Twinge | ナノ
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※流血、軽いグロ表現ありです。
※死ネタ注意。


Twinge
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澪田さんと親友さんのお話








彼女のことで溜息をつくのはこれで何度目になるだろう。








夏風が窓からそよ吹いて、私の髪を揺らす。
帰りのホームルームが終わったばかりの教室は、昼間よりは勢いの落ちた透明な暑さで満たされて、生徒達のだるそうな声を泳がせている。
私は自分の首につけたチョーカーを左手でいじりながら、ボソリと言った。


「……唯吹さあ。」

「んー?」


私に名前を呼ばれた親友が振り返った。
振り返ったというか、思い切りのけぞった。
すぐ目の前の席に座っている唯吹は、私が呼ぶとこうしてこっちを向くのだ。
今回も当たり前のように、黒と白のメッシュが私の机の上で無造作に広がった。


「なになに?どったの律子ちゃん」


唯吹はその無理のある体勢のまま、器用に首をかしげて見せた。
背中痛くならないの?なんて疑問を頭に浮かべながら、私は黙ったまま彼女の顔のすぐ脇を見ていた。
後ろからも髪の隙間越しにチラチラと見えていたそれ。
唯吹の耳。


「……またピアス空けたの?」


間を開けて自分の口から出たのは、思いのほか低い声だった。上下逆さになりかけている唯吹がニカッと笑う。


「おっ、やっとつっこんでくれた!どうっすか律子ちゃん、このポップでセンシティブな唯吹流ピアススタイルは!」

「どのへんがポップでセンシティブなのか分かんないし」


こっちの不機嫌をよそにケタケタと笑う彼女の、その両耳をつねってやろうかとも思ったけど、それはできない話だった。
唯吹の耳には、それぞれ6つずつトゲトゲなピアスが刺さっていたから。
それに加えて、耳たぶには向こう側が見えそうなくらい大きな穴まで開いている。
昨日まではなかったそれ。


「………。」


自分の眉間にしわが寄るのが分かった。
唯吹の耳を貫いて存在を主張するピアス達。
お前には触らせないよ、なんて言われている気になる。
その鋭い先端が私の胸をチクチクと指しているようにも思えた。
バカバカしいけど。


「なんかー、ふと開けたくなっちゃんたんだよね。で、せっかくならステージでも映えるようにでっかいピアスにしたいじゃん?これ見つけるために、昨日はあちこちハシゴしちゃったっす!」


夜の街を能天気に練り歩いて、いろんなピアスをコレでもないアレでもないと品定めして。
きっとそのお眼鏡にかなう6つのトゲトゲを見つけた瞬間、唯吹は興奮して喜んで、文字通り飛び上がったに違いない。
私にも見せないような笑みを顔いっぱいに浮かべて。


「……ピアス、ほどほどにしときなよ」


私は彼女から目を逸らして、窓枠の向こうへと視線を移した。
窓際のこの席からは外の景色がよく見える。
揺れるカーテンが時折視界に入って来て、それだけが邪魔だ。


「えー、なんでっすかー」


唯吹はのけぞるのをやめ、自分の椅子の背もたれに腕を預けてこちらを見ていた。
カラコンを入れている二つの瞳に、ピンクのレイヤーを重ねた私が映っている。
唯吹を通して見た私は、映っているのが眼球だからなのか、変に歪んでいるようにも見えた。


「唯吹が身体のあちこちに穴開けてるの、見たくない」

「ハッ!もしかして、唯吹のこと心配してくれてるんすか!?」

「見てるだけでこっちまで痛くなるからだっつーの」

「痛覚まで共有できるようになったとは……唯吹達の一心同体っぷりが化学レベルでヤバい」

「確かに唯吹とはずっと一緒にいるけど一心同体になった覚えはない」

「でも安心してほしいっす。ピアスで人は死なないから。」

「そのくらい知ってる」

「ピアス開けても唯吹は死にましぇん!」

「どっかで聞いたセリフだし」

「うっきゃー!律子ちゃん超クールッ!」


おでこにペチンと手の平をあて、唯吹は天井を仰ぐ。
彼女のオーバーリアクションにはもうとっくに慣れてるけど、私はやれやれと溜息をついた。本当、これで何度目になるんだろう。


