彼女がヒーロー | ナノ





鼻歌まじりにパフェを食べていると、いきなりメールが入った。
個人用の番号を知っているのは限られてくる。私用の仕事か、と携帯を開くと最近は見なかったがなんとも馴染み深い三文字の名前。
たすけて、クレア姉ちゃん。そう打ち込まれた文字に思考がフリーズする。



「つめたっ」



スプーンに乗ったプリンが太ももに落ちて悲鳴を上げた。トリップしていた思考が引き戻されて直ぐ様我に返る。
親指は素早く電話帳を開いてメール送信者の名前にカーソルを合わせてボタンを押していた。時計を見ると、メールを受信してから二分弱。渡した携帯を持っているのなら、すぐに出てくれるはずだ。
ツーコール、スリーコールと音が流れていく。全く出る気配がなく苛つきがスプーンを置く手に現れるが気にしちゃいられない。十数コールでようやくコール音が途切れ「もしもし」と声にしたが、携帯越しに聞こえた声は、あたしが望む人ではなかった。



『……ああ、なんだ。クレアか』

「イルミ……おまえに用はないんだ。キルに変われ」

『酷いなあ。久しぶりに声が聞けたのに、オレにはなんでそんなに冷たいの?』



舌打ちをこぼして問いただすと、電話の主――イルミは感情が失われた声で淡々と逆に問いかけてくる。こいつの感情が失われたのは何年前の事だったっけ、と不意に考えたが、今はそんなことはどうでも良かったのだ。
イルミの問いを無視して電話を切る。食べかけのパフェをそのままにレジへ向かって伝票と札を店員に押し付けてそのまま外へと飛び出した。

キルが誰かに助けてと願うなんて、よっぽどのことがあったに違いない。あの子ももう8歳……なにをされてもおかしくないはずだ。



「……あいつら」



イルミの時もミルキの時も、あれだけ忠告したはずだ。本人の意思なく家業を押し付けるなと。イルミの感情を失ってもまだ気がつけないような愚か者だというのならば、ちょっとしたお灸が必要なようだ。
パキ、とあたし自身の関節が鳴る。何に対する怒りなのかハッキリしないまま、あたしの足はパドキアへ向かう飛行船のある空港へと勝手に進んでいた。



△▽△▽



「こ、困りますよクレアお嬢様!」

「どけよ、ゼブロ。あたしはお前に恨みはない」

「ですが、また屋敷を――って、ああ!」



試しの門に回し蹴りを放ち、Zの扉まで軽く蹴り開ける。
ゼブロを無視して問答無用で中に入り、こちらの様子をうかがうミケに指笛を吹いて手招きすると、おとなしくこちらへ寄ってきてべろりと長い舌であたしの頬(全身)を舐めた。



「すまないな、暫く端で過ごしてくれ」


昔はミケだってこんなに冷たい目をしてあたしを見ることはなかったのに。
頭を撫でると瞳を閉じて尾を垂らす。主人たちの安否を問うているのだろう。あたしは笑って「大丈夫だよ」と答えた。殺す気なんて最初からないし、間違っても生まれない。あの人数を殺るとなると、あたしだって手足の一本や二本をもがれる覚悟で行かなければならない。あたし自身の有事を果たせなくなるのはまっぴらごめんだ。
ミケを森の奥へ返し、左手に真っ白な本を取り出す。捲られたページに目を落としてその名前を呼ぶと、昔と変わらぬ姿が本から飛び出した。



「……フェネクス、もうちょっとその声量はなんとかならないか?」

「……すまない、ご主人」



けたたましい鳴き声に苦言を呈す。フェネクスはその凶暴なくちばしをはた、と閉じてこちらを振り返り、まさにがっくりという言葉が似合うほど大げさに頭を垂れた。犬なら尻尾も地面に向かって垂直に垂れ下がっているに違いない。
確実にこのフェネクスの咆哮であたしの存在はバレてしまっただろう。それはそれでまた面倒なことになってしまった。



