彼女がヒーロー | ナノ





キルを奪還してから一週間が経っていた。キルは、家の状態を気にしつつも、家の呪縛から解放されたことについて喜んでいるようだった。
あたしといえば、キルを連れて隠れ家に潜んでは移り変わりの繰り返しに辟易としていた。
もうそろそろ家に帰すかなんて考えてみても、新しい物を見つけては可愛らしい笑顔を見せるキルに、そんな考えが消し飛んでいく。



「キル。もうそろそろ帰る?」

「な、なんでだよ!」

「あんまり連れ歩いてると、後でとやかく言われそう」

「……連れ出したのはクレアのくせに」



顔をむくれさせたキルは、ふんっとそっぽを向いて歩きだしてしまう。ため息をついてその背中を追い、アイスを一口かじる。
左肩にかけたバッグの中から手帳を取り出し、今後の予定を立てる。明後日には久方ぶりの仕事が入っている。あたし自身の目的のために、その仕事はなしにはできない。もちろん目的を果たすためにキルを連れて仕事場に近い隠れ家まで来たのだ。
さて、あたしが盗みをしていることをキルに明かすわけにはいかないし、どうしようか。
手帳を閉じ、バッグに直しながら「キル」と呼びかける。しかし、返事がない。顔を上げると、つい先ほどまでは目の前にいたはずのキルが忽然と姿を消しているではないか。



「逃げやがったな」



奥歯を噛んで、それから円を広げる。一般人のオーラか山ほどいる中に、一際目立つオーラがひとつ。よく知る感覚に再びため息をつく。追いかけようとすると、すぐにそのオーラが人の足じゃありえない速度で動き出したのを感じ、背筋が凍った。



△▽△▽



「お前、オレの息子に何かあったら許さんぞ」

「はいはいごめんなさいー」

「……クレア、オレも許さないからね」

「だーかーらーちゃんと謝ってるじゃん」



森の奥、古びた家屋に双眼鏡のレンズの先を向けて口を開く。両隣は怒り心頭のゾルディック家二名。レンズの先には椅子に縛られているキルと、その周りで拳銃やらククリやら武器を持った男女が数名映っている。



「お前がいながらキルアが拐われるとはな。とんだ見込み違いだったか」

「そろそろ家に帰るかって聞いたら逃げたんですう。そっちの教育方針に問題あるかと思うんだけど」

「反省してるのクレア。それともしてないの」

「してるしてる。めっちゃしてる」

「誠意は行動で見せてもらおうか」



シルバから嫌な視線を送られて、踏んだり蹴ったりだと顔を顰めた。
仕方ないじゃないか。あたしだって、まさかキルが逃げた挙句、誘拐されるなんて予想もしていなかったんだから。

ため息をついても状況が好転することはない。吐き出したくなるのを抑え、目下の対象をどう狩ろうかと思案する。キルに傷一つでもつければ、きっとこの二人はあたしを敵とみなして今後の協力もなにも得られなくなるだろう。それは大いに困る。クレア=ルシルフルという人間を大いに有効に使いキルにはゾルディック家の人間は必要不可欠である。



「キルに何かあったら許さないから」

「ブラコン。そうなる前に入ってきてよ」



悩んでいても事態の悪化を招くだけだ。思考を切り捨て気配を殺す。絶の状態から標的の家屋へ木々を乗り継いで近付き、音を殺して屋根の上へと降り立った。少し耳をすませば中の会話が聞こえてくる。
売れば金になるとか、その趣味のやつらの見世物にするだとか、始末屋としての奴隷にするだとか、低俗な奴らにお似合いな下卑た内容ばかりで聞くに堪える。

もちろんあたしだって仲間内とそういう話をしないでもないが、大抵は殺してしまうのでそういった会話に発展することはない。同じ穴の狢同士の同族嫌悪とかでもいうのだろう。兎にも角にも虫酸が走る。



「まあ、キルもいますしヒーローにでもなりきってみますかね」



オーラをごく薄くして建物にまとわりつかせていく。相手の力量は飛び移る前に大方計り知れる程度のものであるし、多少力技でオーラを伸ばしても気づくことはないだろう。
いま足をつけている屋根とは別の場所に、一層濃いオーラを張る。建物全体が崩れぬように威力を調整する面倒臭さはあるが、まあ大丈夫だろうと一息ついたところで携帯のバイブレーションが震えた。



「なによ」



声を極力殺して電話の主に悪態をつく。一言『念は使うな』とぶっきらぼうに告げる人物に視線を移して睨みつけた。



『キルアに存在を知らせるにはまだ早い』

「……それなら最初から言ってよね」

『死体は見せても構わ』



冷たい物言いに負けないくらい乱雑に、しかも会話を遮る形で通話を切る。連れ出すときに使ってるのだからもう関係ないだろうと言い張りたかったが、曲がりなりにもシルバは教育者で保護者で、なにより今回ばかりはあたしに非があるため何も言えずに念を解き、地をけった。

