審神者ではない才能を持った少女 | ナノ






私が隔離病棟を離れてから数日後、姉は完全に回復し、牢屋へと入れられた。

姉の様子はとても落ち着いたようだという。姉がパニックを起こしていた時に訪れていた政府の者はまるで別人を見るかのような目で姉を見たという。とても同じ人間には見えないらしい。
精神的にも今後も改善の余地はあるということで、禁錮1年半という懲役よりも軽罪として判決がくだされたらしい。何を言ったかわからないが、説得力のある内容だったらしい。姉はそこまで完璧だっただろうか。疑問は残るが、極めて重い罪にはならなくて済み、ホッとしている。


私はというと、元の世界では社会人であり、飲食店を経営している店長の下で働く何の変哲もない従業員だ。街中で近所の方々が良く利用していただけるくらいで、人気で大行列…なんてことはない。
しかし、口コミで広がらないのは不思議だなとは思っている。この仕事を選んだのも、この店の料理がとてつもなく美味しかったからである。そのような店に向かって何も変哲もない…だなんて失礼だが、店長であるシェフにはとても尊敬の念を抱いているのだ。
何で人気にならないんでしょうねと店長に言うけれど、彼は笑ってこれでいいんだよと言う。街の皆に愛されるお店としてこれからも経営していきたいと言っていた。店長らしい。彼は人気などに拘らない。ただ、自分の作る料理だけを求め、街中の優しい人々と毎日の出来事を話すのが楽しいらしい。
正直言って、私はこの料理の味をいろんな人に知ってもらいたいという気持ちではあるが、この今の状況もまた、満足している。こっそりと建つ料理店であってほしいという気持ちもあるのだ。
料理の種類としては、特に決まってはいない。お客さんのその時に食べたいものを用意する。それがこのお店の主流だ。そんな材料はどこにあるんだと最初は思ったが、近くにスーパーがあるので、そこで調達してきている。
そう、スーパーという格安の品質の材料を使って、ここまで美味しくしてしまうシェフが凄いのだ。食べた時には、まるで高級な食材をわざわざ仕入れているのだろうなと思っていたが、まさか私もよく利用する近所のスーパーの食材だとは全く思わなかった。
それほどまでに、彼が手がけると食材はたちまち高級食材のように変わってしまう。どこの有名な料理人よりも、才能とセンス、テクニックなどあらゆる料理人としての機能を併せ持っている。そんな人だと思った。



そんな人が、突然にこの世から居なくなった。


あの世界からこの現世へと戻ってきて一年、私はずっと仕事を休んでいた。店長は特に理由も聞かずに、快く承諾してくれたのだ。何かあったかはきっと私の表情に出ていたのだろう。
他の従業員の人たちも、何も聞かずに送ってくれた。

しかし、店長は癌を患わっていたらしい。それを今まで私達に隠して必死に病と戦っていたのだ。しかし、それも虚しく、彼は眠りにつくようにして亡くなったという。

「お父さんったらね、きっと死期を悟っていたんだと思うわ。俺はそろそろ寝るよ。後はよろしく頼むぞって。そのときは、何をよろしくされたのかわからなかったけれど…でも、今は…よくわかった…。愛する夫の事がわからないなんて、私も落ちぶれたものよ」
店長の妻である幸代さんはそう涙ぐんで語っていた。その後に、私に後を継がないかと言われたのだ。妻である幸代さんが代を継ぐのかとてっきり思ったが、首を横に降って私には才能がないのと少し寂しそうな顔で言った。


”才能”。そんな言葉に私は密かに嫌気が差す。



「貴方なら夫の作ったレシピを完全に再現出来ると思うの。私も何度も何度も挑戦してみたけど、どこか違うのよ。レシピ通りにやっているはずなのに、あの味と異なってしまう」

夫の料理に惹かれて、誰よりも幸せそうに食べていた貴方なら、きっと叶えられると思ったのよ。と笑った幸代さんに、ぐっと手に力が入る。
信頼してくれている幸代さんにとても申し訳なくなる。私が才能を毛嫌いしているだなんて考えていることが。誰かのために使う才能。それは私は今まで勘違いをしていた。その誰か、とは姉のためだったからであり、こんなに求めてくれて、信頼され、期待される視線は初めてだった。自然と胸が熱くなり、私は強く頷いた。



そうか、と気付いた瞬間だった。

私は今まで、目標も何も、立ちはだかったものが何も無かったんだと気付いた。そのせいで、才能という壁にぶち当たり、挙句の果てには殻に閉じこもってしまっていた。何かを成し遂げたいと思ったのは初めてだったのだ。

だからだろうか、急に視野が狭くなって周りが見えなくなったのは。





数週間が過ぎ、まだまだレシピ通りにはいかないが、もう少しであの味にかなり近づけるという段階まで進められた。さすがに、才能ある者を全て完全に真似る、一致させるというのは一日二日では出来ない。

材料が切れてしまって、食材をスーパーで調達してこようと向かった店の先には一つのお花屋さん。前から思っていたが、前にあそこに花屋なんてあっただろうか?そう疑問に思って、近所の方に聞いてみれば、どうやら最近出来たお店らしい。お花は好きで、よく家に飾ったり、仏壇にもあげたりしているから私からしたらありがたいことであった。

近々寄ろうかと思って、スーパーに入る前に少し覗こうとしたら中から誰かが出てきた。お客だろうか、いやでもエプロンをしているから店の方だと視線を下から上にあげ、その人物の顔を見た瞬間に、一瞬息が止まった。




琥珀の綺麗な瞳、現実離れした透き通った水色の髪。

王子のようなその様は…間違いがなかった。そっくりさんでもない、本物。














「一期…さん」

声は届かなかったのが幸いか、彼はこちらを見ずに花に水をあげていた。


こんなに、近くに居るなんて予想出来るはずがなかった。驚きすぎて思わず持っていた鞄を落とすところであったが、落とさなくて安堵した。世界はこんなにも狭いものなのか、疑うほどである。
なるべく自然を装って気付かれないようにスーパーの中に入って、再び息を吐く。
これから毎日スーパーに行くのにこんなに緊張しなきゃいけないだなんて、気が重くなった。料理の事に夢中で、刀剣たちが近くに居るという想定を全くしていなかったのだ。
逃げている。彼らに背中を向けている。それはわかっていた。でも、怖い。
彼らがもし、また狂った行動をしてくると思うと自分から向かうということがとんでもなく恐怖で、足が竦む。


私は甘く見過ぎていたのであろう。姉はこの現世に刀剣たちが居ると言ったが、正確に言えば…この街に一期さんの他にも居るかもしれない。恐怖心が増したのがわかる。あの光景が頭に焼き付いて離れない。

スーパーに入って心地よく感じたクーラーの風が、吹雪のような氷の冷たさに感じた。