彼女がヒーロー | ナノ





伸ばした髪が風にあおられてなびく。
吐き出した紫煙は風に乗って空へ消えていき、軽く噛んだフィルターへ再び口をつけた。
今宵襲撃した美術館には赤いサイレンが集中し、足下のビルの根本では瞬く間に喧騒が広がりつつある。
手のひらの上で盗んだ宝石を弄び、「これじゃないんだよなあ」と呟けば、後ろでこれまた煙草を咥えていたヴィントが「またハズレかよ」と嫌々ながらに眉を寄せた。



「本当に存在するわけ? その久遠の星とやらはよぉ」

「文献にはそう書いてある。これも形は似ているが――」



ひゅ、と星空へ向かって高く放り投げる。
月の光を反射して煌めいたソイツは、そのままヴィントの手中へと収まった。



「反射光が純粋すぎる」

「……あっそ」

「価値はあるが、久遠の星が作られたであろう太古のものとは考えにくい。昔からそんなカットができるのであれば話は別だけど」

「とりあえずこれは違ってんだろ? じゃあ、こいつも売るか」



ぐっと伸びをしてヴィントの言葉に頷く。
金は腐るほど持っているが、ありすぎて困るものでもない。とくに、あたしやヴィントのような居住を転々として生活をしているのなら尚更だ。

吸い終わったタバコの火を靴の裏でもみ消し、まだ喧騒の止まない足下の騒動を見下ろした。



△▽△▽



「お早いお帰りで」

「目当ての物は見つかった?」



人通りのない路地。二つの影が出迎える。
片手を上げながら「よっ」と笑った影の一つは、昔からのあたしの相棒であるユウトだ。
その隣にいるのが、ユウトのストーカーであるチェルシー。彼女は一般人さながら、そのストーカー稼業で培った情報力を評価され、ユウトが直々にあたしへ紹介してきた女である。
その後二人ができたのかそうでないのかは知らないし、興味もないが、とりあえず使える女ということで側においている。



「次の情報は?」

「ということは、見当ハズレだったわけだ」

「察しがいい子は嫌いじゃないけどねチェルシー。その嘲る目を止めなきゃ殺すぞ」

「キャー怖いっ」



一睨みすれば「助けてダーリン!」と鼻につく声でユウトに抱きついたチェルシー。抱きつかれた当人は、そんなチェルシーを横によけて、にこやかな笑みで「もちろんあるよ」とその有能ぶりを披露してみせた。



「流石」

「私とのデートをすっぽかして手に入れた情報だけどねー」

「チェルシー。付き合ってもないよね俺たち」



ため息まじりに呟いたユウトが額を抑える。ストーカーという名の暗殺者にしか巡り合わせのないあたしからすれば、彼の気持ちが全くわからないので助けることさえできない。
心の中で合掌していると、不意にヴィントが「なあ」と声をかけてきた。



「お前の探してる宝石、他にわかりやすい特徴はねえのか?」

「……わかっているのは形と色、それからおおよそ何時頃に出来たものかだけだな。それも正確なものかは、正直あたしには分かりかねる」

「つまり、どこにあるのかさえ、それが実在してるのかさえ定かでないっつうコトか」

「まあそうなるな」



修道服のポケットからタバコを取り出して火をつける。
あまりここにも長居していられないし、そろそろ行かなきゃな。
付けていたカラコンを外してそこら辺に投げ捨てる。愛用の白い仮面をつけて「行くぞ」と声をかけた時、「待てよ」と後ろから声がかかった。



「あ?」

「ちょっと、スペード。そんな口の聞き方はダメでしょー女の子にモテないよ? ただでさえ野蛮人なのに」

「こら、ダイア。そんな言い方もダメだよ」



瞬時にコードネームへ呼び方を切り替えた三人が、表面の態度とは裏腹に臨戦態勢をとる。
仮面の下で眉を寄せながら「何かご用?」とワントーン高めの声で振り返ると、後ろで控える黒いコートが真っ先に目に入った。



(あれは……)



何かが引っかかる。あのコート、あたしは知っている。それを着ていた人物も。
思考がひとつにまとまる前に、鋭い殺気が飛んできてあたしは我に返ってその場から飛び退いた。
横でヴィントの驚くような声が聞こえて、続いて着地音が耳に届く。あたしたちが今までいた場所には細身の刀が刺さっており、それは黒ずくめの小さな男が手にしていた。その目は鋭く冷たい。古い血の臭いが香って、久しぶりの暗殺者かとコチラも短刀を抜いた。



