「せんせ」
「…」
「先生」
「…」
「何で無視するのさ」
「今先生とか呼ぶからだよ」
「だって、一番呼びやすいんだもの」
「呼びやすくたって、俺たちの関係否定されてるみてーじゃん」
「否定なんかしてない。でも、先生と生徒の関係だって間違ってないよ。ごく一部だけど」
「…そうだけどよー」
「やだ、銀八かわいい」
「大の男にカワイイはねーだろ」
「だってかわいいもん」
「女子高生のカワイイは当てになんねえよ」
「ならなくていいよ」
「………」
「せんせ、犯罪だよね。生徒に手ェ出すなんて」
「るせ、担任に手ェ出したおまえが言うな」
「ろりこんってやつ?」
「だから、そういうこと言うなって」
「…今ね、すごく銀八のことからかいたい気分」
「何だよそれ」
「いろんな顔してほしいの」
「ああそう」
「そうだ。先生の顔に口紅のあと付けてみたい。漫画みたいにわざとらしく、ベタッと」
「意味わかんね。ていうか、おまえって化粧とかするの」
「するよ、たまに」
「全然気付かなかった」
「学校にはほとんどしていかないから」
「そーですか、って早速口紅塗ってるしよ。早えな行動が」
「杏より梅が安いの」
そう言って白雪は俺の口の端に自分の唇を押しつけ、俺の顔を暫く眺め、満足そうに頷いて「口紅落としてくるね」と洗面所に向かった。何なんだ、あいつ。奴の化粧ポーチが開いていたから手鏡を拝借して自分の顔を見てみると、確かにハンコを押したような口紅のあとが俺の顔に残っていた。まぬけ面だった。
指で口紅のあとにそっと触れてみる。人差し指の先に付着した深いローズカラーは俺にも奴にも不似合いだと思う。でもそういえば、枕元に脱ぎっぱなしのブラジャーの花模様が、この口紅の色と似ている。
せんせ、犯罪だよね。生徒に手ェ出すなんて。
数分前に恋人の吐いた言葉を思い、眉間に力が入る。そんなことは重々承知だ。
時計は五時二分。カーテンの隙間から薄ら朝陽が洩れている。
ハンガーにかかっている白雪の制服、あと二時間半もすれば奴はこれに着替えて普通の女子高生に戻るだろう。同級生に紛れて、平気な顔して俺の授業を受ける。居眠りもする。いい御身分だ。
俺は間違っているだろう。だからこうして一人でいると、罪悪感が止め処なく湧く。それでも悔い改める気はない。奴の顔を見れば、奴の声を聞けば、そんなものはどこかに押し込められてしまうのだ。
奴が戻って来る前にこちらの口紅のあとも拭いてしまおうとティッシュを取る。無精髭のざらつきに口紅はやはり不恰好で、しかもティッシュ如きでは中々きれいに落ちない。学校に行く顔を洗面所で順調に整えているであろう小娘を、羨んだ。
背徳だの罪悪だの、奴は本当に意味をわかっているだろうか。わかってないだろう。白雪は女だが、まだ半分子供だ。生徒だ。俺より少し馬鹿で、俺よりずっと賢い。
ローズカラーが半端に残った面のまま、俺は煙草に火を着けた。