「はぁ……」

「ご、ご主人、次にお呼びいただいた時には必ず――」

「いや、もうそれはいい。出来るだけでいい、館を中心に焼けフェネクス。そして、あたしを乗っけろ」

「御意」



再びけたたましい咆哮を響かせるフェネクスに頭を抱える。こいつはもうダメだ。諦めろ、あたし。
ため息をつき、羽を広げるフェネクスの上に飛び乗ると、フェネクスは木々を避けながら一気に高度を上げて雲ひとつ無い空に身を踊らせた。
グローブ越しに触れるフェネクスの身体の熱が上がっていく。すさまじい速度で熱くなる鉄のような肌に一瞬目を細めた。



「西に見える館を八割。その館から北東に見える館を、北西の方角から八割ずつ破壊しろ」



熱で溶けるグローブを投げ捨て、使い物にならない靴も脱ぎ捨てる。
炎が周りに渦巻き、喉が焼けそうな感覚に陥るが、召喚者が肉体的ダメージを得ることはないことを思い出し深呼吸する。暖かな空気というには、些か語弊がすぎる温度まで暖められた大気に咽そうになりながらフェネクスに命じ、飛び降りる準備をした。
一瞬だけ視線があったフェネクスはその場で一度羽ばたき天を仰ぐ。咆哮と共にフェネクスの身体から離れた炎は火球となり、勢い良く大地に降り注いだ。



(待ってろ、キル。今助けてあげるから)



大事な大事な弟分からの願い。叶えなければ、姉貴分が廃るってもんだ。
フェネクスの背を叩き、合図を送って更に高度を上げる。その間にも次々に大地へ降る火球の勢いは止まない。目的地へ近づいたその時、遠くの方から嫌な気配がして眉をひそめた。――あのいけ好かないミステリアス親父だ。



「ご苦労、フェネクス。降ろせ」

「ご主人が望のならば、なんなりと」



本を閉じる直前、フェネクスから身を離すと、さっきまでの灼熱とした空気と代わってふわりとした浮遊感が全身を包む。
ダメージを受けないようにオーラで身体を守り、本邸へ一直線へ飛び降りる私の耳に、やっぱりうるさすぎるフェネクスの一鳴きがやけに残った。



「――っ!」



目前へ迫る屋根にある程度の痛みを覚悟すると同時に、ダメージを予測してオーラの出量を上げる。屋根に足がついたと同時、予想よりも上回った衝撃に思わず声にならない悲鳴を上げ、轟音を響かせながらゾルディック家の屋敷内へなんとか着地すると、乾木をへし折るような音が頭に響いて唇を噛んだ。



(やっぱり、足やっちゃったか)



ガラガラと崩れ落ちる屋根の残骸に埋もれながら、変わってない内装の地図を、記憶の引き出しから引きずり出してため息を一つ。
拍動と同じリズムで痛む左足を庇いながら瓦礫の中から這い出て円を広げた。



「あー……」



嫌なオーラが近づいてきてるのが分かり、口角が引きつる。キルア坊ちゃん、キルア坊ちゃんとバカの一つ覚えのように煩い眼鏡執事が放つオーラのソレに、すぐにここから離れるべきだと判断するも、痛みが強く、歩こうにも歩けない。
舌打ちをこぼして瓦礫の中から添え木に良さそうな長さの木材を引き抜く。シャツを破いて左足に木を括りつけると、幾分痛みはマシになった。



「おい」

「あーあ。面倒なのが来ちゃったよ」

「俺からしたら、テメェのほうが面倒なんだよ」



挨拶代わりのコインが三枚。「年頃のレディーに対するマナーがなってないんじゃないの?」と鼻で笑いつつすべて受け止める。指先に挟み込んだコインの二枚に念を込め、頭上に撃ち放つあたしに対して「お前がレディーとは冗談はその存在だけにしろ」なんて、存外先ほどよりも失礼な台詞を吐き捨てたクソ執事にため息をついた。



「ああ、嘆かわしいこと。この家の品格を疑うね、ほんと」

「黙れ。貴様ごときがゾルディック家の品を謳うな」



突き抜けた天井。撃ちぬいたコインによって僅かにきしむその存在を、目の前の執事はまだ気づいていない。慣れ親しんだポーカーフェイスを貼り付けて「キルはどこにいる」と問えば、それが自然の摂理でもあるかのように「お前にキルア坊っちゃんの場所を教えるわけがないだろうが」と予想通りの返答をしてきた。
教えてもらえるなど、毛ほども思っていない。この眼鏡執事が、真説にもキルの居場所をあたしに教えることなど、ジンやあたしが結婚して子どもを作ることぐらいありえない。やっぱりね、と内心ため息をつきたい気持ちにかられつつ円を広げた。一瞬にしてククルーマウンテン全土を覆う円に、ゴトーの顔つきが鋭くなる。



