冷たいシャワーで身体を清めて、固いベッドに身を投げる。知らない誰かからのプレゼントはブランド物のハンカチだったが、それがバーナビーの私物になる日は、この先"永遠にない"だろう。好意は重い。人間関係は面倒臭い。誰かに干渉されるのはいつだってとても厄介で不愉快だ。――変な仇名を付けて呼んだり、無理矢理、食事に連れ出したり。

「…………」

チェストの上に置いた家族写真の中のバーナビーは、彼自身がとうの昔に捨ててしまった、無邪気な笑みを浮かべている。写真に魂を抜かれてしまったかのように、バーナビーの時間は止まったままだ。研究、研究の日々。全ては"目的"あっての事なので、後悔したりはしないだろうが――やはり時々、考える。家族を亡くしていなければ、自分はどんな風に人生を謳歌していた?
カン。不意に響いた音に驚き、手探りで枕元の眼鏡を掴む。カンカンカン。立て続けに鳴った音は、階段を上る音だ。段々と近付いてくるそれに意識を集中させながら、バーナビーは足元に立て掛けられていたモップの柄を握り締める。こんな所で死ぬのは御免だ。今はまだその時じゃない。

「バニー、いるか?」
「……あなたは……!」

甘さの混じった低い声。扉を叩く音に拍子抜けした声で答えて、バーナビーはゆっくりノブを引く。……虎徹だ。一時間以上前に帰った筈の彼が、何故、ここに居るのだろう。
きょとんとした顔のまま黙り込んだバーナビーに、虎徹がずいと袋を差し出した。ケーキショップ・ルルイエの文字が踊る箱は、彼に不似合いのファンシーなデザインだ。ターキーとワインも。一体全体、何のつもりで。

「……何です、これ?」
「誕生日プレゼントだよ」
「……僕に?」
「俺とお前しかいなくてお前の誕生日が今日なら、そうなんだろ」
「意味が分かりません。何故、こんな真似を……」
「理由なんてなくていーの!」

「入るぞ」と口にするや否や、強引に進入してきた虎徹に、バーナビーは呆れて言葉を失う。毎日一緒に過ごしているのだから、プレゼントを渡してきた女より親しい関係にある事に違いはないが、それでも誕生日を祝い合うような仲でない事だけは確かだ。またか。また過干渉な真似をするのか。

「チーズとクリームとチョコレート、どれがいい」
「食べませんよ」
「チーズな、了解」

ベッドサイドに腰掛けて、チェストの上にケーキを並べて置いた虎徹は、メッセージプレートの乗った皿をバーナビーの胸元に押し付けると、子供のように歯を剥いて笑った。

「ハッピーバースデー、バニー。酒、飲めるか?」
「……勝手にして下さい、もう」

押しが強いのも才能か。投げた匙の落ちる音が聞こえたような気がして、バーナビーは力無く天井を見上げる。すっかり家主の顔になった虎徹にこっちへ来いと手招きされて、バーナビーは素直に虎徹と並んだ。安いパイプベッドが、短い悲鳴を上げてしなる。

「なあ、あの写真……お前の家族か?」
「ええ。4歳の僕と両親です。両親もロボット工学者で、この道ではかなりの有名人でした」
「へえ、カエルの子はカエルだな。それでも、親御さんとは離れて暮らしてる訳だ?」
「……両親は死にました。僕が4歳の時に火事で……二人とも」
「――!」
「助けを呼ぶようにと言われて家を出た僕だけが命拾いしたんです。……もう20年の前の話になるんですね」
「……そうだったのか」

大変だったな。お節介の虎徹が口にしたのは意外にもその一言だけで、その不器用な気遣いが余計に、バーナビーの涙腺を刺激した。ワインが回り始めたせいだろうか。誰にも話したことのなかった両親との思い出が、ぽろりぽろりと口から零れる。隣でターキーをかじる虎徹は今日だけやたらと寡黙な男で、時折、慰めるように肩や頭を撫でられる以外は、何の反応も無かった。ケーキの甘さが舌を犯す。時計の針が回り始める。3本目のワインを空けたところで、ゆっくり瞼が重くなった。睡魔が瞳の奥で跳ね、酩酊した脳が指先を痺れさせて……段々と視界が……落ちていく……。