屋根の端でくるりと身体を反転させて宙返りの要領で身を翻し、屋根の先端に手をかける。そのまま勢いをつけ、アクション映画さながら窓ガラスを蹴り破って受け身をとった。



「だっ、だ――」



誰だ、とでも口を開こうとしたのだろうか。受け身をとった時点でブーツの踵から抜き取った仕込みナイフを目前の一人、それから一番キルに近くにいた女の眼窩に向けて頭蓋骨を貫通する勢いで投げた。しかし、念を込めてないナイフでは、せいぜい眼球をえぐる程度に留まり、致死性は得られない。
すぐさまキルを拘束しているロープに目標を変え、袖口からもう数本のナイフを投げた。



「クレア姉、ごめ――」

「いいからこっちへ!」

「行かせるかよ!」




硬直するキルに男の手が伸びる。男の頭と左手が後方に飛んでいく。血しぶきを浴びるキルの目が畏怖の色を帯びてあたしを映す。
キルにはなるべく死体など見せたくなかった。
爪の間に入り込む血肉を気にせず二人目を切り裂く。
相手もようやく自分たちの置かれている状況がいかに不利かを理解したのか、悲鳴をあげ、恐怖を隠しきれずに情けなくもあたしへ銃口を向けた。けたたましい破裂音と共に肩を貫く銃弾。痛みはほとんど感じない。
動けず固まるキルを守るように間合を保ちつつ、銃創を顧みず右手で頸動脈を抉る。また一人、また一人と呆気無く、遺言を残す暇もなく散らす大量の赤。いつもなら気にかける返り血も浴びて、周りが静かになる頃にはあたしは全身を赤で染めていた。

生臭い鉄の匂いに吐き気を催す。思わず嘔吐くと顔を真っ青にしたキルが「クレア姉ちゃん!」とあたしの背をさすった。



「オレ、こんなことになるとは思ってなくって……! ただ、家に帰らされるのが、嫌で」

「知ってる。けれど……もうおしまいだ」

「え?」



ポケットの中で震える携帯。汚れるのも厭わず取りだして事が終えたことを告げる。シルバは特に何も思っていないかのような言葉で一言「動くなよ」とあたしを牽制したが、その裏側に隠しきれない息子への心配の色が見えてため息をついた。

「どういう意味」と私を問い詰めるキルの後ろでシルバの気配が近づいてくる。キルは、自分の身体が汚れるというのにあたしに抱きつくようにして「帰りたくない!」と叫んだ。



「オレ、まだクレア姉ちゃんと一緒がいい!」

「キル、迎えだ」

「嫌だ、嫌だ!」



途端に駄々っ子になった弟分に、さて困ったものだと肩を竦めた。
蹴破った窓柵を悠々と飛び越え、ガラスを踏み鳴らしてシルバが眉を顰める。イルミはあたしとキルの状態を見て、苛立ったような空気を醸し出した。
まさか、本当に父と兄が来るとは思ってもいなかったのだろう。二人の到来に気付いたキルは、信じられないような目であたしを見上げる。



「クレア、姉……?」

「キル。ごめんな」



キルの手を握って二人へ近づく。シルバがジッとキルを見つめて、小さく安堵の息をついたのがあたしには分かった。普段なら小馬鹿にしたように鼻で笑ってやるのだが、今回ばかりは状況が状況なため自重することにする。



「確かに条件全てだ」

「じゃあ、この件に関しては不問ということで」

「ああ。ただし、今回だけだからな、クレア」

「はいはい」

「……あまりオレたちをナメるなよ」




適当に返事を返すと、結構ドスの効いた声で睨まれる。思ってもいなかった声に一瞬呆気にとられるが、あたしはすぐに笑ってシルバに応えた。



「そっちこそ、次”間違えたら”本気で殺すからな」



キルをイルミのようにさせないため。殺し屋という家計に悩み苦しむキルを追い込めないため。
もしかすると、あの子達の面影をキルに重ねているだけかも知れない。単なるあたしのエゴかもしれない。だけど、キルを守るためならなんだってしてやる。それこそ、ゾルディック家を敵に回し、手足をもがれようと。

シルバはあたしの言葉には何も口にせず、沈黙を保ったままキルの手をとった。



「っクレア姉ちゃん!」

「悪いな。また、近々会いに行くよ」



癇癪を起こしそうなキルの頭を、血の乾いた手で撫でて背を向ける。
この一件は思っていた以上にゾルディック家の怒りを買ったようだ。私に助けを求めるキルの悲痛な叫びと、父親に対して歯向かうことはできなさそうだという挟み撃ちに頭が痛くなりながら廃屋の窓を飛び越えた。







(これは、キルに嫌われるかもしれないなあ)

(クレアを相手にするには分が悪い……少し教育方針を変えるか)