て、バーナビーは軽く目を細める。計算問題の答えだけをぽいと投げ渡されたような気分だ。導き出した答えが正確なのか、確かめる術はどこにもない。これ以上あれこれ考えたところで、しっくりする方程式にたどり着くことはないだろう。出掛けに自動販売機で買った缶の紅茶に手を付けて、再び、モニターの中の資料に意識を集中させる。

「えっと……二月度の請求書がこれだから……賠償先の領収書は……っああ、もう!フォルダの中くらい綺麗に整理出来ないのか、あの人は……っ!」

エクセルファイルに画像のデータ、メールの控えに圧縮ファイル。虎徹のフォルダの中身はまさに、ひっくり返したおもちゃ箱だ。フォルダの名前をそのまま"new folder"にしているせいで、どこに何が保存してあるのか全く予測することができない。頭を掻きむしりたくなるのを必死で堪えて爪を噛んで、バーナビーは端からフォルダを開く。ロイズさんからのお説教メール。ヒーローTVの取材予定。有休残日数のデータ。

「ん…………?」

たくさん並んだフォルダのひとつに、"bunny party"と名前付けされたものがあることに気付いて、バーナビーはふと指を止めた。そういえば一月の頭に、ウロボロス事件の解決を祝って、ヒーロー全員で祝賀会をしたことがあった。全員の力を合わせて解決に導いたことだからと何度も断りを入れたのだが、スカイハイとファイヤーエンブレムに押し切られる形で『宿敵を討ったバーナビーの為の祝賀会』となり。主賓だからと早々に潰されて、殆ど何も覚えていないが――そういえば、ファイヤーエンブレム含む女性陣がカメラを持っていたかもしれない。自分が知らないところで、データのやり取りがあったのだろうか。特にそれが欲しいと思う訳でもないが、何となく仲間外れにされた気分だ。データを入手した虎徹が、それを黙っていたことにも地味に腹が立つ。

「はよーっす……お、バニー。お前、相っ変わらず朝から真面目に仕事してんだな」
「……虎徹さん、何ですかこれ」
「んー?……だっ!バカ、おま、何勝手に人のフォルダ見てんだよ!」
「勘違いしないで下さい、月末締めの賠償金のデータを処理しようとしたら偶然見つけただけですから!」
「だったらこっそり見てから見て見ぬフリしとけよ!」
「しようとしたら虎徹さんが出勤して来たんでしょう!」
「逆ギレかよ!……いいだろ、別に膝枕くらい!言っとくけどなあ、俺が無理矢理した訳じゃねーんだぞ!お前がソファから転げ落ちそうになってたから仕方なくだな……」
「は、あ?」

遅刻ギリギリの時間になってオフィスに飛び込んできた虎徹が、鼻息も荒くバーナビーの背後ににじり寄る。膝枕にソファ。それが何を指しているのか全く理解出来ないまま、バーナビーは虎徹の顔を見上げる。心なしか頬が赤くなっているようだ。虎徹にも、あの正体不明の病が伝染したのかもしれない。

「んな怒るなよ……お前が嫌なら今すぐ消すから」
「ちょ、だから何の……っ!」
「いーから!俺が悪かったから!」

何を焦っているのか。普段の倍、人の話を聞かない虎徹が、バーナビーを抱きすくめるようにして背後から長い腕を伸ばす。右手首に巻かれたPDAがちらりと視界を横切って、武骨な指がモニターを叩き――大きな画面いっぱいに、映し出された一枚の画像。カウチソファに横たわり眠るバーナビーの上半身には見慣れた茶色のジャケットが掛けられていて、力無く落ちた頭の下にはこちらも見慣れた二本の脚。何かを話かけているのか。バーナビーの耳元に顔を寄せた虎徹は、今にも溶け落ちてしまいそうなほど甘く優しい顔をしている。フォルダの中には、この一枚しか保存されていなかった。ろくすっぽフォルダ分けすらしない虎徹がなぜ、この写真を大事に大事に保管していたのか――。

「虎徹さん!」
「っ!」
「人の話は最後までちゃんと聞いて下さい!僕は、フォルダを見付けただけで、中身は見てませんでした!」
「……だっ!え、ちょ、マジで!」
「一体全体、何なんですかこの写真は。どうしてこんなものを……」

写真の中の幸せそうな虎徹。すぐ近くにある、バツの悪そうな顔をした虎徹。二つの顔が一つに重なった瞬間、バーナビーの頬がかあっと一気に熱くなる。動悸、息切れ、眩暈、発熱。なりを潜めていた病が、偶然に触れ合った指先までもを溶かさんばかりに燃やし始める。

初めて恋をした相手は、綺麗で清楚な人だった。遠くで見ているだけの恋。青いまま落ちた切ない蕾。二度目に恋をした相手は、まるで駄目な人だった。何度も喧嘩に喧嘩を重ねて、もう二度と顔も見たくないと思うほど強く反発して――まるでストンと落ちるように――気付けば"好きになっていた"。



「どうしてって、そりゃ……」



放りっぱなしの答えに方程式が与えられた瞬間、小さな小さな青い蕾に可憐な桃の花が咲いた。同じ病を抱える相手の、低くて甘い息吹に頬を撫でられて。


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