「ボンジュール、ヒーロー!今日も視聴率の為に目一杯活躍して頂戴!」

インカムマイクを装着したアニエスが、始まりの合図を声高に告げる。スイッチングルームの大型モニターに映し出されているのは、緊張で表情を固くしているヒーロー達の"素の姿"だ。ランキングの順位は二の次、大切なのは市民の命を守ること。全員がそう考えているからこそ、中継が始まる前の空気の重さは尋常じゃない。

「なーにが"視聴率の為"、だ!俺達ヒーローはなあ、市民の――」
「落ち着いて下さい、虎徹さん。怒るのは事件が片付いてからにしましょう」

沸点の低い相棒は、アニエスの口から飛び出した言葉に鼻息を荒くしている。「市民の安全を守るのがヒーローの使命だ」と彼はよく口にするが、市民の命が掛かっている場面で熱くなりすぎて失態を犯すのが、ベテランヒーロー・ワイルドタイガーの大きな欠点でもあるのだ。撮影用のヘリに向けてお決まりのポーズを披露しながら、バーナビーはそっと、虎徹の肩を叩いて宥める。事件の現場は郊外にある銀行。2人組の犯人は、子供1人と老人2人を人質にとり、銀行内に立て篭もっている。武器は拳銃が最低でも1丁。個人での犯行なのか犯罪組織が絡んでいるのか。犯行の動機については一切、明らかにされていない。
古傷の癒えない右足を振るって、キック力の衰えを確かめる。過酷なリハビリに励んだこともあって、傷を負う前の90%の威力にまで持ち直すことが出来たが、10%の威力差が実践に及ぼす影響については、医者にもバーナビ自身にも予測することが出来なかった。たかが10%は、されど10%だ。第一線に復帰した以上、最善を尽くすより他ない。

「俺達は裏から回るぞ、いいな、バニー!」
「……はい!」

ワイルドタイガーワンミニットの文字が刻まれたスーツを見つめて、バーナビーは大きく首を縦に振った。以前よりも衰えているのは虎徹だって同じだ。能力持続時間の減退、年齢による体力の低下、怪我の後遺症。経験値だけではカバー出来ない虎徹の"穴"を埋める為に、相棒として出来ることは――。
ヒールの底がコンクリートの地面を鳴らし、4本の足が素早く裏道へと駆ける。野ざらしにされたワインケースとゴミバケツ、銀行の裏にはパスコード式の重厚な扉が1つ。正面口はブルーローズとロックバイソンが包囲し、上空からはスカイハイの監視の目が光る。逃走に使用される可能性の高い現金輸送車はファイヤーエンブレムが見張り、パニックに陥った市民を宥める役には折紙サイクロンとドラゴンキッドがついている。現役を退いていた1年の間に、それぞれが一段と逞しくなった。銀行側から受け取ったパスコードを入力パネルに打ち込みながら、バーナビーはフッと口角を上げた。

「変わりませんね、僕達」
「……ああ?」
「1年も間が空いたのに、僕達だけあの頃のままみたいだ」

軽い電子音が鳴り、続いてカシャンと鍵が開く。一瞬だけ何か言いたげにバーナビーを見返した虎徹も、その機械的な音に気を削がれたのか、それ以上言葉を繋ぐことはなかった。大通りを行き交う人の声が、薄暗い路地裏に流れ込んでくる。銀行……人質……ヒーロー……。高い声、低い声、悲鳴、怒鳴り声、耳に留まる音の種類は様々だが、その統一感のなさが不思議と心を落ち着かせる。大丈夫。苦い唾が、舌の上を滑り喉の奥まで落ちていく。
開いたドアを潜り抜け、虎徹が中へと走り込む。会議室ほどの広さの事務所を駆け抜けながら、バーナビーは能力を発動させる。身体が軽くなり、五感が研ぎ澄まされる。視界の端で、同じように能力を発動させた虎徹が、握った拳を壁に叩きつけているのが見えた。

「行け、バニー!」

振り返って虎徹が叫ぶ。砂埃の舞う部屋の中、ぽかりと空いた壁の穴に向けて全力で飛び込む。2人組の犯人が揃ってバーナビーに拳銃を向けたが、身体能力を100倍にまで高めている今の彼を、簡単に射止めることなど出来る筈もなく。長い脚が宙を裂き、グローブを装着した手から続けて銃を叩き落とした。人質は全員、無事のようだ。

『バーナビー、犯人を纏めて取り押さえました!現場では、相棒のワイルドタイガーが人質の救出を行っています!タイガー&バーナビー、復帰早々大活躍!彼らは今期のランキングに、一体どこまで食い込んでくるのか――ッ!』

表通りで待機していた実況役のマリオが、ここぞとばかりに声を張り上げる。手錠で腕を拘束された犯人が、力無く肩を落としたまま、搬送用の装甲者に押し込まれていく様子を横目に、バーナビーはふうと溜め息を零した。右足の根本が、疼くように痛み始めている。

「よ、お疲れさん」
「……銀行の壁。何も壊すことはないじゃないですか」
「んだよ、いきなり説教かよ!別にいいだろ、誰も怪我せずに済んだんだから」
「それはそうですけど」
「……脚。痛むんだろ?」

アイパッチの隙間から覗く瞳はひどく優しい。強がっても仕方がないので、バーナビーは素直に頷いた。少しだけ。そう答えると、虎徹は満足そうに笑った。

「なら、いいんだ」

もしかすると、虎徹が壁を壊して強行突破を計ったのは、バーナビーの怪我を思ってのことではなかったのだろうか。けたたましく鳴るサイレンの音に思考を妨げられながら、バーナビーはそれでも虎徹に向け、形のいい口角を上げ返した。虎徹は変わらない。多分ずっと、変わらない。

「なあ、痛むなら"お姫様だっこ"してやろうか?」
「嫌ですよ、恥ずかしい」
「何だよ、家ではいつもやって――い、だっ!」
「余計な話は結構です!……ほら、行きますよ、虎徹さん」

生きる意味について悩んだこともあった。自分のせいで不幸になった人達を思って、泣き明かした夜もあった。空白の過去、作られた過去。人生を反芻するたび、虎徹のことを思い出す。バーナビーと過ごした日々を"簡単に忘れてしまえないもの"だと、"最高のコンビ"だと言ってくれた彼の言葉に嘘や偽りの影は見えない。
数歩、歩いて立ち止まり、振り返って虎徹が追い付くのを待つ。当たり前のように近付いてきた身体が隣に並び、二人でまた、歩き始める。口元に浮かぶのは笑顔、偽りのない素直な感情だ。姿を見留めて駆け寄ってくる仲間達に余裕の笑みを返しながら、バーナビーは再び帰ってきた場所の温かさを、噛み締めるように目を細めた。


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