「主、ここを出て行くなどと申さないでください。皆、悲しみます。貴方のその清純な心は見てもわかる。こうして、触れ合えば…温かい」
首に頭を押し付け、抱擁は強くなる。
「これこれ、一期よ。お主ばかり卑怯ぞ」
そう言って一期を引き剥がし、顔を近づける三日月を渾身の力で押し返すもビクともしない。そんな絶望を感じながら、三日月が嬉しそうに笑ったのがわかった。
「一期にそれだけの神気を取られてしまっては力など出ぬだろう。しかし、お主の力は底なしか…?もう器を満たそうと神気が溢れ出してくる」
壊れ物を扱うように優しく頭を撫でる三日月は心底驚いたような顔をしてから、にっこりと微笑む。力があっても、彼らを傷つけるような力は持ちあわせてはいない。ただ、浄化する力と、癒やす力。攻撃などと一切使わないだろうと思っていたためか、それが今になって仇となった。
普通に考えて、ただの女の力で彼らを振り払うというのは馬鹿力を持ちあわせていなければ、到底不可能だ。
微笑む三日月を私はキッと睨んだ。そうすれば、首を傾げる三日月。
「そのような可愛らしい顔をしても煽っているだけにしか見えんな、やめておけ。余計に離せなくなる」
その言葉と共に抱きしめる力も強くなる。その間にも少しずつ神気が吸われていくのがわかる。ゲートは人一人分しか通れないくらいまでに小さくなっていた。
自棄糞になって三日月の額に思い切り頭突きする。ゴンッと鈍い音を立てて三日月が小さく唸り仰け反るが腕の力は全く弱まらなかった。
「ふむ…、痛いではないか」
痛いと言う割には平然とした表情で額を擦る三日月から全く緊張感というものが伝わってこない。こちらまでそのペースに乗せられそうで必死に藻掻く。
やはり、姉と一緒に行くことが間違いだったのだろうか。
そう、諦めかけた時に部屋の外で大きな金属音が鳴り響く。衝撃波がこちらまで伝わってきそうな大きな音だった。
何事かとそちらへ振り向けば、目を大きく見開いた。
「っち、まさか裏切りになるとはな…!」
苦しげに声をあげ、応戦するのは鶴丸だった。それに対し、刃を向けている人物へと目を辿らせる。その姿を見て、息を詰まらせそうになる。
「岩融に…今剣…っ」
そう私が声を震わせながら言えば、聞こえたのか岩融はこちらに振り向き、ニカッと笑ってみせる。今剣も純粋に笑顔でこちらを見る。そんな彼らに今度こそ、固めていた意思を崩壊させ、涙が溢れ出した。
「言ったろう、妹よ。お主を守ると」
「それをまもらないほど、ぼくたちはおちぶれちゃいませんよ!」
そう言って笑う二人がとても眩しい存在に見える。
「おい、余所見してると危ないぜ」
目を逸らした岩融に鶴丸は不敵な笑みを浮かべて
攻めかける。それに少し反応が遅れた岩融の腕に刃が掠る。顔を歪めながらも即様応戦し、足止めする隙に今剣が妹に駆け寄り、三日月に斬りかかった。
三日月はそれを咄嗟に避けたが、そこで妹が逃げようと力を加えられ、少しバランスを崩す。
「…!」
バランスを崩したことで腕の力が一瞬抜け、その隙に妹は逃げ出した。それを見た今剣は叫ぶ。
「いもうとさま!!早くそれに入って!!」
「…っ、でも貴方達は」
「構わん行け!!そうでなくては我らが守った意味がなくなる…!!」
必死な表情でそう訴える二人に私は衝動的に走り出した。それにいち早く反応し走り出す妹に手を伸ばした一期に今剣が阻止した。
「俺を忘れてはおるまいな?」
マイペースとは思えない俊敏な動きで抜刀し、妹の足を狙う。
「やむを得ん、妹よ…許せ」
その目は本気だと言うようにぎらめき、動けなくさせたいのか、足を切断する程の威力もなく、小さく振りかぶった。
その刃が妹の足に当たる直前に今剣と岩融の叫ぶ声と、ザシュッと肉に突き刺さる生々しい音が聞こえたのはほぼ同時だった。
「どう…して」
力なくその場に倒れたのは妹でも今剣でも、岩融でもない。
「花さん…、ご無事…ですか」
「五虎退…貴方が…無事じゃないのに、どうして私の事なんか庇うの…」
私を庇ったのは五虎退だった。短刀である彼に三日月の一撃は重い。それが本気の一振でないとしても。
背を斬られ、血飛沫をあげ膝から倒れる五虎退を私は受け止めた。重症だ、このまま放っておいてはこの子は時期に壊れてしまう。そう思い、手に神気を込めようとしてその手は振り払われた。
「…っえ…」
「ダメですよ…、僕なんかのためにその力を使っては。行ってください、花さん。僕は大丈夫ですから、…っどうか早く…!」
今剣や岩融同様、五虎退は必死に訴え、苦しげに息を吐きながらも私の肩を強く押した。涙が止まらなかった。彼らはどうして、こんな私なんかに優しくしてくれるのか。
「…五虎退よ…、俺達の邪魔をしてくれるな」
さもなくば、と再び構え直す三日月に五虎退の目はすっと、釣り上がった。
「邪魔をしているのは…、三日月様…貴方達じゃないですか…!」
「…何…?」
酷く驚いた表情で硬直する三日月を尻目に、五虎退は早く!!と私に向かって大きく叫んだ。涙を流してほぼ視界がボケる中、私はゲートへと全力で向かう。
「主…っ!!」
三日月や一期、鶴丸が叫ぶ中、五虎退の小さな声が一段と耳に響く。
「先ほど…、花さんはおっしゃいましたよね。何故貴方の事を庇うのか…」
「そんなの決まってるじゃないですか…」
「僕は花さんのこと、ーーーーーーーーー。」
ゲートに入る直前に聞こえた五虎退のとても幸せそうな表情と声。今剣や岩融もこちらを振り返って口が動く。
ありがとう。
そんなの、こっちの台詞だと返したかった。ゲートに入り、視界は真っ白に覆われる。
体は宙にでも浮かぶように不思議な感覚で、気持ち悪くなって思わず目を瞑る。
次に目を開けた時には、そこは私が住んでいた家の中。
「帰って、来たの…?」
時計の針が進む音がやけに耳に響く。
そこは日常。窓から見える青空、使われっぱなしの大所。テーブルの上には飲みかけのコーヒーが置いてあり、日付は本丸に行った時と同じ時刻。
ぽつりと佇む私は、帰ってきたということを実感して思わず脱力した。
しーんと静まり返った家の中、刀剣たちはもちろん居ない。あの本丸にいた時の事がまるで夢のように感じた。
いや、夢だったのかもしれない。とても長い夢を見ていただけなのかもしれない。
私は外に干してある洗濯物を家の中に入れようと立ち上がった。
長い夢から覚めた私は、あの出来事をそっと宝箱にしまいながらいつもの生活を送り始める。