寝顔に落書き、は止しておこう。後で撃たれる。脳天を。それに、生意気な娘だが肌はたいそうキレイなのだ。勿体ない気もする。
でもちょっと悪態つくくらいなら許される、かな。
「おいコラ起きろ猪女」
低い声を出して、つんつくと彼女の肩を叩いた。子供のように安らかだった寝顔の眉間にしわが寄る。
「……誰が猪女だコラ」
「起きろ、猪突猛進女」
「…別に、どう猪なのかを具体的に表現しなくていいッス。うざい。」
生意気なことを言いながら、また子は臍の辺りから掛け布団を首元まで引っ張り上げ、けだるそうに寝返りを打つ。そしてそのまま幸せ二度寝タイムに突入、かと思いきや
「つーか倫吾先輩、何で私の寝室にいるんスか」
バッと上体を起こして、真っ当な疑問を呈した。が、覚えてないのだろうか。お前の寝室に俺を連れ込んだのは他でもないお前なのだ。
「酔っ払いの猪女に絡まれて拉致監禁されて、一晩中愚痴と恋愛相談ばっか聞かされてたんだよ。で、起きたらこうなってたんだよ。文句あるか」
「あるに決まって、………」
勢いよく言いかけた彼女が、固まった。
また子の襟元がゆるいのとか、俺の襟元がその三倍ゆるいのとか、そういうところに今気付いたのだろう。また子の頬がみるみるうちに赤らむ。あ、意外にも初心だ。と思うや否や、
べちーん。
と、ビンタが飛んできた。
女の子のパーのビンタなんざ大したことないが、まあ若干ひりひりはする。そして結果的にまた子の頬より俺の頬の紅葉の方が赤い。いやあ、秋ですなあ。
「なっ、なななな何ししし貴様」
「何もしてねーよ。お前の寝像が悪いだけ」
「見っ、見みみみらばけっそ」
「日本語喋れや日本語」
完全にテンパっているまた子を尻目に、彼女の寝室から、窓の外を見た。
宇宙をゆく舟は、現在地も行く方向もトンとわからぬまま、ゆり上げゆり据え虚空を漂っている。今窓から見えているのは、ただ黒い壁と金平糖を砕いたような星々である。江戸から持ってきた時計は朝6時を指しているけれど、本当はこの場所に朝も夜もないのだ。
昨晩、また子は不安がっていた。宇宙が彼女に与える不安感も、言葉少ない高杉さんが彼女に安心感を与えておかないことも、何もかも。それを打ち消すように、静かにしんみりと、女の子が飲むような弱くてちゃらついた酒を飲んでいた……筈なんだけどなー。
いつの間にか俺に絡んで、いつの間にか俺を部屋に連れ込んで、いつの間にか俺に泣きついてた。
俺も結構飲んでいたから途中で記憶が途切れてしまったのだけれど、彼女はそれ以上に記憶が飛んでいるようだ。本当にやましいことなんて何もなかった(たぶん)のに。
「……倫吾先輩?」
呼ばれて視線をまた子に戻した。あー、よく見ればまだ泣き跡が目じりに残ってらあ。しかも今は何だか猪じゃなくて、子猫とかハムスターとか、小動物みたいな顔をしていやがる。
紅い弾丸が聞いてあきれる。ただの女の子じゃねーか、こいつ。
と、思わせるような顔をしている。
落書きしてやろっかな、こんな顔するんだったら。
「先輩って、宇宙好きですか」
「嫌いだよ」
「どのくらい嫌いッスか」
「酔っ払いの猪女より嫌い」
「……ふーん」
「もっと言えば、ピーマンより嫌い」
「いや、別にもっと言う必要無かったッスよそこは」
「更にもっと言えば、辛気臭い顔の女よりは好き」
「…………あ、そ」
また子が俺から目を逸らす。窓の外に向ける。まるで睨みつけるかのように金平糖たちを見る。そして口を開く。
「先輩、」
「何」
「………ありがとーございます。」
小さく短く低く言ったまた子は、「二度寝するッス。」と体を倒した。で、俺に背中を向けた。まるでふてくされたみたいに。
「どーいたしまして。」
言うと俺は彼女の枕元を去った。
次会ったときそんな顔してたら落書きしてやるからな、覚えてろよ猪女。と、心の中でだけ悪態をついてやった。心の中でだけ。脳天ブチ抜かれるのは怖いからね。