絶え間なく焚かれ続けるフラッシュのせいで、寝不足の目が余計に痛む。昨年度の授賞式の倍、集まったという各国の記者に精一杯の愛想笑いを向けながら、バーナビーは先を行く斎藤の背中を追うように、ゲストルームの扉をくぐった。大勢の人の前でスピーチをししたのは、何時ぶりの事になるだろうか。首元を締め付けていた窮屈なネクタイを解いて、バーナビーはぶるりと頭を振るう。2時間に及ぶ授賞式の後は、お偉方を交えた祝賀パーティー。その後は会見。もう無理だと悲鳴を上げる身体に鞭を打って全てを消化し終えた時、時計の針は午前零時を指していた。
よく冷えたミネラルウォーターで喉を潤し、ソファに身体を横たえる。枕代わりに頭を乗せた柔らかい生地のクッションに、蜂蜜色の髪が散る。……不思議な気分だ。寝る間も惜しんで研究を重ねていた時にはまるで見向きもされていなかったのに、研究の成果が評価された途端、急にチヤホヤと持ち上げられて。二回りも年上の相手から「ブルックス先生」と呼ばれた時には、思わず失笑してしまった。アポロングループに身を置いていなければ、もっと露骨な利権争いに巻き込まれていたに違いない。

「…………」

指先が痺れる。瞼が重くなる。シャワーを浴びないで寝ることに抵抗がない訳ではないが、沈みゆく意識の中では、ポリシーさえその力を失ってしまう。それでも、せめてスーツだけは脱いでおかなければと必死に瞼をこじ開けて、半身を起こしたその瞬間。上着のポケットの中から、真っ赤な携帯電話が滑り落ちた。――チカチカと点滅するランプが、着信があったことを暗に訴えている。個人名義の携帯電話に連絡を入れてくる人間に、思い当たる節はない。
既に夜中だ、着信元だけ確認しておいて折り返すのは日が昇ってからにしよう、と回らない頭で考えつつも、二つ折りの携帯電話を開いて履歴を表示させたバーナビーは、そこに残された名前を見て思わず「あっ」と声を漏らした。緊張、狼狽、高揚。色とりどりの感情に住家を奪われて、睡魔が一気に退いていく。着信があったのは15分前だ。まだ起きているといいのだが。
『KOTETSU』の名で登録されている番号に電話をかけ直しながら、バーナビーは空いた左手をそっと自らの心臓の上に沿え置いた。彼は、バーナビーが渡したネックレスの中の"あれ"に気付いて連絡を寄越したのだろうか。鈍い虎徹のことだから、下手をすると一生、気付かないままでいるかもしれないと覚悟して贈ったものなだけに、こうも早く反応を返されると面食らってしまう。

「……もしもし」
『バニー!もう式は終わったのか?』
「今、ホテルに帰ってきたところです。式は早くに終わっていたんですけど、その後が大変で」
『あー、アレとかだろ。ほら、テレビ局だかの人集めてワーッと喋るヤツ』
「……会見ですか?」
『そう、それ!』
「ふふ……そうなんです。虎徹さんも現役時代はよくしていたんでしょう?」
『あー、そりゃまあ、それなりにな。お前の方がよっぽどしっかりしてたけど』
「僕の会見、見ていてくれたんですね」
『っ……別に、たまたまだよ、たまたま!テレビ付けたら偶然やってたんだって!』
「それで、電話をくれたんですか」
『まだ、ちゃんとお前に"おめでとう"って言ってやれてなかったからな。……受賞おめでとう、バーナビー』

甘さを含んだ低音が、眠りの淵で揺らめく意識を優しくこちらに呼び戻す。市長に言われた「おめでとう」よりも、社長に言われた「おめでとう」よりも、ずっとずっと嬉しい「おめでとう」だ。緑色の瞳が熱く潤んで、白い頬を涙が伝う。