「お、じさ……ん……」

側にいて。そう言いかけた唇を最後の理性が呼び止める。優しくされた途端、甘えたくなるなんて馬鹿だ。奥さんがいて、メカニックとも打ち解けていて、半年も経たずに他人になる相手を求めて――自分は本当に馬鹿だ。

「……バニー」

睡魔に支配される直前、唇に何か柔らかいものが触れたような気がしたが――あれは気のせい、だったのだろうか。





―――





揃えて閉じられた膝の上で、陶器の皿が音を鳴らす。酒に染められた頬は赤く、緑色の目は今にも蕩けてしまいそうだ。黒のVネックシャツの胸元から覗く柔らかそうな筋肉に視線を向けて、虎徹はごくりと唾を飲んだ。酒を買ってきたのは、間違いだった。このシチュエーションはよくない。絶対に、悪い方向へと向かっているに違いない。

「バニー、これ以上は飲むなよ……悪酔いするぞ?」
「だあいじょうぶですって!ぼく、もおにじゅーよんさいですよ!」
「既に大丈夫じゃねえだろ!」
「ふふ……」

金色の髪がふわふわ舞って、華奢な首がぎこぎこ前後に船を漕ぐ。まるで子供だ。笑った顔が見たい……とは確かに思ったけれど、これは違う。色々とだだ漏れすぎて、見ているこちらが辛くなる。虎徹は頭を抱えて、バーナビーの手から素早くグラスを奪い取った。膝からも皿を取り上げる。一刻も早く寝てしまえ。

「お、じさ……ん……」

色気のない呼び名と共にぺたりとしな垂れかかられて、虎徹は身を硬くした。高級なシャンプーの甘ったるい香りが、鼻先に届いて背筋が伸びる。間近でみた顔は造り物のように綺麗で、僅かに曲がった睫毛さえ、完成されたもののように見えてしまう。

「……バニー」

一回りも年下の生意気な奴に、すっかり参ってしまったのだ。悲しい生い立ちを嘆くことなく、気丈に振る舞うバーナビーの健気さが、愛おしさに一層の拍車を掛ける。可愛い、好きだ、惚れてしまった。枕の上に頭を乗せてやりながら、額に掛かった髪を払ってやると、バーナビーは軽く瞼を震わせて、長い指をきゅっと丸めて唸った。……無防備な相手に仕掛けるのは卑怯だと分かっているのに、本能が留め金を奪う。横たわった身体に覆いかぶさり、ふっくりとした唇に触れるだけのキスを落として、虎徹ははーっと息を零した。手が小刻みに震えている。緊張しすぎて、頭がどうにかなりそうだ。

「好きだ……」

二回目のキスは先程よりも甘く、そして長かった。マシュマロのように柔らかいそれを夢中で吸い上げ貪りながら、自分で自分を殴り倒したいような、漠然とした怒りに視界が赤くなる。同意も得ずに唇を奪うなんて最低だ。生まれてこのかた今日まで一度も、理性が欲望に負けたことなんてなかったのに……爆発した欲望はもう、止められない。

「好きなんだよ……!」

仕事が終われば会えなくなる。サンプルと研究者の関係はいずれ他人に戻ってしまう。二人を繋ぐのはこの殺風景な部屋だけで、他には何も存在しない。連絡先を渡しても、それはすぐにダストボックスへと投げ込まれて屑へと姿を変えるのだ。……どうしたらいい。彼の気持ちを射止めるには、何をして気を引けばいい?
乱暴に髪を掻き毟って、そのままばたんと倒れ込む。純白の枕の上で、二色の髪が混ざり合い絡み合っている。虎徹が今、当たり前のように寝そべっているこのベッドが――この仮眠室が。バーナビー以外の人間の進入を一度も許さなかった場所だと知っているのは……他でもないバーナビー、ただ独りだけだ。深淵を覗く者は深淵からも覗かれている。求める者は、また等しく求められている。

