「おれ、何でこんなとこにいるんだろ……」 いや、何でも何も毎年の慣習なんだけど。 自分の呟きに心の中で突っ込んで、ただ眼前に広がる緑と青を眺める。 目の前には目が痛いくらいの鮮やかな青空と、それに対抗するように鮮やかな緑の稲が植わっている、だだっぴろい田んぼが延々と広がっている。 周りに緑が多いせいか木造の屋敷のせいか、日陰になっている縁側は予想外に涼しかった。 しかし、都会の暑さよりかはいいだけでクーラーの冷却パワーには劣る。 「あー……、なんもねえ」 ごろん、と寝そべると木の床がひんやりとして気持ちいい。そしてふと、この状況に置かれた理由を思い出した。
ことの始まりは、家族でばあちゃんの家に泊まる恒例行事についての話し合いだった。 「達男、今年はお前一人しか暇じゃない」 「……は?」 晩飯の後、そう切り出したのは父さんだった。 「父さんは仕事を休めそうにない。母さんは近所のトネさんの世話があって行けない」 「美樹は?」 「あたしは部活。お兄ちゃんはいいよねー、受験生でもう引退したんだもんね」 うちの先輩達も早く引退しないかなー、なんて髪の毛の先を気にしながら、妹は呟く。 「誰も行かないとなるとおばあちゃん寂しがるから、達男だけは行ってやって」 そんなことを母さんに言われて、断るほどの用事もなかったおれは、ただ頷くしかなかった。
「たつおー、お昼でも食べようかあ」 ばあちゃんの声ではっとする。 「んー、今いくよ」 よいしょ、と起き上って丸いちゃぶ台の前に座る。
お昼はそうめんだった。 ばあちゃんちの夏の昼飯は大抵これだ。 毎年思うけど、クーラーの効いた部屋で食べるそうめんよりも、ばあちゃんちで食べるそうめんの方がいつも美味しかった。 「今年は皆来れないんだねえ」 「あー、うん。みたいだね」 「達男も暇だろう」 「うん、まあ。勉強以外は」 ここ、大体圏外だしな。携帯もろくに繋がらない。繋がる場所を以前探してみたらあるにはあったけど、炎天下の中そこに行って携帯を触ろうとはとてもじゃないが思えない。 「それなら、近所でも歩いてきたらどうだい」 「近所?」 ここらへんに何かあったっけ? 小さいころから来ているから、見知った土地のつもりだけど。 「菱田さんとこの向日葵は大層立派だよ」 「へー、向日葵」 向日葵なんてあったっけ? まあ向日葵は食えんからな、うちはずっと米だなあ、なんて言うばあちゃんの呟きを聞きながら、脳内で向日葵畑を検索してみるけど思い当たる節がない。 菱田さんはどこの家の人だ? 「ばあちゃん、その菱田さんの家ってどこだっけ?」 「ん? 菱田さんとこかい? 縁側から見える田んぼの右にある道をずーっと向こうに行った先に、菱田さんの家があるよ。大きい向日葵畑があるから、すぐ分かるよ。散歩でも行ってくるかい?」 「……うん、そうしようと思う」 おれの反応が嬉しかったのか、そうめんを食べ終わったらばあちゃんは水筒に帽子におやつの飴まで用意してくれた。 懐かしさを感じるドロップ缶入りの飴をカバンに詰めて、行ってきますと声をかける。小さい時のおつかいを思い出して、ちょっとうきうきしていた。
が、そのうきうきも日差しの中を五分も歩けばとうに消え去っていた。 ばあちゃん、何分歩けば菱田さんの家が見えてくるんだよ? 鬱々としながら十五分も歩いたところで、前方にやっと黄色い山が見えた。あれか? それにしても、一キロは離れている距離だろうに黄色が眩しい。 これは予想外にいいものを見つけたかもしれない。 向日葵畑を馬鹿にしていたが、恐らく菱田さんの家の向日葵は地元の近所で見るような物とは違う。 進む歩調が心なしか速くなった。
向日葵畑に近づけば近づくほど、その大きさに驚いた。向日葵の背の高さにもだけど、畑の大きさにも、だ。
やっと向日葵に対面する頃には、汗でびしょびしょだった。 「すげーなー……」 家が二軒建つんじゃないかと思えるくらいの横幅の畑に、自分と同じくらいの背丈の向日葵がずらっと顔を太陽に向けている。おれが一七三センチあるから、この向日葵は一七〇は確実にあるわけだ。でかい。 暑いのも忘れてぼけーっと向日葵を見ていると、右の方から草木をかき分けるような音が聞こえてきた。 ガサッ。 「翔ちゃんみーつけたー!」 という威勢のいい声と共に、向日葵畑から何かが出てくる。 「あれ? 翔ちゃんじゃ、ない?」 出てきたのは同世代だと思われる女の子だった。女の子はおれの姿を見るなり瞳を大きくして驚いた。大きい麦わら帽子を被って、白いワンピースの裾が風で揺れている。 恐らく、おれの影に向日葵畑の中で気づいて『翔ちゃん』と勘違いして出てきたんだろう。 「えっと、あの、小さい男の子見てませんか?」 人間違いに気づいて恥ずかしくなったのか、女の子は頬を赤くしながら聞いてくる。 「いや、見てないけど。……菱田さんとこの人?」 「え? おじさんに何か用事?」 「いや、ばあちゃんに菱田さんとこの向日葵がすごいから、見に行ってみろって言われて」 「そうなの! ここの向日葵畑すごいでしょ!」 おれの発言に喜んだのか、彼女は満面の笑みでそう答える。素直に、可愛いと思った。 「……ここに住んでるの?」 「私? ううん、夏休みだけここに来てるの。翔ちゃんはおじさんの所の子供なんだけどね……あっ、翔ちゃんどこ行った?」 女の子は本来の目的を思い出したのか、また向日葵畑の中に入ろうとする。 「あ、あの!」 向日葵の中に入っていこうとする彼女を、つい止めてしまった。 「えーと、あの……」 話すことが何もないまま、カバンに詰めた飴のことを思い出す。 「これ、その男の子と食べてよ」 はい、とドロップ缶を差し出すと、彼女は驚いて目を大きくした。そして暫し考える素振りを見せた後、彼女はありがたいんだけど、と切り出した。 「二人で食べるのは勿体ないから、明日、君と翔ちゃんと私で食べたいな。いい?」 「あ、うん」 深く考えることもなく簡単に頷いてしまった。 「じゃあ、約束ね。明日も私、ここで遊んでるから」 彼女は笑ってそう言い、向日葵の陰に埋もれてしまった。 彼女が嬉しそうに見えたのが、おれの気のせいじゃないといい。
心臓の鼓動が、しばらくうるさかった。
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