「ありがとうございます……虎徹さん」
『……それより、なあ、バニー』
「…………はい」
『その……あー……あれだ、ほら……』
「もぉ……あれ、じゃ全然分かりませんよ」
『いや、俺さ……俺、お前に……っ、あー違うな、要するに俺は……その、俺はお前が……』
「………?」


すん、と小さく鼻を鳴らして、続く言葉を待ち構える。直情的の塊のような男が、わざわざ言葉を選んでまで、バーナビーに"何か"を伝えようとしてくれているのだ。空気を飲む音、舌の音まで……少しも取り零したくはない。

『っはは……』

1分また1分と伸びていく通話時間に焦れて、続きを促そうと口を開きかけたバーナビーの耳に、突然、明るい笑声が届いた。今までに聞いたことのない、自嘲を含んだ高い音。他人との交流を絶って生きてきたバーナビーでさえ、その"笑い声"の異様さに思わず眠気を忘れた程だ。くっく、と絞るように喉を鳴らして、虎徹が『だあっ』と短く唸る。

『悪ィ、バニー!今のなしな!やっぱ次に会ったとき言うわ!』
「は、あ……?」
『とにかく、今日はおめでとう!ゆっくり休めよ、いつもみたいに肩肘張って頑張りすぎんじゃねーぞ!』
「……はい!おやすみなさい、虎徹さん」
『ああ、おやすみ……バニー』

結局、虎徹は言葉を濁した。あのネックレスの中に仕込んだ物にも、アンドロイドのモデルについても、触れないまま長い通話が終わる。生暖かい空調の風を乾いた頬で受けながら、バーナビーは深い溜め息を吐いた。繋がりはいつか未練に変わる。……今だってそうだ。虎徹を想えば想うほど、覚悟は次第に綻んでいく。

(父さん、母さん……僕は……)

既に少し皺の寄り始めたスーツの胸ポケットを探り、四隅が茶色に変色した写真を、両の掌で優しく包んで。穏やかに微笑む亡き両親に、再び強く誓いを立てる。この度完成した2体のアンドロイド――αとβ――は、バーナビーの両親と寸分違わぬ容姿をしている。斎藤の目を盗んで組み込んだプログラム、起動コードは"1224"。明後日のクリスマスの夜に――バーナビーは、あるべき場所へと還るのだ。最後に出会った"愛しい人"への、切ない想いを抱きしめて。




---





ベッドの上で寝返りを打ち、サイドテーブルに置いたネックレスに視点を合わせては、またじたばたと寝返りを打つ。少し甘えた声で、気怠げに「虎徹さん」と呼ばれたその時、虎徹は電話も放り出して、緩んだ頬を枕に擦り付けていた。殆ど諦めかけていたが、これはもしかするともしかするのかもしれない。……少なくとも、肌身離さず身に付けていたネックレスをプレゼントしてくれたのだ。赤の他人からの誕生日プレゼントにあれだけドライな反応を示していた彼が、お礼にと装飾品を贈ってくれた。それで「期待するな」と言われて、誰が納得できるものか。
バーナビー本人には"たまたま"会見を視聴したのだとうそぶいたが、本当は家に帰って来てからずっと、テレビの前で待ち続けていた。ニュースで受賞の話題が取り上げられるたび、缶ビール片手に祝杯をあげ、淡々とスピーチをする小さな唇を見つめては、それに触れたときの事を思い出して。自分にはもうバーナビーしか愛せないと、痛々しくも思ってしまう。

「もう、お父さん!冷蔵庫開けっ放しにして寝ないでよ!」
「っ……楓!まーだ起きてたのか!?」

10歳を迎えた娘は、もういっぱしの"女の子"だ。ロフトとリビングとを繋ぐ階段を駆け登ってきた楓は、虎徹譲りのとがり口をツンと突き出して、大人ぶった口調で虎徹を咎める。

「悪かったよ。次から気ィつけるから」
「お父さんはいっつもそう言って……何これ。お父さん、こんな高そうなネックレスどこで買ったの!」
「っ!」
「すごい!これ、本物の金!?」
「わ、バカ、引っ張んなって――」