――翌朝。二日酔いの頭で目を覚ましたバーナビーは、腰に回された硬い腕に狼狽して、殆ど跳ね上がるように身を起こした。小さなシングルベッドの上で、恋人のように絡み合って寝たのか。何にせよ、気持ち良さそうに寝息を立てている虎徹を叩き起こして「どうしてこうなったのか」と問い詰めたところで、余計に恥をかく羽目になる事は分かりきっている。失態は失態。気持ちを切り替える事も大切だ。
よほど深く寝入っているのか、バーナビーが隣で身をよじっても、虎徹が目覚める気配はない。目尻に刻まれた細かい皺が、歳を重ねた大人の色気をほんのりと匂わせている。左の手首にはブレスレットと時計が、薬指には指輪が。それぞれ存在を主張していて、それらを視界に入れた瞬間、急に胸が苦しくなる。他人の領域には土足で踏み込んでくるくせに、自分の領域に他人を入れようとはしない。そういう男は大概卑怯だ。……どうでも、いいけれど。

「……鬱陶しいんですよ、おじさん」

感情を殺すことに慣れきっている、渇いた自分に嫌気がさす。食べ残したターキーとケーキを冷蔵庫に放り込みながら、バーナビーは顔を歪めて舌を打った。造りものの眼球が、嘲笑うようにこちらを見ている。踊っている。





―――





不機嫌をそのまま顔に塗りたくったような顔をして試験管を覗き込むバーナビーに、虎徹は無言でバツの悪い視線を向ける。最初は、キスをした事に気が付いていて、それに対して怒っているのだとばかり思っていたのだが、ぽつりぽつりと交わした数少ない会話を拾い集めた限り、彼は虎徹の暴走を微塵もらないようだ。気を抜くと丸みを帯びた唇ばかり注視してしまう自分を叱責して、虎徹は再び視線を伏せる。バーナビーの横に寝かされた試作品のアンドロイドは青年男子の体格を模していて、ぽかんと開いた二つの穴に人工の眼球カメラを繋げれば、もう殆ど生きている人間と区別がつかない程だ。

「なあ」
「…………はい?」
「お前さ、夢とかあんの」
「大雑把な質問ですね。……夢、ではないかもしれませんが、目標ならありますよ」
「目標?」
「僕がアンドロイドの研究に没頭している理由。……目標というより目的、ですね」
「何だよ、世界征服とか?」
「秘密です」

話すつもりなどさらさらないのだろう。宝石のように輝く綺麗な瞳には、秘密の色がよく似合う。これ以上詮索するのは野暮だと見切りを付けた虎徹は、デスクの上に積まれた科学雑誌を掴んで、ちんぷんかんぷんのコラムに気のない視線を投げた。バーナビーの特集ページには【新進気鋭の天才科学者がヨーグ科学賞を受賞、最年少記録を大幅に更新】の文字が仰々しく飾られている。受賞式の写真は今から何年前のものなのか。輪郭が少年の名残を残していて、今よりも稚けない雰囲気だ。

「今は可愛いっつーか綺麗だもんなあ……いや、可愛くもあるんだけど」
「はい?」
「別に何でもな――――ッバニー!危ねえ、避けろ!」
「!」

動物の勘か、偶然か。バーナビーの背後に設置された耐久試験機の中の腕がビクビクと痙攣して弾け飛ぶ瞬間を、虎徹は決して見逃さなかった。
掌から滑り落ちた雑誌が床を叩き、その上に割れた硝子の雨が降る。既に現役を退いているとはいえ、数ヶ月前までは筋力勝負の現場に居たのだ。右足で床を蹴り、左手で白衣の腕を引き――決して小さいとは言えない身体を、自身の胸に抱き込んだ、その時――背中に"何かが"降り注ぎ、痺れるような感覚が脳髄を支配した。

「ッ…………!」
「――虎徹さん!」
「怪我はないか、バニー!?」
「僕の心配をしている場合じゃないでしょう!試験機の中身は熱湯ですよ!100度近くあるんです!それに硝子……っ、血が!」
「へへ、俺、今格好よかっただろ」

火傷と裂傷。患部に手を伸ばしたバーナビーは、赤く腫れ上がった皮膚に息を呑んで、すぐさま携帯のボタンを叩いた。

「急患です!ブルックスの研究室に至急、担架をお願いします。……火傷です……症状は重度です……はい、お願いします」

血で染まったシャツを脱いで、肩で呼吸をする虎徹は、本当にとても苦しげだった。噛み締めた上下の歯の隙間から苦しげな呻き声が漏れる度、バーナビーの眉間に寄った皺も、自然とその数を増していく。