「へえ……そこか」

「テメェ――!」



ゴトーが一本踏み出した――刹那。ミシリ、とコインを撃ちこんだ屋根が音を立てる。クソ執事の視線が一瞬そちらに写ったタイミングで、持っていたコインに人一人撃ちぬくのに十分なオーラを纏わせ、目の前に撃ち放った。



「――っぐ!」

「余所見してんじゃねえよ」



オーラの移動は拙いながらも、眉間に風穴が開くことを寸でのところで防いだゴトーに近付き、鳩尾目掛けて膝を埋める。綺麗に入った膝蹴りはゴトーの呼吸を数秒止め、崩れ落ちる屋根にも反応することすら許さず、足底をその場に縫い付けた。
鼻先を瓦礫が掠める。着地と同時に鈍く響く痛みにため息をついて、肩にかかった髪を払う。
キルは地下深く――拷問部屋に軟禁されているのだろ。まずはその救出。それからシルバやゼノにとびきりスペシャルなプレゼントを叩きつけてやらなければならない。



「二人相手に負傷は厳しいなあ」



いったい、何本の骨を犠牲にするのかなあなんて考えながら、足早に目的の場所へと足を進めた。



△▽△▽



目につかないよう絶をし、あらゆる場所をこれでもかというほど破壊しながらようやく拷問部屋にたどり着いた。誘うように開いたままの扉を前に深呼吸をしたあと、息を潜めてそれを潜る。
おそらく、この先にはキルの他に余計な奴もいるだろう。そう考えた矢先、背後にあった扉は低く響きながらその口を閉じた。



「やっぱりお前か」

「やっぱりあんたたちがいるのね」

「ふん。こう見えてもまだまだ現役なものでな。簡単に出て行ってもらっては困る」

「クレア姉さん、オレ、こんなつもりじゃなくて……!」



丸く大きな瞳に涙を貯めたキルの顔を、無表情のイルミが殴る。
ああ、兄弟にこんなことをさせるなんて。本当、どんな教育を施したらこうなるんだ。



「あたしはねえ、これでも優しいほうなわけよ。とびきりね」

「どの口が言うか。これだけ屋敷を破壊しおってからに」

「ははは、それはサービスだよ、お二人さん」



キルをここから連れ出す。それがあたしの目的であり、達成されるべき事項の最優先。
キルの横に佇むイルミをちらりと見て、眉を寄せる。あれほど昔は可愛げがあったのに。
ふう、と息をつき、かつてライデンが行ったように、ごく薄いオーラを隠で紛れさせながらゆっくりと伸ばす。



「流石にこのあたしも、負傷しながらお二人さんと殺りあうのはいささか厳しい」

「クレアにしては、素直だな」

「まあね」



まずは、キルとイルミの両足元をぐるりと囲む。その次はシルバだ。額にジワリと滲む。バレたらあたしの勝ち目は薄い。重苦しい部屋の空気が張り詰めていく。全神経を集中させながら、シルバの両足を捉えようとしたとき、シルバの目が細められた。



「何を企んでいる」

「あらー? このあたしが何か企むようなことがあると?」



ドクリと心臓が脈打つ。バレたか。動揺を持ち前の嘘つきの顔で覆い隠しニッコリと微笑む。シルバは組んでいた腕を解いて、「ああ」と頷いた。



「お前は昔からそうだからな」

「流石シルバ。よく知ってるじゃないか、このあたし様を怒らせてるんだから、その先も分かるよな?」

「まったく……そういうところは昔から変わらんのう。もう少し落ち着きを持たんか、クレア」



今にも動かんとする二人を牽制するため、左手に本を出す。「本気か」と眉を寄せるシルバにまともな返事なんて返してやるわけもなく。
ページを捲ることでYESと答えを返し、張り巡らせたオーラが完成の形を作ったことを確認して息をつく。柄にもなく手が震えていたのは、きっと緊張と折れた足の痛みがそうさせていたのだ。