チェストの上で輝く金のネックレスを掴んで持ち上げた彼女を、制止しようと手を伸ばしたその瞬間――虎徹の浅黒い指が、ネックレスのボールチェーンに掛かって。弾け飛んだネックレスが、ロフトから転がり落ちても行く。

「あっ……ごめんなさい……」

明らかな高級品だ。楓も、その価値がどれほどのものかなんとなく分かっているのだろう。ネックレスの行方を目で探し、今にも泣き出さんとばかりに顔を歪めた愛娘の頭に手を添えて、虎徹は優しく語りかける。

「だーいじょぶ、あれはそう簡単に壊れたりしねえから。後はパパが探しとくから、楓は部屋に帰って寝なさい。小学生がこんな時間にフラフラしてるもんじゃねえぞ、な?」
「…………うん」

壊れていないという確証はないが、だからといって、落ち込んでいる楓に追い撃ちを掛ける訳にはいかない。父親が怒っていないと知り、幾分か元気を取り戻したのだろう。素直に階段を降りていく背中の後に続いて、虎徹も階下に足を運ぶ。コンポの回り、ソファの裏、部屋の角。ネックレスはなかなか見付からない。楓の部屋から漏れていた明かりが落ちて就寝を知る。虎徹は、四つん這いになってチェストの下を覗いた。……あった。けれど、金のトップは真っ二つに割れてしまっているようだ。

「あー…………」

溜め息混じりに低く呻いて、狭い隙間に腕を差し込む。バーナビーからの貰い物。「プレミア付き」だと微笑んだ時の、無邪気な顔が脳裏を過ぎる。決して物持ちのいい方ではないが、それでもこれだけは大事にしておくつもりだった。

「?――何だ」

割れたトップを指の先で摘み上げた瞬間、肌に感じた例えようのない違和感に、虎徹は軽く眉を顰める。つるりとした表面、その裏側に、四角い何かが嵌め込まれている。サイズは小指の爪ほどだろうか。引きずり出して掌に乗せて、こんどは視覚で確かめる。――SDカードだ。表に64GBと印刷されいるだけのシンプルなそれに、当然ながら見覚えはない。
その時、頭の根本が冷えるような、奇妙な寒気が背筋を走った。脳より先に本能が、異常を察知し騒いでいる。



"これ、値段が付けられないほどのプレミア品なんですよ?……大切にして下さいね"



虎徹は、今が深夜だということも忘れて階段を駆け上がると、無造作に投げ置かれている携帯電話を掴み上げた。電話番号を探すまでもない。発信履歴の一番上が求めんしている相手なのだ。隣の部屋から「うるさいぞ」と壁を叩き怒鳴る声が聞こえる。携帯電話を耳に押し当てながら、心の中で詫びを入れる。頼むから、今すぐ声を聞かせてくれ。虎徹の精一杯の祈りは、無慈悲な圏外通知に消える。慌てて斎藤に電話を掛けると、意外にも彼は4コール目で電話口に現れた。バニーは?不躾にそう問うた虎徹に、僅かな間を置いて斎藤が答える。寝室にもリビングにも姿が見えないな……散歩か?それを聞いた瞬間、虎徹は携帯を投げ出していた。

せめてSDカードの中身が分かれば――この例えようのない不安が、解消されるかもしれない。

つい今しがた駆け上がった段を一つ飛ばしで駆け降りて、今度はパソコンにかじりつく。起動ボタンを連打して、ゆったりと立ち上がる呑気なOSに苛立ち腹立ち歯噛みをする。娘にせがまれて購入した最新式のパソコンが、こんなところで役に立つとは夢にも思っていなかった。変換アダプタに取り外したカードを挿入しながら、虎徹は額の汗を拭った。寒いのに暑い。焦っているのに身体は重い。瞼の裏で、いつか見た儚い泣き顔が揺れ動いている。

『内部データを参照するにはパスワードが必要です』

漸く立ち上がったパソコンにアダプタを差し入れ、さあ、とばかりに中身を開いたその瞬間、虎徹は思わず身を乗り出し、拳で机を叩いていた。パスワードなんて分かる筈がない。適当に入力したところで、当たる確率は1%にも満たない。