「すぐに救護班が来ます。それまでこれで冷やしていて下さい」
「すげ……保冷剤まで……揃ってんだな」
「動かないで。……止血に障りますから」命令するような口調とは裏腹に、その声は酷く掠れている。傷口に触れたハンカチが小刻みに震えている事に気が付いて、虎徹は静かにバーナビーを見上げた。

「…………どうして」

眼鏡の奥の瞳から、ぽとりと一粒、涙が落ちた。続けて二粒、そして三粒と。それはまるで梅雨の終わりの雨のように、ぽつぽつ、ぽつぽつと、絶え間無く静かに頬を伝う。どうして、と言われても、身体が勝手に動いてしまったのだから説明する事は出来ない。虎徹は痛む傷の事も忘れて、勢いよくバーナビーの肩を掴んだ。

「泣くなよ、なあ、泣くなって……」
「…………っ」
「……勝手な真似してごめんな」

神妙な面持ちで謝罪の言葉を紡ぎながら、反面、虎徹は心の中で全く違う"想い"を燻らせていた。

「お前が無事で良かったよ」
「……僕は、良くない、です」
「そうだよなあ、ごめんな」
「子供扱いしないで下さい!」

今より先の未来で、また同じような事故が起きたとしたら。――その時は、バーナビーを泣かせることになったとしても、彼の為に身を投げ出すだろう。
床に悲惨したガラス片の上で、自由になった作りものの腕が、打ち上げられた魚のようにぴちぴちびくびく跳ねている。容姿端麗、頭脳明晰、加えて富と名声まで持ち合わせている"天才科学者"。高嶺の花にも程があると、自覚しているつもりではあるが……無防備な寝顔や子供じみた泣き顔を目の前にして、素知らぬふりなど出来るものか。
仄かに赤く染まった頬、そこに流れる涙を指先で拭って、虎徹は優しい笑みを浮かべた。愛に愛を返してもらえるとは思えない。幸せな未来は無いかもしれない。……それでもいい。側にいたい。最愛の人を亡くしてからずっと、光なき穴の底に沈んだままになっていた感情に、漸く、一筋の光が差し込んだ。





―――





事故の原因は、耐久試験装置の老朽化だった。経年劣化に強い耐熱硝子を使用していたものの、僅かな劣化の重なりが高負荷の実験の連続に限界の悲鳴を上げ、破裂してしまったのだと言う。アンドロイドの開発自体が、未開の地を手探りで行くようなものなのだ。想定外の事故は当たり前、むしろ人命に関わるような大事にならなくて良かったと上司から肩を叩かれて、バーナビーは曖昧に顔を曇らせるより他なかった。虎徹の怪我は、全治1ヶ月の重症だった。良かったとは到底、思えない。

「いやー、あの時の俺、マジで格好良かったよなー!フツー、咄嗟に身体動かないって!」
「……自分で言わないで下さい」
「んだよ、相変わらず冷たいなあ、バニーは。俺のこと心配して泣いてた時は、あーんなに素直で可愛かったのに」
「………………」
「……調子乗りすぎた。ごめんな?」

事故から数えて5日目の朝。久しぶりにラボへと顔を出した虎徹は、以前と変わらぬ気安さで、バーナビーの隣に腰を下ろしてきた。斎藤から聞いた話によると「最低でも1週間の入院が必要だ」と説明する医師に噛み付いて、入院期間を3日にまで縮めたのだという。最新の医療技術に頼るよりも、愛する家族の元で療養した方が心身共によいのだろう。電話口の"奥さん"に向かって猫撫で声を上げていた虎徹の姿を思い返して、バーナビーは静かに目を伏せる。

「怪我の具合は、どうですか」
「へーきだって。だから、あんまり気に病むなよな」
「……本当にすみませんでした。僕を庇ったせいで、こんな……」
「やめろよ、湿っぽくなるだろ!娘にだって『ドジ!マヌケ!』って散々罵られたっつーのに、お前が気ィ遣うなって」
「……む、すめ?」
「ん?あー、俺の子供、な。今10歳なんだけど、反抗期なのかすげー生意気なんだよ。やっぱ父親は娘に嫌われる運命なんだよなー」
「お子さんがいたんですね」

