「まんば、どこ…?」
「俺はここに居るぞ」
とある審神者は瞼を上げず、鳥の囀りを耳をすませて聞いた後ゆっくりと立ち上がりきょろきょろと辺りを見る動作をした。
近侍の山姥切はそんな主を見かねてそっと手を差し出す。気配を感じ、その手に己の手を重ねた主はうっすらと微笑んだ。
「意外と近くに居たのね」
「近くに居てくれと言ったのはアンタだろう」
あら、そうだったわね。と口元に手を当てて上品に笑う主に山姥切はドキリと胸を高鳴らせた。
山姥切の手を取ってゆっくりと自室を出て歩き出す主とそれを支えて横隣りを歩幅に合わせて歩く山姥切。
朝食のために大広間に行けば、温かく他の刀剣たちに歓迎される。
「ん…いい匂い。これは…肉じゃがの匂いかしら。他にもお魚の匂い。うーん、お魚は匂いだけじゃわからないわ」
「ははは、肉じゃがも魚も当たりだよ主。魚は旬の秋刀魚を使ってるよ」
「あら、秋刀魚…!秋になると身が厚くなって味も良くなるのよね。大好きよ」
この本丸を支えている主は幼少期から目を失明させており、目が見えない。
温かく話している刀剣たちの姿を主は一度も見たことがなく、声と匂い、感覚など少ない機能で今までを生活してきたのだ。
それでも本丸は変わりなく、充実した生活を送れており、刀剣たちにも不満など一切ない。俗にいうホワイト本丸という奴だった。
他の本丸よりも周りに気を使い、主を率先して後先を考える有能で優しい刀剣たちが多い。その中で、山姥切は初期刀で誰よりも長く主の側におり、誰よりも主を尽くしてきた。
彼女を想う気持ちも日に日に募っていく。しかし目が見えない彼女に自分の気持ちを伝えるだなんておこがましい、それに怖いという気持ちが邪魔をして未だに気持ちは伝えられていない。
ずっとこのまま居れるのだったら言葉を伝えなくともいいかとも考えていた。
鍛刀されたとき、きっと自分は写しだという事が主には嫌に思われるかもしれない。そう考えていた。しかし小柄でそれでいて美しい主を見た瞬間に思考がぶっ飛んでしまったのだ。
俺が鍛刀されても目を開けず、首を傾げている様子だった。
「えぇ…と、あの…成功したんでしょうか?」
「……、アンタ…目が見えないのか…?」
「あぁ…ええ。そうなんです。小さい頃から目が見えなくて…それにしてもとても綺麗なお声をしてらっしゃるのね。お名前を教えてはくれるかしら…?」
自分が写しなどと言うことでごちゃごちゃ考えていた事が馬鹿馬鹿しくなった。彼女は目が見えないのにも関わらず、幸せそうに微笑んでいた。
綺麗な声などと初めて言われた。そんな事に動揺しながらも、彼女に名を名乗ったのだ。
それからと言うもの、主一人では生活出来ないために俺がずっと近侍になり彼女の側に居る。本丸の状況報告、書類は一期一振に任せているがそれ以外の世話はほとんど俺がしている。最初は風呂の時はかなり大変だった。嫌々やっているように彼女は聞こえたらしく、貴方がやらなくてもいいのよ?と気を使われ、他の刀剣たちに任せると言い始めたので、何だか無性に腹が立って断ったことをよく覚えている。
この頃、主を見るととても胸が苦しくて熱い。何かの病気かと最初は思ったが、徐々にその症状を自覚し始めていた。
これはきっと恋なのだろうと。
目が見えないのに、不自由に感じているはずなのに彼女は嫌な顔一つせずにいつも微笑んでいた。悲しい時は一緒に悲しみ、辛い時はずっと側にいて話を聞いてくれてた。
彼女が自分だけに心を許してくれていると思うと自然と口角が上がる。
こんな顔を彼女が見てしまったらどうなるのだろう。
「ねえ、まんば」
いつものように彼女は目を閉じたまま縁側に座って口を開いた。