「……あっ!ねえ、律子ちゃんってもしかしてー、」


不意に、唯吹がニヤッとした。
耳打ちする時のように、口の脇へ手を添えてこちらに囁く。


「唯吹に密着し続けるピアスに、嫉妬しちゃいましたぁん?」

「ばっ……かじゃないの!」


胸が急激に沸騰したみたいだった。
悪戯っぽく向けられたその上目づかいに、鎖骨の下あたりが熱くなって、ぎゅっと収縮する。
ほぼ無意識のまま、私は唯吹の両頬を自分の両手で挟みつぶしていた。


「うぶぶぶぶ」

「なんで私が、唯吹に密着してるものに嫉妬しなきゃならんのよ。意味分かんないし」

「うぶうぶうぶうぶ」


頬が挟まれたせいで押しやられ、たらこのようになった唯吹の唇が開いたり閉じたりする。
私は思わずそれに釘づけになった。
魚みたいにパクパクするその柔らかそうな物体に、噛みついてやりたい衝動に駆られた。


「………。」


もちろんそんな行動には出ない。
唯吹は軽音楽部の星、ボーカルだ。彼女の唇に傷をつけることなんてできないし、したくない。
徐々に凪いでいく胸の内と一緒に、私の両手の力も弱まっていく。
弾力のある唯吹の頬が形を取り戻した。


「むー。唯吹の顔、こう、ムンクみたいになってません?だいじょぶ?」

「だいじょーぶ。唯吹のほっぺたは何したって元に戻る」

「形状記憶合金みたいでカッケーっすね!」


さっきまで何の話をしていたのかも、唯吹はもう忘れたに違いない。
子犬のようにきゃっきゃとはしゃぐ彼女を見ているうちに、私は、今度は寂しい気持ちになっていた。


唯吹と初めて出会ったのは中学。
ハチャメチャな言動をする唯吹と適当な性格の私はすぐに意気投合して、今の今まで同じクラスで過ごしてきた。
唯吹がバンドを結成してからもずっと応援してて、彼女からCDを進呈されたりして。
バンド仲間と上手くいかないと零す唯吹を元気づけて、私もたまに落ち込んだ時に背中を叩いてもらって。
彼女の独特な遊びには、ついていけないこともままあったけど……唯吹はちょっぴり残念そうにしつつも、私を無理に引きずったりはしなかった。
体育祭も文化祭も修学旅行も、同じ写真に何度もおさまった。
そうして、いつの間にか親友と呼べるくらい気心の知れた仲になっていた。


だからこそ寂しい気持ちになる。

唯吹は、いつも私の前を行く。
比喩じゃなくて、現実の話。
私はこの口から吐き出される唯吹の歌が好きで、その歌を生み出す唯吹の喉も頭の中も好きで、それら全部を覆ってる華奢なくせにエネルギッシュな身体も好きで、好き、なのに。
唯吹はいつも私のそばから飛び出してどこかに行って、自由気ままに『澪田唯吹』を謳歌して、はるか向こうでこっちに手を振るのだ。
気がついた時には唯吹は変わっている。
知らないうちに髪を染めて、知らないうちにピアスを開けて。
見た目だけじゃない、心の中だって、一秒前の唯吹と今現在の唯吹は常に違う。
まるで瞬間的に脱皮し続けているかのように、今という時間軸の一歩先にいるかのように、唯吹はキラキラと輝いて、どこかへ行ってしまう。私はそれに追いつけない。


きっとこのまま、私は唯吹と離れ離れになるんだろう。
唯吹はこの司馬学園で平和に過ごして何事もなく卒業するような人間じゃない。
きっと、いつか、今よりもっと輝ける場所からスカウトされて……流れ星みたいに、迷わずまっすぐそこに行ってしまうんだろう。
こっちに向かって無邪気に手を振りながら。


