13.Side Daisy

by mimo


ふぇ、と漏れそうになった嗚咽を飲み込む。
わたしだって、瑛くんの傍にいたいのに。力になりたいのに。もっと、全部を見せて欲しいのに。

どうしてこの気持ちは伝わらないんだろう。どうすれば伝わるんだろう。
言葉にしようとすればするほど、伝わらない気がしてもどかしい。

「泣くなって」

瑛くんの指先がわたしの目尻に触れ、そのまま涙の粒を優しく拭われて更に涙が出てくる。
わたしを見上げる瑛くんは、困ったような、それでいて苦しそうな表情を浮かべていて胸がぎゅうと締め付けられる。

違うの、そんな顔させたかったわけじゃないの。
そう言いたいのに言葉が上手く続かなくて、震える唇を瑛くんのものに押し当てた。

自分からキスすることなんて、今までなかった。
昨日、寝ぼけている瑛くんにしたけれど、ちゃんと起きてる状態の彼にするのは初めてのことで。

付き合い始めてからデートの度に何度もキスはしてきたけど、それはいつも瑛くんからだった。
別れ際にキスをするのも当たり前になっていたし、いつしかそれを期待するようにもなってた。

キスをする前、瑛くんの表情がいつもと少しだけ違うってことに気付いたのは。本当に最近のこと。
わたしが知らなかった男の人の顔。……わたしだけに見せる表情。
気付いてたけど、気付かないふりをしていた部分もあったのかもしれない。

ただ、今はとにかく触れていたくて何度も唇をくっつけていると、瑛くんに肩を掴まれてべりっと引き剥がされた。

「瑛、くん……?」
「あかり……、ゴメン、ちょっと退いて」

そのままぽふんとソファに沈み込む形になったわたしの方は見ずに、瑛くんが立ち上がる。
もしかして、重かった? ううん、それだけじゃなく……嫌だった?

「瑛くん、ご、ごめ……」
「ッ、今こっち来んな!」

ネガティブな考えが頭の中をぐるぐるして、慌てて瑛くんを追いかけるように立ち上がったところ、瑛くんがわたしから距離を取って背を向ける。
そんなに、嫌だったの? さっきので、幻滅された? やっぱり、自分からキスをしてくるような女の子はやだったのかな。
考えれば考えるほどに悲しくなってきて、ようやく止まりかけていた涙がまたぼろぼろと零れ落ちる。

「……瑛くんの、バカッ……!」

床に落ちていたクッションを拾って、瑛くんに投げつける。
ぼふ、と音を立てて瑛くんの背中に当たったせいか、驚いたように彼がこちらを振り向いた。

「瑛くんのバカ! バカバカバカ!」
「ちょっ、あかり……!」

ソファの上にもうひとつあったクッションを更に手に取り、ぶんぶん振り回したけれど、瑛くんに腕を掴まれたことによってそれは制止される。

「なんでっ、……なんでわかってくれないの! わたしだって、触れたいのに……!」

好きなのに。触れたいのに。
……触れて、欲しいのに。

瑛くんとあの日"そういう雰囲気"になったってことは、少なからずも同じように感じてくれていたんだって思っていたのに。
わたしがキスしただけで、ここまで嫌がるなんて理不尽だ。横暴だ。

色んな感情の波が爆発して、瑛くんに掴まれたままの腕をぶんぶんと振っていると、クッションごとむぎゅっと抱きしめられた。

「俺だって、触れたい。っつーか、我慢してるの、いい加減気付けよ……!」

絞り出すように続ける声が、わたしの耳元で聞こえる。
まるで昨日のリピートだ。抱きしめられて、耳元で囁かれて。昨日は寝言だったけれど、今は違う。これは、瑛くんの本音?
よくわからないけど、なんだか切羽詰ってるような空気に首を傾げる。

「がまん……?」
「してる。しまくってる。現在進行形」
「え、えぇ……?」
「ゴメン、さっき突き放したのは我慢が出来るかわかんなかったから。もうちょっと自覚、しろ」

そう言いながら軽くチョップを落として、もう一度瑛くんがわたしを抱きしめ直す。
ちゃんと意識があるからなのか、昨日よりわたしを抱きしめる腕の力は強い。これじゃあ逃げられないって思うくらい。