「apollon…1031…barnaby…saitou…android…opera…っクソ!」

立て続けにキーワード打ち込み、その度に鳴るエラー音に舌を鳴らしながら、それでも虎徹はキーを叩いた。バーナビーに纏わること。彼が好んでいたもの。手当たり次第に入力しても、正確は一向に見つからない。……もっと深く知り合っていれば、彼へと続く鍵を開く事が出来たかもしれないのに……。

「バニー……!」

握り締めた拳の上に、涙の雫が一粒落ちる。好きだ。愛している。……せめてそれだけ伝えたい。
殆ど縋るような気持ちで、虎徹はBのキーを叩いた。U、N。悔し涙で歪む視界に、自分しか呼ばない仇名のスペルが表示される。エンターキー。ブザーは……鳴らない。


バーナビーへと続く鍵が、開いた。



---





空車のランプが光る個人タクシーを呼び止めて、後部席に身体を滑り込ませる。前の客が喫煙者だったのだろう。充満する重たい煙の匂いに、顔をしかめて窓を開ける。

「どこまで行くんだい?」

気怠そうにハンドルを握る男に目的地の住所を告げると、彼は大袈裟に顔を顰めて、それから小さく舌を打った。こんな真夜中に、シュテルンビルトの街外れにある森林地区へ行けと言われて、いい顔をする人間はなかなかいないだろう。財布から抜き取った数枚の高額紙幣を支払い用の窓口に突っ込んで漸く、車が道路を走り始める。

「今日は商売上がったりだよ。そこのホテルで式だか何だかやってるせいで、警備がきつくて仕事にならねえ」

独り言でも呟くように、男がぽつりと吐き捨てる。各界の要人が一堂に会しているのだ。周辺の警備に力が入るのも当然のことだろう。窓から流れ込む真冬の空気に頬を晒して、バーナビーは小さく喉を鳴らした。先程まで身を置いていたホテルの姿が、次第に遠ざかっていく。

「式っていや、今年の受賞者には20そこそこの天才がいるらしいじゃねえか。すげえよなあ。頭ン中どうなってんだか」
「…………」
「しかもモデルみてえにスラッとしたイイ男なんだとよ。金に地位に容姿か。幸せなモンだよなあ」
「……そうでしょうか。僕は平凡な幸せが一番だと思いますよ」
「そうかあ?」
「親がいて兄弟がいて友達がいて好きな人がいる。……きっと、それが何より幸せなんです」
「へえ。お客さん若いのに悟ってるねえ」

親も兄弟も友達もいない。好きな人はいるけれど、想いが届く可能性は限りなくゼロに近い。バックミラーに映った自身の顔を見て、舌の付け根が苦くなる。この世に未練を残すことのないよう、狭い世界だけを見て生きてきた筈なのに……どうして、出会ってしまったのだろう。
落ち着かない気分で首元に手を当て、そこにネックレスが無いことを思い出してまた気分が重くなる。煙草のひとつでも嗜んでおけば、気休めにでもなったかもしれない。酒の一杯でも煽っておけば、気を大きく持つことが出来たかもしれない。忙しなく指先を擦り合わせて、外の景色に視線を向ける。無機質なビルの群れは、少し目を離した隙に広大な森林へと移り変わってしまっていた。

「ここで大丈夫です」
「……本当にここでいいのか?ここいらには何もないぞ?」
「構いません」

訝しがる運転手に礼を言ってタクシーを降り、月の光さえ届かない森の奥へと足を進める。革靴の下で枯れ葉が鳴き、左右で木々がざわざわ騒ぐ。最後にここを訪れたのは一週間ほど前になるが――不思議と、何年も"帰ってきていない"ような錯覚に陥ってしまう。
苔の生えた石段を登り、錆びた門を両手で押し開ける。水の出ない噴水。図体ばかりでかい、今にも崩れ落ちてしまいそうな屋敷。二束三文で買い取ったものだ。どうせ燃やしてしまうのだから、外観にこだわる必要はない。大切なのは内装だ。細部にまでこだわり抜いたせいで業者には相当な無理をさせたが、家具の一つから蝋燭の一本に至るまで、同じでなければ意味がない。

