やっぱり白雪は近藤君のことが好きなんだろうなって思った。近藤君は姉上のことが好きだ。だから不毛なんだ。まあ、近藤君の恋(というかストーカー行為)だって不毛なのだけれど。

 教室の隅っこの席から、白雪の背姿を見る。白いセーラー服のそれは丸い。大体机に頬杖をついていて、大体斜め前を見ているのだ。その斜め前の近藤君は姉上に熱い視線を送っている。その姉上に向けられた視線を、まるでどうにか絡めとろうとでもしているかのように、白雪はじっと見つめている。

 何だか可哀想な気がした。

「ていうか白雪ってえー、実は彼氏とかいる系じゃねー?」

「やだな、まさか。いたことないよ」

 ハム子さんと喋っていても、

「白雪さん、今日は日直一緒ですね。よろしくお願いします。あ、花壇の手入れは僕がやっておきましたよ」

「あ・・・・ありがとうございます。そして申し訳ございません」

 屁怒絽君から日誌を受け取っていても、

「お前、何ボサッっとしてんでえ。マヌケ面さらして、デコに肉って油性ペンで書かれてえのかィ」

 沖田君から微妙にいじられていてさえ、心ここにあらずといった感じである。

 あ、また近藤君を見てる。人を好きになるのに決まりも規範もあったものじゃないけれど、それでも、クラスの中の美形・土方君や沖田君には見向きもしないでじっと静かに近藤君ばかりを見ている白雪を、少し変わった子だと思った。

「じゃあね、百音ちゃん。また明日」

 放課後。皇族みたく滑らかに手を振った彼女は、うすい西日の中でゆっくりと手を下ろした。今日は委員会があるらしくて、風紀委員の面々はさっさと教室から出て行ってしまった。他のクラスメートたちも徐々に帰っていって、屁怒絽君は心配だからもう一度花壇を見てくると言って、ついに教室には、僕と白雪だけしかいなくなった。

 彼女はこちらを振り返る。

「いたんだ、志村君」

「いるよ。…イヤ、いくら地味だからってそれはヒドくない?」

「うん。ごめん」

「……」

 いつもの白雪なら(というかうちのクラスの連中なら)ここで暴言でも吐くか、ボケの上乗せをするかだけれど、そうならなかった。口の端を吊り上げて微笑のようなものを保ってはいるけれど、やっぱり悲しそうで可哀想な彼女に、僕はぎゅっと学ランの袖口を握り締めた。

 白雪は僕に構わず席に着いて、日誌を書き始めた。ひたすら静かである。グラウンドの野球部の野太い声とテニスコートの黄色い声、吹奏楽部のラッパの音、そして彼女がシャープペンを走らせる音しか聞こえない。息が詰まった。

「何か手伝おうか」

「ううん、いいよ。これを書いたら終わるから」

 明るく言われた僕は立ち去るかどうか少し迷って、着席し、文庫本を読み始めた。

 三十秒もしないうちに彼女は話しかけてきた。

「ねえ、今日の三限って何をしたっけ」

「数学だよ。坂本先生。漸化式の応用。宿題はナシ」

「ん、ありがと」

 白雪は日誌から、僕は本から目を離さないまま話す。

「ねえ、今日の四限は何だったっけ」

「四限は平賀先生の化学だよ。センター試験が近いからって、演習問題をやったでしょ」

「ありがとう」

 彼女はまたさらさらとシャープペンを走らせる。そして、

「ねえ、五限は何だっけ」

「いやアンタ、今日一日のこと全く覚えてねーのかよ!忘れんの早すぎるよ!」

 習性で勢いよく突っ込んだら、彼女はゆっくりとこちらを振り返った。

「ごめん。今日一日、ぼーっとしてたから」

 そう言って、また微笑を浮かべた。それが何だかもどかしいような気がした。

 彼女がこのところ一日中ぼーっとしていることくらい、僕だって知っている。知っているからもどかしい。どうにかしたいのか、どうにかなってほしいのか、よく分からないのだけれど、とにかく歯がゆいし、可哀想だし、時々見ていられないのだ。

「白雪」

「なあに」

「辛いなら、そう言った方がいいよ。気づく人は気づいて勝手に心配するんだから、ちゃんと自分で言った方がいい」

 それまで言うつもりなんかなかった言葉が、すらすらと出てきた。

「言ったよ、公子ちゃんには」

 白雪は、明るく言う。瞬間、苛立ちにも似た感情を覚えた。

「……っだから、」

 だから、そうじゃなくて。そんな言葉を聞きたかったわけじゃなくて……いや、どう言ってほしかったのだろう。

 僕はこの状況から、どうなればいいと思っているのだろう。

「ごめん、何でもない。五時間目はリーディングだったよ。でも僕もぼーっとしてたから、内容は覚えてない」

 眼鏡を上げて、文庫本を閉じた。そして鞄の中に放り込んだ。

「志村君」

 教室を出て行こうとする僕に、彼女はまだ静かな顔に明るい声で呼びかける。心臓が高く鳴った。

「私、あきらめないから大丈夫。折れないから」

 彼女の意外にも気丈な宣言に安心しなかった僕は、きっとわがままだ。それに、気づかないうち、不毛な連鎖の輪に僕もしっかり入り込んでいた。白雪は僕を好きにならない。クラスメートとして好感を持ってくれても、近藤君が姉上を見るような目で、または白雪が近藤君を見るような目で、もしくは僕が白雪を見るような目で、彼女が僕を見ることはないのだ。

「頑張ってね」

 僕は言って、教室の外に出た。思ったより冷たい声が出てしまって焦った。廊下の空気は冷たい。窓の外の北風はもっと冷たそうだ。

 どうしよう。どうしよう。もう後には戻れない。





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