「クローバー、スペード、ダイア。帰って次の目的地に迎ってくださる? もちろん後処理を怠ったらお仕置きですわよ」

「了解、ジョーカー」

「遺骨回収なら任せとけよ」

「無様な死に体をわたし達に回収させないでよ」



一言も二言も多いメンツ(ユウト以外)に舌打ちを漏らし、仮面の下で彼らを睨んで早く行けと手で追い払素振りをしてから小さな輩へ向き直った。



「それで、何の用かしら」

「は、仲間を逃したか。お前、余裕ぶてるつもりか?」

「質問してるのは――」



続けようとしてはたと止まる。この殺気。この撥音便の抜けた特徴的な喋り方を――あたしは知っている。あたしはどこかでそれを認識したはずだ。

思慮に耽るあたしに刃が伸びる。ハッとして顔を背けるも、仮面に切っ先があたって一部が砕けた。眼球ギリギリを通過していく刃面を見送りながら地面を蹴る。
近接距離で相手に攻撃を仕掛けるもすばしっこいチビは鼻で笑いながらその攻撃を避けていった。



「お前、弱すぎるね」



隙を見せるように右手で大ぶりの攻撃を放ったあたしにそう言ったチビは、ニヤリと笑ってあたしを殺そうとオーラを一つに集約させてあたしに斬りかかる。
まさに絶体絶命。あたしは想定通りの動きをしてくれた相手に感謝をしつつ、右手首に引っ掛けてあった紐を爪で切った。



「どっちが」



左手をすかさずチビの目の前にやって、その刃を堅で防御させた手で掴む。刮目したチビが驚いているその間に、袖口からオーラを纏った銀ナイフがチビの頸動脈を狙ってまっすぐ飛ぶ。
後ろで控えていた何人かが「フェイタン!」と叫び、ナイフが皮膚を少し切り裂いたところで本能からか上体を横へとずらしたチビが命を繋ぎ止め、舌打ちを零してあたしから距離をとった。



「団長、コイツ殺ていいか」

「……かまわん。どうせさっきの仲間も皆殺しだからな」

「あらいやだ。弱い犬ほどよく吠えるものね」



砕けた仮面の部位を確認するために顔に手をやる。どうやら右半分くらい持って行かれたようだ。
どうせ殺してしまうのだから、正体を隠しているのも面倒だと残りの仮面を地面に放り投げ、かぶっていたウィッグも動きにくいと脱ぎさった。
バサリと黒髪が音を立てながら流れる。鬱陶しげにそれを払いながらふう、と一息ついた。クリス=ロイロードだとバレても仕方ない。こいつら逃さず全員殺してしまえばいいだけの話。向こうがあたしを殺す気でいるのなら、あたしだって容赦はしない。
音を鳴らした関節が、手を凶悪な武器に変える。



「……!」

「さて、と。殺す気でいるならあたしだって殺っちゃって構わないよねえ?」



誰かが息を呑む。それを合図にあたしは飛び出して振りかぶった。防御に向けられた刀をへし折って、あたしの拳がチビの顔面にぶち当たる。乾いた木材を割ったような甲高い音が頭に響き、続けて骨と肉が砕けるような気色悪い感触が伝わってきた。
勢いのままそいつを蹴り飛ばし奥にいる人影に向かう。心臓を抉りだそうとつきだした腕は、関節を殴られ起動を変えて上腕を掠めるだけに終わった。
その隙をついてくるのは厳つい顔をした男の腕で、背中に綺麗に入った攻撃に、腰椎が軋む音がして眉を寄せた。
固いコンクリートに打ち付けられ、くぐもった声があたしの口から漏れたせいか、男の気がほんの少し緩む。
反動をそのまま地面に手をついて下肢を振り上げ、憎らしげな表情を浮かべるソイツの顎を、砕く勢いで蹴り上げた。
声もなく一歩下がる男に服の下から錫杖を取り出して距離を詰める。



「っ待て、クレア!」

「――あ?」



ピタリと動きが止まる。黒いファーコートを身にした男があたしを見る。
間違いない。さっきコイツはあたしの本名を口にした。
仲間内と協会の数名、それから会長以外誰も知るはずのないあたしの名前を、確かにコイツは呼んだんだ。



「クレア……って、」

「やっぱり……生きてたんだ。よかったね、団長」



向こうはあたしを知っている。ということはあたしも知っているはずだ。
誰だこいつらは。あたしの記憶に、こいつらみたいな不審者なんて――。
記憶が遡っていく。少しずつ少しずつ昔へと。



「……あ」



わかった。わかってしまった。コイツらは、あたしが捨ててきたガキたちだ。
サッと全身から血の気が引いて、ファーコートから逃げるように飛び退いて離れる。
あたしの記憶が正しいのなら、あのチビはあのフェイタンで、顎を砕いたのはフィンクス。さっき団長と言っていた金髪がシャルナークだとすると、団長と呼ばれていたのは――あたしの唯一無二の弟のはずだ。

念の為にとユウトに持たされ、今まで使い道のなかったものを取り出して地面に叩きつける。
小さい破裂音と同時に当たりに白い煙が立ち込め、すぐにあたしの姿を隠した。すかさず陰をし、足音を消してそこから走り去る。
後ろのほうで舌打ちと、それからあたしを呼ぶクロロの声が聞こえてきたが、全て無視を決め込んでビルの屋上向かって段差に足をかけた。