「ただいま、父さん、母さん」

子供じみた声を上げて、ゆっくりと入口の扉を開く。右手側に階段、左手側に奥へと続く細長い廊下。記憶通りの風景に、自ずと目頭が熱くなる。"ただいま"の音を合図に、粛々とオペラが流れ始めた。

『バーナビー、こちらへいらっしゃい。あなたの大好きなケーキとロールキャベツがあるのよ』
『お前の為に父さんと母さんでプレゼントを作ったんだ。ほら、世界に一つしかないロボットだぞ』
『もう、あなたったら!先に食事をして、バーナビーが寝てからプレゼントを置きに行く約束だったでしょう』

破れた地図を辿るように、記憶を掘り起こしていく。すっかり大人になった身体で、もう一度"あの日"に還っていく。僅かに開いた扉の向こうに、あの日のままの父と母の姿が見えた。――笑っている。笑うようにプログラミングされているのだから、当然のことなのだけれど。

「メリークリスマス、父さん、母さん。……やっと会えましたね」

銀の燭台に手を伸ばし、ライターで蝋燭の先に火を燈す。最初は緩やかに、それから煌々と。爪の先ほどの赤い炎が、酸素を食って踊り始める。生きる意味は果たした。死にゆく意味を理解して欲しいとは思わない。バーナビーの末路を知れば、虎徹は"きっと"怒るだろう。真っ直ぐに生きてきた彼に後味の悪い思いをさせてしまうことだけが心遺りだが――。



(次に会ったときに話すって……何のことだったんだろう……)



20年間両親のことだけを思って生きてきた筈なのに、いざそちらへ向かうとなると、虎徹のことばかり考えてしまう。憎まれ口を叩き合いながら研究に励んだこと。わざわざ、誕生日を祝いに来てくれたこと。身を呈して庇ってくれたこと。最期の電話。――初めての恋。
震える手が燭台を押し倒し、真っ赤な絨毯が炎に包まれていく。照り返しを受けたバーナビーの顔は空恐ろしくなるほど冷静で、その容姿が桁外れに整っているからこそ余計に、全てが狂気じみて見えた。長い睫毛が揺れる。口角が持ち上がり、唇の隙間から舌が覗く。"バーナビー、外に出ろ!"。"私達は大丈夫だから"。"お前は助けを呼んで来るんだ!"。

「……行きませんよ」

閉じた瞼の奥底で、4歳のバーナビーが走り出す。選択肢を間違えたあの日の自分。止まっていた時計が再び時を刻み始める。

「ずっと一緒です」

母の足を炎が包み、父の腕が熱に蕩けた。科学繊維の燃える匂いで意識が朦朧とする。もう何も考えられない。――その時、誰かがドアの向こうで。「バニー」と叫んだような気がした。





――――





ブルースクリーンの上を走る、複雑怪奇な記号と数式。聞いたこともない科学薬品の名が連なった配合表の端には、バーナビーの署名がしっかりと刻み込まれている。

「これは……間違いなくアンドロイドの設計基準だな。私が保管しているものよりも随分と改悪されているが……」

掛けても掛けても繋がらない電話に痺れを切らした虎徹は、どうせ無駄だと悟りながらも、バーナビーと同じ式典へ列席していたであろう斎藤の元に連絡を入れた。虎徹が譲り受けたネックレスがバーナビー"個人"のものである以上、その中から出てきた記憶媒体が何であろうと、斎藤を巻き込むのはお門違いだ。「夜中に下らないことで電話をしてくるな」と叱り飛ばされることを覚悟で事の顛末を語る虎徹に、斎藤は小さく溜め息を吐いて「そのネックレスを持っていつもの研究室へ来い」と言った。電話口から届いた声はいつもの甲高いウィスパーボイスだったけれど、その代わり映えのない個性的な声が、動揺しきった頭を落ち着かせてくれたことに間違いはない。何故、バーナビーが虎徹にこれを托したのか――彼は今、どこで何をしているのか。寸分の迷いもなくコートを羽織った虎徹は、眠りについた娘の額に触れるだけの優しいキスを落とすと、眠る街に向け忙しなくその身を翻した。