「おいで。イツラコリウキ」



ゼノは止められなかったが仕方ない。召喚とともに空気は更に張り詰め、冷気を帯びる。シルバがオーラを察知し、避けようとした距離もあたしの予想通りで、出現した氷の壁がシルバとイルミを閉じ込めた。
氷の迷路と化した一室を蹴って、ゼノの元へ一直線に走る。右手に握りしめたナイフを老いぼれの目を抉るように突き出すが、それよりも早くゼノの爪先が左腕を掠める。「走れ!」とオーラに怯えるキルを叱咤し、更に間合いを詰める。精孔の開いていないキルアの腕をとって逃げるわけにはいかなかった。ゼノと対峙する余裕のない状態では、万が一の事が起こる可能性が高いからだ。
キルの気配が出口へ向かうのと、シルバを取り巻く氷の壁がミシリと音を立てたのはほぼ同時。間にあうかななんて内心焦りを覚えながら、フェイントを混ぜて急所を狙う。



「クレアっ!」

「大丈夫。あたし様に任せなさい」

「三肢で止められると思われとるとは心外じゃ」

「残念、こちらは七肢だ」



闇に姿を潜ませていたイツラコリウキの腕がゼノに伸びた。
ゼノの後ろは先ほど生み出した氷壁によって阻まれている。「ほう」と新しい玩具を見つけた子供のような、歳にそぐわぬ表情を携えたゼノが、シルバやイルミと同様に氷の城に捕らえられる。キルの気配がようやくドアを抜けた先にあるのを確認し、あたしも踵を返してドアへ向かう。



「クレア、オレ、こんな……!」

「いいから走れ!」



ある程度距離を離さなければキルを抱えるわけにもいかないどころか、逃走手段である白龍も召喚できない。キルのだだ漏れのオーラがあたしの足を引っ張る。
口より足を動かすことをピシャリと告げて痛む足を無視して走る。半壊した屋敷の瓦礫を飛び越えながらら穴の開いた壁を潜り樹海へ出る。もうそろそろ誰かが脱出してもおかしくない時間が経過していた。すると、ほら見たことかと言わんばかりのタイミングで、イツラコリウキが「破られました」と口にする。それを証明するかのようにシルバのオーラがあたしたちを追いかけるように移動するのがわかって舌を打った。
左手の本を畳んでキルの首根っこを引っ掴み肩に抱える。「なにすんだよ!」と緊張感も危機感のカケラもない非難を無視しスピードを上げた。



「舌を噛むなよ!」

「――!!」



キルの精孔を開かぬようオーラを練り、再び本を出す。白龍の名を呼び、すぐさま現れた背に飛び乗り、鬱蒼と生い茂る木々をなぎ倒しながら空へ向かう。ゼノの念龍に警戒を解かぬよう背後を注視していると、やっぱりというか、案の上構えを取るクソジジイの姿が見えて、背中に冷たい汗が伝った。



「ああ、くそったれが」



迫る念龍にため息をつき、白龍を消さないように、だけど自身の身も守れるようオーラの配分を変えた。痛いのはあんまり好きじゃないんだけどとぼやき、ため息が宙を漂う。それでもキルだけは守らなければならない。イルミを守れなかったぶんも含め、キルだけはなんとしても。
白龍の後尾へ歩を進め、右腕をくれてやる覚悟で突き出すと、想像以上の衝撃が身体を貫いた。








(クレア!)

(っあー痛い。痛いぞこんちくしょう。あのクソジジイ本気でやりやがったな)

(クレア、クレア、どうなってるんだよ、何があったんだって!)

(ああ、痛い、これ普通死ぬよね、あいつら本当人の心持ってない。なんとか生きてるよあたしすげえ、ありえない、死ぬかと思った)



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イツラコリウキ-アステカ神話、石と寒気を司る神と言われる。また、夜明け前に冷え込むのはこの神の仕業とも。かつてイツラコリウキは、明けの明星であるトラウィスカルパンテクートリという神であった。しかし、太陽に挑んで敗北し、今の姿に変えられたという。すなわち、第5の太陽が創造された時、トラウィスカルパンテクートリは太陽に向かって矢を放ったが、狙い外した。太陽も矢を放って反撃し、その矢はトラウィスカルパンテクートリの額に突き刺さった。これによってイツラコリウキに変化した。(Wikipediaより抜粋)