8/8「深掘りする脳の奥」
2023/08/09 02:37



今日はマティス展へ行った。展示数がかなり多いが平日ということもあってギチギチと言うほどでもなくかなり鑑賞しやすかった。

作品ももちろん素晴らしく、特にこういった筆跡の荒々しい油画が訴えかけてくるものはすごい。

特に窓辺のヴァイオリニストという作品が心に残った。
第一次世界大戦勃発後、息子を含む周りの人間たちが出兵する中残されたマティスが描いたいくつかの絵画は窓をモチーフにしていて、この作品は遠景、中景、そして近景のモデルのレイヤーごとの役割が違って面白い。

西洋絵画なので特に作者のルーツやその時の状況を重んじて鑑賞することが多いので、こういう物語性を感じる絵が好きだなぁと思った。

最近、彼氏が憎い。
どれくらい憎いかというと、普通に殺したいくらい憎い。私も死にたい気持ちがまぁあるので、机の上に叩いて被ってじゃんけんぽんみたいに包丁を2本置いて、突然刺し合いになって失血過多で死ねたらなんて幸せかしらと思ってしまう。
でも微塵も別れたいという気持ちがない。これは依存心で相手と一緒にいる表れだ。

最近ある漫画を読んだ。「愛と呪い」という作者の半自伝的な漫画だ。
すごく端折って描くと、裕福だけど機能不全家族に育った主人公が父親から酷い仕打ちを受けるも、父ではなく助けてくれなかった母への憎しみを募らせて心が歪んだまま大人になり、結婚するけどうまくいかず離婚する話だ。
この漫画の中で強く印象に残った文がある。
主人公が離婚直前に日記か何かに書き残した文章だ。

>(結婚相手に対し)私の「まともな親」になって、私を産んで育てて欲しかった。

この文章を読んだ時に、これだ!と思った。自分の考えていたことがすっとここに代入されるのを感じた。
母への憎しみのあまり、恋人に母を求めてしまう。これは、私の恋愛経験でも多くあることだった。

これって機能不全家族に育った「娘」と「母」のあるあるなんだろうか。
私の記憶の中の父は基本的に尋常じゃないくらい怒っていて暴れていたりして、なのに憎いのはなぜか母親だ。
そんな疑問をいくつかのワードに区切って検索していたら出てきた文章に「アダルトチルドレン」という単語が躍り出た。

それでアダルトチルドレンの生き方について書いている本を読んでみた。自分探しイズムさんというコラムニストの方が書いた電子書籍だ。
その本を読んで、親というか母にありのままの自分を受け入れてもらえなかったことを憎んでいることをなんとなく認識した気がした。

ありのままでは愛されないから小手先で努力して自分をよく見せよう自分なりに努力までして、それなのに彼氏に愛するための条件を提示されたから、結局お前も母と同じじゃん!みたいに重なっちゃって、そもそも彼氏の言い分も変なんですけどそれ以上に母と重なって憎くなったみたい。

ありのままを愛することを求めるのっていうのは恋愛的な意味もあると思うんですけど、私は今の彼氏にも今までの彼氏にも母性愛的な「ありのままを愛してほしい」を求めてしまっているところがあると感じる。

私が読んだ本では母性愛を恋人に求めることは間違っていると書いてあった。

幼児のように何事も与えられて当然という姿勢でいること、見返りを求めてしか何かを与えられない人は母性愛に飢えて甘えているだけだと。自分のことだと思った。

ちょっと使い方が間違っているかもしれないけど、ビジネス用語で言うギバーとテイカーでいうと自分は完全にテイカーだと思う。

本を読んで思ったのは自分の認知は歪みまくっていること、このままでは誰ともうまくいかないかもしれないぞ、ということ。
認知の歪みを治していくのに必要なのは、本を繰り返したくさん読むこと、カウンセリングや認知行動療法を通じて自分の歪みを認識すること。
そしてなにより、自分を認めたり、自分の考えを改めることに躊躇しないことだと考えました。


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