大袈裟に歎く真似をする虎徹の横で、バーナビーは気の利いた台詞ひとつ掛けられないまま、じっと自らの掌を睨み付けていた。全ての音が、耳の表面をすり抜けていく。いやに優しい虎徹の態度が"子を持つ親故のお節介"と結び付いた瞬間、バラバラに散らばっていた点と点が、一つの大きな円を描いた。暗い地下室に篭ったまま、たった一人で実験ばかりを繰り返している自分は、傍目に見て"可哀相"なのだろう。同情を同情と見せない真の優しさには頭が下がる――が。どうしてだろう。胸の奥が、痛くて仕方がない。

「お前が載ってる雑誌見せたらさ、この人カッコイイ!会わせて!って大変だったんだぜー?」
「はあ」
「……ま、暇があればうちにも遊びに来いよ。ブロンズだし、娘と二人暮らしの殺風景な部屋だけどさ。流石の俺でも、茶くらいなら出せるし」
「娘さんと……二人?無躾ですが、奥さんは……?」
「5年前に病気で……ってアレ、お前俺の資料見てないわけ?その辺のことも全部書いてある筈なんだけど」
「え、あ、いや……身体の方のデータには全て目を通したんですが……」
「人となりには興味なし、と」
「……すみません。後で見ておきます」
「いーよ、見なくて。こうやって話ながら一個ずつ知っていくのも悪くないだろ?……その、俺もまあ、バニーの事とか色々知っときたいし、な」
「僕のこと?」
「ん」

真新しい耐久試験機の硝子に指を這わせたまま、バーナビーは振り向かずに小さく首を縦に振った。嬉しい。虎徹に気を向けてもらえるのが、嬉しくて嬉しくて仕方ない。
来月には、プロトタイプのアンドロイドのαとβが完成する。バーナビーの研究の集大成であるその2体に命を宿したら……全ての役者が揃うのだ。全ては慎重に、隠密に。斎藤にも虎徹にも、決して悟られないように。

「な、それよりもう"虎徹さん"って呼んでくれねーの?」
「……何がです」
「まったまた、とぼけんなって!俺の上に熱湯がかかった時『虎徹さん!』って呼んでくれただろー?」
「呼んでません」
「呼んだ!」
「呼んでません!呼んだとしても、これから先二度と呼びません!」
「ほら呼んでんじゃねーか!」
「……あー、もう!」

出会った瞬間から幾度となく繰り返してきた"口論"。一瞬の沈黙の後、二人は顔を見合わせて、同時に表情を崩した。年齢も生い立ちも置かれている境遇にも共通点は見当たらないのに、磁石のように惹かれ合ってしまう。運命。陳腐な言葉かもしれないが、今はそれさえ愛おしい。

「虎徹さん」
「!」
「……ありがとう」

無意識のうちに零れた笑顔に虎徹が見惚れているとも知らず、バーナビーは上機嫌のまま白衣に両の腕を通した。或いはこの時、お互いがお互いの胸に芽生えた"恋愛感情"を吐露するか……読み取るか出来ていれば。最悪の自己完結に向けて走りだしたバーナビーのトロッコを、止められていたのかもしれない。――今となっては何もかも、後の祭でしかないのだが。





―――






反芻しては頬が緩み、反芻しては目尻が下がる。高すぎず低すぎずの舌足らずな声によって紡がれた自らの名前に、虎徹は始終、蕩けっぱなしだ。
背中の怪我は決して芳しいと呼べる状態ではないが、それでも、バーナビーに会いたいが一心で無理を押して彼のラボに通った。バーナビーを庇ったことで、彼との距離が一気に近付いたような気がするのは、全くの気のせいでもないだろう。今では、毎日二人で一緒に昼食を取るのも日常、仕事終わりに飲みに行くのも日常。すっかり打ち解けた二人を見たネイサンが「アンタどうやって難攻不落のハンサムを落としたのよォ」と耳打ちしてきたところを見ると、虎徹自身が感じている以上に、二人の関係は前進しているのかもしれない。
鼻歌混じりに階段を下り、カードキーを差し込んでラボのロックを解除すると、部屋の中にいた斎藤とバーナビーが、同時にこちらを振り返った。二人共、今日は白衣を纏っていない。よそ行きのスーツで全身を武装したバーナビーは、一瞬だけバツの悪そうな顔を覗かせて、面食らう虎徹に背中を向ける。