俺もできるだけ主を心配させないように優しくその声に答える。
「もしも、もしもね…一つだけ願いを叶えられるとするなら…貴方は何を望む?」
一つだけ叶う願い。
神である俺はある程度のことは願わなくても叶えられたからあまりそういうことは考えたことはない。だが、叶えられないものもあった。
彼女に自分の気持ちを伝えられないということ…、そしてずっとは共に居られないということ。
俺は神で彼女は人間。彼女はずっとなんて生きてられない。必ず終わりが来る。出来るならば永久に共に居たいと願う。叶えられないことだと知っても、それでも願う。
人間とはつくづく儚い生き物だと痛感する。彼女が消えてしまった自分は一体どうなってしまうのだろうと考えるだけでも恐ろしいのだ。
共に居たい。出来るならば、彼女とずっと一緒に居たい。そんな気持ちをしまい込んでしまった。
「そういうアンタはどうなんだ」
「私?私はね…そうだな、目が見えるようになってみんなの顔を見たい」
「……、そうか」
彼女は目が見えるようになりたいと望む。しかしどうだろうか、自分の今の顔を彼女に見られたら…。
写という自分の抱えるもの、それは彼女が目が見えないから、見てわかるものがわからないからこの関係が成り立っていたとしたなら…?
もし彼女が目が見えるようになって俺から離れて行ったら…?
「…どうしたの?まんば、何か怒ってる…?」
瞳を閉じたまま不安気味に眉を下げ、首を傾げる主。
俺なら、いや…俺じゃなくても彼女にその願いは叶えられる。
しかし、神気を注ぐことになるので彼女の目が見えるようになることを代償に人から神になってしまう。
彼女を深く愛するものならそれはとっても魅力的なのだろう。
目も見えて永久を誓うこともできるのだから。
だがどうだろう、彼女は目が見えないから俺に付き添っているだけで、もしその願いを叶えてしまったのなら彼女は…
嗚呼、こんなみっともない顔をアンタに見せられない。
幼少期から目の見えなかった主は慣れているためにそれが当たり前となり、不自由はあまり感じていなかった。
しかし何故かこんな状態にも関わらず審神者というものをやるようになって色々と環境が変わったと思う。
初めて鍛刀に成功し、挨拶をしてくれた山姥切。
とても心地よい声色で、彼はきっととても美しい刀なんだろうなと思った。
刀とかそういうのには全く詳しくないが、刀一つ一つが思いを込められて、魂を込められて作られたものだと思う。それには偽りはない。例え姿形が似ていようが世界で一つしかないのだから。
彼はとても優しくてこの本丸のことも他の刀剣たちのことも丁寧に教えてくれた。私の手を温かく包むように握ってくれて、刀だから冷たい筈なのにやけに温かく感じた。これは私の体温なのか、それとも彼の体温なのかわからない。
「まんば、いつもありがとうね」
私は思えば彼にいつも感謝の言葉と笑顔を向けている気がする。
でも本当は不安だ、彼が今どういった表情をしているのかわからない。だから私はいつも感謝の言葉しか口に出さない。
願わくば私の目が元に戻りますように。そうしたら可愛いまんばの顔も他の刀剣たちの美しい姿も見れるのに。
この本丸に来てから目が見えないことがこんなに苦痛な事だなんて思わなかった。
もし目を与えてくれるのならば…どうか神よ、私に皆をちゃんと見て感謝の気持ちを伝え、まんばに愛を伝えることをお許し下さいな。
目が見えるようになりたい審神者は山姥切に想いを寄せ、山姥切は目が見えてしまったら拒絶されるだろうと恐れ、ひとつの神は願いを叶えない。
愛はすれ違い、時間は過ぎてゆく。
盲目なのはどちらか、それは気付くものさえも居ない人間と神の輪廻である。