カウンター裏

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徒然
呟。

そもそも「正しい」か「正しくない」かは、何を基準に決めるのだろう。
同じ約束事という方程式に当てはめられる、例えば算数などの答えは十人が十人、同じ答えでなければ正しくはないが。
こと思想的な観点でそれらを語るとき、多数派か否かは些細な問題に思う。
人は信じたいものだけを信じる、というように「正しいと思っている個人」がいるだけだ。

私は自分が正しいと思った事をし、発言する。
という話をすると、いつも自分が正しいと思うなよ、と言われる事もある。
いや、そりゃあそうだろう。振り返ればいくつ失敗したかわからないぐらいだし、日々失敗はする。後悔する事だってある。
だが、それはその時々の自分の発言に責任を持たない事とは違うと思うのだ。
自分が正しいと思ってもいない事を人に話したり行ったりする人より、ずっといいと思っている。
で。人もそうだと思っている。
悩みながら出した答えかもしれないが、自分の中で正しいと思ったから行動してるのだろう、と。
だから、自分が正しいと思ってるんだろう、と言われるのは、すごく不思議な気分になる。いまそれを理由に私を非難する貴方は「自分が正しいと思ってる」んじゃないのか…?

「多数派だと思ってるのか」と問われれば「NO」。
自分を評するなら「声の大きな一個人」である。
共感する人もいるだろうし、反感を持つ人もいるだろう。
ただ、他者の共感を得たいだけで同調するのは、嫌いなだけだ。
自分が納得したり共感する感性を信じているだけ。

あぁ、そういう見方もあるのか、となれば取り入れていきたい。
自分と違う意見は、自分を押し潰すものではなく、視野を広げるもの。
同意するかは別。自分と違う、という分類をできるのなら、わざわざ反論に行くことがないだけ。
強要されるのには無駄な反発心が出て、突っぱねることも多いけども!



…こういうのを書くと「あれは自分のことか」と聞いてくる人がいるが。
(そして大概、想定してない人でこっちが恐縮する。)
ブログなんかで書く時は「諸々思うことがあって」、「今後の人達に向けて」といった理由がある。
一個人に言いたい事がある時は直接言うか、言ったから。


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