ずっと好きだった。この一年間、ずっとずっと好きだった。

平手で張られた頬がじんと、悲しい熱を孕んで痛む。背中を預けた鉄塔の柱は錆び付いていて、その赤茶けた鈍色がより一層、バーナビーの涙腺を緩くさせる。街外れの工業地帯に残された旧電波塔は、絶対に誰とも顔を合わせずにすむ、格好の隠れ家だ。ジャンプ能力や浮遊能力を有するネクストでもない限り、バーナビーの居る鉄塔の頂上まで来ることは不可能と言っても過言ではないだろう。

突然の失恋は失望を引き連れてバーナビーの元へとやってきた。"何があってもこの人だけは信じられる"と思っていた相手に、嘘を吐かれてごまかされて。カッとなって暴言を吐き、本格的に怒らせてしまった。――誰よりも優しいあの人に、手まで上げさせてしまったのだ。謝って許される問題ではない。それこそ、もう二度と合わせる顔がないとさえ、考えてしまう。

一年前、事件現場で初めて言葉を交わした時、一もニもなく頭ごなしに古臭い説法をかまされてひどく腹が立ったことを、今でも鮮明に覚えている。ろくすっぽ活躍もしていないような時代遅れのヒーローに口出しをされる筋合いはないと、あの時は本気でそう思った。マーベリックにコンビを解消したいと訴えた時に「目的の為に頑張りなさい」と宥められていなければ、今頃、二人は全く別の道を歩んでいたに違いない。関わりたくない、本心を見せたくない、誰かに頼るつもりはない、独りでも寂しくはない。仇討ちの銘の下、頑なに鎖してきた心の壁を叩く拳が鬱陶しかった。バーナビーの誕生日に、ヒーロー仲間を集めてサプライズをするつもりだったと聞いた時には、取り繕うことさえ忘れて罵ってしまった程だ。面倒臭くて格好悪い男。好きになる要素なんて一つたりともありはしないと、昔のバーナビーなら鼻で笑ってそう言うだろう。虎徹のお節介は大きな優しさの上に成り立っている。どれだけ手酷く突き放しても、根気強く追いかけてきて隣に並んでくれた彼に、心を惹かれたのは確かだ。信じてみたい、愛したい。恐る恐る伸ばした手で掴んだ"相棒"のポジションは、愛を知らずに生きてきたバーナビーの孤独に、大いなる光をもたらした。復讐を成し遂げた後も"ヒーローを続ける"と決めたのは、虎徹が好きだったからだ。虎徹の隣で悪と戦い、虎徹と二人で市民を守る。よくやったと肩を叩かれる度、飼い主に褒められた犬のように、尻尾を振って喜んで。――幸せだった。涙に暮れた日々でさえ、虎徹に出会う為にあったものだと思えば、辛くはないと笑える程に。



『本当はすぐにでも楓のところに帰りたいんだから!』
『でも今、仕事辞めるって言い出せる雰囲気じゃないんだよ……』



耳に飛び込んできた言葉は、刀にも似た鋭さを秘めて、バーナビーの心を切り裂いた。携帯電話に向かって喋る虎徹の口から"帰りたい・仕事を辞めたい"という単語が落ちた瞬間、曖昧に踊っていた点と点が、線となりひとつの真実を映す。無意識のうちに遮っていた"大切な話"から、もう逃げられなくなってしまった。虎徹は離れたがっているのだ。……帰りたいと望む虎徹の本音を、弱い自分が塞いでいるなら。縋るこの手を離せばきっと、彼は自由になれる筈だ。好きだけど、愛しているけれど――もう、側には居られない。

「っ…………!」

夕日に霞む空に一筋、悲しい涙の雨が落ちた。噛み締めた唇から漏れた嗚咽が、風に吹かれて拡散する。追われた三ヶ月、並んだジェイク戦、追いかけた一年。虎徹と過ごした幸福な日々が、過去へと姿を変えていく。今はもう、彼の背中を追いかける事さえ、出来ない。

「虎徹、さん……」

叶うなら、今すぐ追いかけてきて欲しい。鳴らない携帯電話を見つめて、バーナビーはすんと鼻を啜った。追いかけるのをやめれば終わる恋だと最初から分かっていたくせに、与えられる優しさに浸って溺れて、いい気になっていた自分が悲しい。どこかでほんの少しだけ、虎徹も同じ気持ちでいてくれるんじゃないかと、のぼせ上がって浮かれていた――。

「僕は、馬鹿だ」

馬鹿は死ぬまで治らない。こうなってしまった以上、頼れるのはマーベリックだけだ。今日まで自分を支え続けてくれた彼なら――きっと、少しくらいの甘えも許してくれる筈だ。明日からは独りで頑張れる。虎徹と過ごした"思い出"が、この胸に残っている限り。



――さあ、もう行こう。



落ちていく夕日の"赤"を背中に、ゆっくりと立ち上がったバーナビーの横で、丸々と太った一匹の蜘蛛が、蝶を捕らえて牙を剥いた。白い糸の上でもがく蝶は、やがてくたりと力尽き、そのまま二度と、動かなかった。


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