分かるのだ。
唯吹が次にどんな行動に出るのかも分からない私でも、分かるのだ。
私じゃ唯吹の隣には居続けられないということが。
寂しくなって当たり前じゃないか。


「律子ちゃーん。どしたっすか」


私の目の前で手をヒラヒラとさせながら、唯吹は心配そうな声を出した。
私はハッとして首を振る。


「ううん。なんでもない」


相手の耳に光る6つのピアスを見て、再び、チクリとした痛みを覚えた。


「……まあ、似合ってるんじゃん、トゲトゲピアス。唯吹以外には着こなせないっていうか、唯吹だからこそ似合うよ」


私はそう言って笑って見せた。
できるだけ穏やかな声で言ったつもりだった。
だけど、唯吹はまだ心配そうにそわそわとした。


「……そーだ、律子ちゃん」


何かを思いついたらしく、彼女がぽんと手を打つ。


「これこれ。これ、あげるっす」

「え?」


ゴソゴソと鞄を漁って差し出してきたのは、唯吹が今まさにつけているトゲピアスと同じものだった。


「いやー、唯吹の耳じゃ片方6つまでが限界で。実は2つ余っちゃってたんすよね!」

「……これ、私にくれんの?」

「はい。これを唯吹だと思って、後生大事に耳に刺してくださいね。」

「唯吹を耳に刺したいとは思えないんだけど」

「グハー、そりゃそうっす!ってか律子ちゃんピアス穴あけてないし!やっちまったなこりゃ!」

「もー……ありがと。大事に持っておくよ」

「あっ、そうだ!じゃあ、唯吹の耳が成長して片方7つずつ刺せるようになったら、返してください。それまで預けておくってことで」

「返すんかい!」


もう、唯吹には無駄に振り回されっぱなしだ。
こうして私を振り回してくれる彼女が好きだから、良いんだけど。
唯吹はいつも私より未来にいて、私は後を追いかけてばかりだけど、彼女が手を振ってこちらを気にかけてくれるから、寂しい気持ちにはなっても一人ぼっちにはならない。


「……じゃあ、私も何か、唯吹に預けとこうかな」

「おっ、交換っすね。じゃあ、そのチョーカーがいい!」

「え、これ?」


私は自分の首につけているチョーカーを見やった。
なんとなくオシャレかなと思っていつもつけていたチョーカー。
有刺鉄線をモチーフにしたそれは、言われてみれば、唯吹によく似合いそうな代物だった。


「いーよ。はい、交換」


私は唯吹からピアスを受け取って、代わりにチョーカーを渡した。
唯吹は「わーい!」とはしゃぎながら、早速それを身に付ける。
……彼女の細い首に、私の体温がまだ残っているであろうチョーカーが巻き付いた。


「………。」


私にとって、それはなんだか、くすぐったくなるような光景だった。
夏の西陽で照らすようにして右腕を掲げ、唯吹が口を開く。


「これ、いつ返すことになるんすかねー」

「唯吹の耳が成長したら、でしょ」

「ずっとこのまま、借りっぱなしだったりして」

「それならそれで、私はこのピアスのために穴あけるし」

「えー。律子ちゃんは身体に穴開けちゃだめっすよ」

「なんで」

「なんとなく!」


ニッと笑う唯吹のおでこに、でこぴんをする。
メッシュの入った髪が軽く揺れて、唯吹は痛そうにおでこをさすった。


「そろそろ帰ろっか、唯吹!」

「ははははーい!でっぱーつ!!」


鞄を肩にかけて、並んで歩く。
そのうち、せかせかしている唯吹が、いつものようにどんどん前に出てしまうのだろうけど。

せめて今は。
唯吹が見えないくらい遠くに行ってしまうまでは。
唯吹の背中がこの目で見えているうちは――
そのキラキラした身体全部から、エネルギーをおすそわけしてもらおう。
二度と戻ってこないこの時間を、かみしめていよう。
唯吹と一緒にいられる時間を。

手の中におさめた2つのピアスに、チクリと皮膚を刺激されながら、それでも私は指を広げずに歩いた。
私はこうして唯吹と手を繋ぐのだと、
この小さな契りがある限り唯吹とはずっと親友でいられるのだと、
そんなバカげた空想に浸って。
























「バッカみたい。」


女の嘲笑する声が聞こえた。
朦朧とする意識を脳内に漂わせながら、私は目だけでその女を見上げた。


「そんなんじゃなかなか死ねないよ。絶望的だね」


憐れむでもない、蔑むでもない、その心底楽しそうな声色は――
感情という感情の削げ落ちたこの空っぽな胸に響かず落ちる。


「自殺するならもっと楽な方法選べたんじゃないの?」


赤く塗られた爪の乗った指が、私の頬を撫でたようだった。
華奢な指。
唯吹を思い出させる。


「それともそのピアスで死ぬことが、アンタにとって一番絶望的な結末だったのかな?うぷぷぷぷ……」


応えようとして、ゴポ、と喉が鳴った。
チラチラと眩しい視界には、私の喉と口からあふれ出た血が広がっている。
私は自分の喉元に突きたてた2つのピアスを、重ねた両手でそっと包んだ。