「ちょうど良かった。虎徹さん、こちらへ来て下さい」
「へっ……?」
「貴方のデータを打ち込んだアンドロイドです。……完成体の」

バーナビーの後に続いて入った小さな部屋の中は、どこまでも無機質で寒々としていた。中央には、"アンドロイド"が2体。そのどちらともが白人で、男と女の姿をしている。正直、一見しただけでは、人間と区別することが出来ない。皮膚の質感も髪の毛流れも何もかも、生きている人間より人間らしい程だ。魔術。ふと、そんな単語を頭の中に思い浮かべて、虎徹は思わず腕を擦る。過ぎたる科学に対する畏怖が、頭より先に感覚を震わせ、鳥肌となって体内から逃げ出そうとしているかのような――感覚。けれど、そう感じているのは虎徹一人だけなのだろう。長い睫毛を伏せたバーナビーは、喜怒哀楽の全てを殺した完全なる無の表情で、アンドロイドを注視している。

「……すげーなあ、おい。まるで生きてる人間じゃねえか」
「僕の研究の……あ、違うな。"僕と斎藤さんの"研究の集大成、です。あと、虎徹さんも」
「バカ、俺は何もしてねーよ」
「謙遜しないで下さい。データの件は勿論、事故のときも僕を助けてくれたじゃないですか。……それに、僕の背中を押してくれた」
「背中?何だよそれ」

苦笑して肩を竦めた虎徹に、バーナビーも笑顔で「秘密」と答える。背中を押していたのだろうか。極端に要領の少ない記憶スペースを探ってみても、それらしい出来事は見当たらない。ただ、自分の知らないところで、バーナビーの心の琴線に触れる行動をしていたのだとしたら……彼の中で、虎徹に対する好感度がひっそりと上昇していたり……することを信じたい。

「そういや、お前、今日はスーツ姿なんだな」
「ええ。実は、今から最先端科学技術賞の表彰式なんですよ。僕達の研究が、世界に認められたんです」
「……っすげーじゃねーかバニー!おめでとうな!」

学術に明るくない虎徹でも「最先端科学技術賞」の名前くらいは知っている。永久電池に火星コロニーに人工臓器。教科書にも載る"天才達"の功績が、何十年と続く賞の礎となり名誉となり、その名をより高いところへと押し上げているのだ。……24歳の若さでその栄冠に輝くことが、一体、どれだけ凄いことか。虎徹は、まるで自分の事のように頬を赤く染め上げて、はにかむバーナビーの身体を、腕いっぱいに抱きしめた。どさくさ紛れに擦り寄せた鼻先が、柔らかい髪の先に触れる。……シャンプーの甘い匂いだ。決して華奢な身体ではないのに強く抱くのを憚ってしまうのは、建前と本音の間で心が揺れているせいなのかもしれない。

「虎徹さん、これ。僕から、あなたに」
「へっ?」
「ネックレスです。これ、値段が付けられないほどのプレミア品なんですよ?」
「……バニーが付けてたやつじゃねーか。いいのか?」
「ええ。……大切にして下さいね」

白い掌が宙を踊り、虎徹の首にネックレスを通す。金プレート1枚のシンプルなデザインのそれは、虎徹の浅黒い肌に驚くほど不釣り合いだった。

「当たり前だろ。すっげー大事にする……ありがとうな」

ああ、これで最後なんだと、虎徹は泣きそうになる顔を隠して奥歯を食いしばる。名誉ある賞を受賞したバーナビーは、明日から虎徹と他人になる。二人を繋ぐ"研究"が終わってしまったのだから、それも当然のことだ。アンドロイドさえ完成しなければ……いや、せめてもう少しだけ、完成が遅れてしまっていれば……もっと近くでバーナビーの笑顔を、見つめていられたかもしれないのに。

「…………?」

その時、不意に、何故だろう。忌ま忌ましいとばかりに睨みつけたアンドロイドの顔に奇妙な既視感を覚えて、虎徹は太い眉の根を寄せた。二人とも、どこかで会ったことがあるような気がするが――。


(全っ然、思い出せねーや)







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