「あー……つまり、バーナビーが何かしら手を加えたっつーこと?」
「こことここを見比べれば、新たに声帯と唇の動きを連動させ、更に声帯の動きを読んで手足の擬似筋肉を動かすプログラムが加えられていることくらい分かるだろう」
「わっかんねーよ!」
「しかし……このプログラムは効果の割に容量を食うからと試作段階で削った筈なんだが……セーフティーシステムを外してこれを加えることに一体何の意味が……」
「セーフティーシステムゥ?」

二人並んで腰を下ろしたモニターの前、虎徹が大袈裟に四肢を投げ出したのを見て、斎藤が深い溜め息をこぼす。虎徹はズブの素人だ。何を打ってもいい音が響く天才のバーナビーを相手にしているならばトントンと話が進むのかもしれないが、身体一本で生きてきた虎徹のような男には、カガクもアイティーも宇宙と同義。肝心要の単語が何なのかは、それとなく雰囲気で読めるのだが――。
二十四時間営業の売店で購入したというアイスクリームにスプーンを突き刺しながら、斎藤がぽつりと吐き零す。"危険を察知して人命を最優先させるシステムのことだ"。左の耳から右の耳へと抜けていった難解な言葉。三度反芻して、漸くそれが意図することを理解する。人命を最優先させるシステムを外すということは、人命を最優先しなくともいいということだ。それこそ、アンドロイドを使って人を殺すことも不可能ではない、と。

「……っても、セーフティーシステムを外したところで、バニーが人殺しをするようには思えねーしなあ……あ、誰かに脅されてるとかは?」
「可能性がないとは言わないが、それならわざわざ両親に似せたアンドロイドにしたりはしないだろう。バーナビーは、ロボット工学者だった両親を何より尊敬していたからな」
「…………あ」

完成したアンドロイドと対面した時に抱いた既視感は、ベッドサイドに飾られていた家族写真の中の顔を"無意識のうちに"呼び起こしていたことによるものだったのか。綺麗に整えた顎髭を手でなぞりながら、虎徹はうんと首を傾げる。助けを呼ぶように言われて家を飛び出し、独りだけ命拾いした4歳のバーナビー。胸に罪悪感を抱いたまま成長したその"少年"は、日常の全てを排斥しながらアンドロイドの研究に没頭する。人には言えない目的の為、両親を模した彼らに"声帯"と"動き"を与え"人命を優先する"システムを外して――。

「!……バニーは何処だ!」

不意に脳裏を過ぎる嫌な予感。死臭を纏ったそれが根拠のない確信へと姿を変えたその瞬間、虎徹は殆ど叫ぶようにして、斎藤の肩に取り縋った。ただ杞憂ならば、それに越したことはない。「馬鹿げた妄想は止めて下さい」と笑ってくれるなら、何度でも頭を下げると誓う。……好きだ。男だとか女だとか、年齢差だとか地位の差だとか――しがらみは多々あるけれど、それでも――今更、気持ちに嘘はつけない。愛する人を亡くすのは、一生に一度きりでいい。

「……バーナビーがアンドロイドを連れているのなら、居所を掴めないことはないぞ。実は、誰にも内緒でこっそりと探知器を埋め込んでおいたんだ。私の発明したこの探知器なら――」
「……!」

握り締めた拳を解くと、掌の中央に四つ、三日月型の爪痕が残されていた。身体の傷は目に見える。心の傷は、誰の目に触れることもないまま、いつまでもそこに残り続ける。バーナビーの無言の悲鳴は、虎徹にしか解けない"bunny"の鍵の向こう側から、確かに今、ここに届いた。








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