「そうそう、アンタの親友だったっていう澪田唯吹だけど」


カツンカツンと音がして、伏している私の視界に何かが振って来た。
眼球をぐるりと動かすと、それは写真だった。
そこには長らく会えていなかった親友が写っていた。


グルグルと渦巻く目から涙を流し、満面の笑みを浮かべて。


「………」

「残念ながら、アンタが自殺したところでもう手遅れでした〜」


うぷぷぷぷぷぷぷぷぷぷ、と、派手な格好をしたギャルは笑いながら行ってしまった。


「………」


身にまとった制服に自分の血がしみ込んで気持ち悪い。
予備学科の制服には最後まで慣れることがなかった。
唯吹を追いかけるようにして入学した学園は、もう、無い。
私たちの手で潰した。
私は抵抗もろくにしないまま周りに流されただけだった。
みんなが暴徒化して本科生を襲う中、私は、必死に唯吹の姿を探した。
みんなが携帯を見て自殺していく中、暴動で携帯を壊してしまった私は、怖くて死ねなかった。
何もできず茫然としているうちに、あのギャルが、江ノ島盾子がやってきて……私に言った。
死ねば澪田唯吹だけ助けてやろう。
手を出さずにいてやろうと。


「………」


だから私はあのピアスを刺した。
耳ではなく首に。
絶望的に死ね、と囁かれたから。
何度も何度も。


「……い、ぶき」


私の血に浸った写真へと手を伸ばそうとして、動かないことに気付いた。
そういえばさっきから寒い。
瞬きするのも億劫なほど眠い。


「…き………」


名前を呼ぼうとしても、囁きにすらならないほどの声しか出なかった。
両手で包んだピアスだけが、私の血によって熱く濡れている。


「……――」


視界が潤んだのは気のせいだったろうか。


私は死ぬんだ。
唯吹に会えないまま。


でも、絶望感はなかった。
諦めも悲しみも憎しみもなかった。
あのギャルは全てを滅茶苦茶にした張本人だけど、不思議と怨む気持ちも生まれなかった。


なぜって――
あいつが最後に捨て置いて行った唯吹の写真が、私の絶望感を拭ってくれたから。


(唯吹)


変わり果ててしまった唯吹。
でも、それでも。
生きていた。
死体じゃなかった。
いまもきっと生きている。
そして、狂気に満ちた彼女の首には、あの、チョーカーがあった。


(私達、ずっと親友だよね)


両手で押し込んだ唯吹のピアスは、もう、首から抜くことはできないだろう。
もう唯吹に返すことはできない。
でもそれでいい。
ピアスとチョーカーはもう交換できない。
だから唯吹の首には、これからもずっとあのチョーカーが巻きつくのだ。


(ずっと………)


この真実を江ノ島が知ったらどう思うんだろう。
空っぽになったはずの胸の内が痛快に満たされた。
私は絶望して死ぬんじゃない。
希望を持って死ぬんだ。
ざまみろ。


ざま、みろ。




『律子ちゃん!』


遠くで、唯吹の声が聞こえた気がした。
司馬学園の制服を着た彼女が、いつものように元気よく手を振っていた。
私の閉じた瞼の裏で。


(待ってよ、いぶき)


どうせ追いつけっこない、分かってる。
彼女はいつだって、流れ星みたいにキラキラ輝いて、ふらっとどこかへ行ってしまうんだから。


(…まってるよ、いぶき)


でもね、今度は私が追いついてもらう番だ。
預けたチョーカーを、向こう側で返してもらおう。
預かったピアスを、向こう側で返そう。
おばあちゃんになった唯吹から。
おばあちゃんになった唯吹へと。
死んだ後なら、きっとどうにでもなる。


(おばあちゃん唯吹、とか)


そんなこと唯吹に言ったら、凄い顔して笑うんだろうな。
唯吹がおばーちゃんになるとかありえねーっす!なんて言って。
手をバタバタさせて。


血でドロドロになった自分の口角が、上がるのを感じた。


(うっきゃーって……やつだね)


頬に熱い何かが伝うのを感じながら、私は、最後の溜息を吐いた。




fin.


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