さっきのはわたしが重かったわけじゃなく、嫌だったわけじゃないみたいだけど――でも、わからないよ。

「……我慢する必要、あるの?」
「は?」
「触れていいんだよ、いっぱい」

わたしも触れたいし、瑛くんも触れたいというのなら、何も困らないよね?
だけど、瑛くんに触れられるだけじゃ不公平だ。わたしも、もっと触れたいのだから。

「ね、わたしもいっぱい触っていい? 瑛くんも好きなだけ触っていいから」
「は!? 俺はいいけどさ、おまえ、………………いいの?」
「うん!」

大きく頷いてから、手始めに瑛くんの背中をなでなでと触ってみる。
いつもぎゅってされる時に背中に腕をまわすことはあっても、こんな風にぺたぺたと無遠慮に触れることは……あれ、高校時代はあったかも?
だけど瑛くんが"男の子"って意識し始めてから、少しずつ控えていた気はするし、なんだか急に懐かしくも思えた。

肩甲骨の辺りをそっとなぞると、やっぱりわたしとは違って男の人なんだなって思う。
筋肉の付き方とか硬さとかも全然違うし、触れているとドキドキしてしまう。

「ひょっ……!?」

同じようにわたしの背中を撫でた瑛くんの指がくすぐったくて、思わず身を捩る。
つつ、と脇腹あたりを撫でる指先がまるでからかっているようで、瑛くんを睨みつけた、つもりが。
何か言う前に唇を塞がれ、あの日のように瑛くんの舌が口内へと割り入ってくる。

やっぱりそれには慣れなくて、びくっと体が強張ったことがバレてしまったのか、背中をぽんぽんと撫でられてちょっと安心する。

わたしの知らない瑛くん。
でもやっぱりそれも、わたしの大好きな瑛くんの一部。
だから全部知りたいって思うのは、なんにもおかしいことじゃなくて、必然なんだと思う。

一度唇が離されると、お互いの荒い呼吸が重なる。
知らず知らずのうちに呼吸を止めてしまっていたみたいで、目を合わせて笑いあう。

「なぁ、触りたい」

もう一度、唇がくっつくかくっつかないかの距離で、瑛くんが呟く。
ねだるような視線に、わたしは半ば無意識で頷いた。
でも、さっきの深いキスのせいでぼーっとしていた頭が、次の瞬間現実へと引き戻される。

「ちょっ、ま、まって瑛くん、どどどどこさわって……!?」

わたしの背中にまわっていたはずの瑛くんの手が、いつの間にか前へと来ていて。
つまりそうなってしまえば、胸に触れてしまっているのだ。瑛くんの大きな手が。

「どこって……おまえが好きなだけ触っていいって言ったんだろ?」

ちょっと意地悪く笑う瑛くんは、割と目が本気だ。
そんなこと言ってない!と抗議しかけて口を噤む。言ってた気がすることに気付いたからだ。
あれ、あれれ? もしかしてわたし、さっきものすごく大胆な発言をしていた?
え、で、でもそんなつもりはなかったような、ううんあったような……。

まだ展開についていけないでぐるぐる逡巡していると、もにもにとわたしの胸に触れている瑛くんの手が熱いことに気付く。

「わっ、て、瑛くんダメだよ! まだ熱、下がってないんだよ!?」
「大丈夫、触ってればそのうち下がる」
「も、もう! ダメ! さっきより熱上がってきてるもん! 治らないと触っちゃだめ!」

めちゃくちゃな理論を振りかざす瑛くんの手を、ぺちんとはたき落とす。
さっき、シャワーを浴びる前におでこを触った時よりも、格段と熱くなっている。
きっとおかゆを食べたことによって、また熱が上がってきてしまったんだろう。
ジト目で瑛くんを睨むと、むすっと不機嫌な表情になったけれど、さすがにこのままにしておけない。

「ほら、ベッド行こう? まだもう少し寝た方がいいよ!」

ぐいぐいと腕を引っ張ってベッドに連れて行こうとしたものの、もう一度腕の中に閉じ込められる。
やっぱりくっついた部分が熱くて、すぐにでも横になって欲しいのに、瑛くんは微動だにしない。

「……あのさ」

仕方なく為すがままになっていると、瑛くんはこつんとわたしの肩におでこを乗せて、ハァ、と一つため息を吐いた。

「この先、俺がもっと触れたいって言ったら…………引く?」
「え? 引くわけないよ? だって……」

だって、好きだから。
わたしも、同じ気持ちだから。

それを全部言い切る前に、瑛くんが未だかつてないほどものっすごく嬉しそうに微笑んだから、わたしも思わずへらりと笑ってしまった。


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