僕らのヒーロー | ナノ





帰るとそこには誰もいなかった。ライデンが引き続き面倒を見てくれているのか、と安心して部屋に戻ろうとしたが、水見式をするためにマチに用意させたグラスが使われずにそのままになっていた。
いったいどういうことなんだ、とライデンに携帯で連絡を取ろうとするが、電源が入っておらず繋がらない。



(何してんだ、あの髭達磨……!)



携帯を投げ捨てたい衝動に駆られるが寸でのところで抑えて深呼吸を繰り返す。水見式が済んでいないことへの安心感と、頼んだことをしてくれていない苛立ちが心中を交差して眉を寄せる。
ため息をついてソファーへ腰かけると、ポケットに入れたばかりの携帯が唐突に震えだした。ディスプレイには優男の二文字――マルクスだ。
こんな時に特に望んでも期待もしていないやtからの電話に舌打ちをして無視を決め込むが、二分、三分と続くバイブレーションに嫌気がさして、仕方なしに通話ボタンを押して携帯を耳に当てる。向こうが何かを言う前に「用件」と短く言えば「なんで早く出ないんだよ!」とやけに焦った声で怒鳴られた。



「あれ、なんだよ! いったいどういうことなんだクレア!」

「は?」

「なんでお前の弟らがマフィア相手にドンパチしてんだ!」

「!?」



マルクスの言葉に思考が停止した。手から滑り落ちた携帯が床とぶつかって嫌な音を立てて跳ねた。
マルクスの言っている意味も状況もわからず告げられた現状に混乱し、どうにも上手く頭が働かない。けれど身体は勝手に動き、動揺したまま足は自室へと向かう。
開け放ったドアの向こうにはいつもと同じあたしの部屋が存在している。一見何も変わりがないように見えるが……。素早く四方に目をやって異常を探ると、積み上げた書類の一部がおかしいことに気づいた。



(あたし、あんな置き方してないよな)



一番上の書類を取って目を見開いた。
金庫に隠してある機密書類がそこにあるなんて、誰が予想していただろう。しかも、犯人が自ずと特定できるなんて。
金庫の場所を知っているのはただ一人、あの髭だけだ。
間引きを積極的に行っているある一つのマフィアの情報が事細かく記された書類……これをあいつらが読んだのなら、ライデンがクロロたちに読ませたのだとしたら向かうところは決まっている。
修繕したばかりの窓を蹴破り、外へ飛び出しながら本を左手に持ち、白龍の名を叫ぶ。召喚の声に呼び出された龍の背に乗り、焦る気持ちを押さえながらどうか間に合ってくれと願った。




△▽△▽




流星街から程よく離れた場所に、今回クロロたちが襲撃しただろうマフィアの屋敷はある。
白龍から飛び降り本をしまう。すでに焼け焦げた臭いと鉄臭さが充満していて、急いで円を広げてバカどもの気配を探る。
だだっ広い屋敷に肝心のライデンの気配はない。あの髭どこへ行きやがった、と苛立つあたしの横を鉛の弾が発砲音と共に抜けた。
咄嗟に物陰に身を隠すと、さっきまであたしがいた場所へもう一発が埋め込まれる。
近場に銃を持ったやつがいるわけでもないので、おそらくスナイパーライフルかなにかであたしを狙っているのだろう。



「くそ、面倒なことばっかおこしやがって……」



そもそもなんでこんなところに行くことになったんだ。
愚痴りながら投擲用の銀ナイフを取り出し、念で強化する。銃弾が飛んできた方向を思い出して、着ていたジャケットを投げて弾を誘い、思い通りにかかった獲物の殺気から場所を特定してナイフを投げた。



「はいストライクー」



止んだ銃弾に勝ちを確信し先を急ぐ。幸いにもあのアホ共はご丁寧にも一箇所に集まってくれている。保護するにはうってつけだ。
爆発で崩れた階段を飛び降りて下へ下へと走る。
不気味なほど静かな屋敷と転がる肉片にざわつく心を抑えながら、バカ共を置いていった自身を恨んだ。



「ここか、っ!」



気配を辿った先はぶち破られた大きな扉。エントランスホールへと繋がるそれを飛び越え、物陰へ息を潜めるスーツの男たちを銀ナイフで射止める。
数えた頭の数とガキ共の数に相違がないことを確認し終えると安堵から胸を撫で下ろした。



「クレア!」

「説教は後、今は早くここから――」



逃げるぞ、と口を開こうとしたところで建物が大きく揺れた。そうして続く爆発音。視界を遮る砂埃に円で対応し、何が起こっているのか探ると、非常に思わしくない事態が起こっていることが明らかになった。



「……増援か」

「ピンポーン、クロロ大正解ーって言いたいとこだけど、マズイな……」

「足手まといにゃならねえぜ」

「そういう意味じゃない」



足手まといだなんて、まさかあたしとライデンが鍛え上げておいてそうなるわけがない。
あたしが懸念しているのは、外部にこの子たちも念を使うことができると知れてしまうことだ。そんなことになった日には、クロロたちは優先的に間引きの対象となってしまう。
全員……ここに足を踏み入れた奴は皆、殺してしまわなければならない。
クロロを守るためなら、女だろうが子どもだろうが、赤ん坊さえ容赦なく首を落とさなければ。

近付いて来る気配に覚悟を決め、本を左手に持ってナイフを数本、右手で構える。
クロロたちには一歩も動くなと念を押して、増援がホールへ踏み込んだのと同時、足音を消して飛び出した。



「ぅぐあっ」

「――!」



砂埃で周りが見えないのは向こうも同じ。だけど、ゾルディック家の仕事で場数を踏んでいる分、こっちのほうが有利に動くことができる。
迷いなく首を跳ね、血を避けながら次の刃を薙ぐ。
首じゃなくても太い動脈が走っている部位を切り落せば、スーツを着た男たちは簡単に命を散らしていく。
血や脂で切れ味の悪くなったナイフは投げ捨て、次を取り出しては同じことの繰り返し。そんな中、視界の端で何かが動いた。



「モンド、逃げろ……っ」

「でもっ」

「逃げるんだ、秘密の通路に……!」

「逃すかっての」



クロロたちのために、何人足りとも逃すことはできない。守るためには誰一人としてここから生かして帰すわけにはいかないのだ。
指示に従い少女の手を引いて逃げようとする青年に向かってナイフを投げる。真っ直ぐな軌道を描いて飛んだナイフは青年の頭部を射抜くと思ったが、庇うように飛び出してきた青年の父親であろう男の眉間へ深々と突き刺さった。
事切れる直前に零れた呻き声と倒れこんだ音に振り返った青年。その目に恐怖と確かな憎悪の色が浮かび上がり、自身の盾となって崩れ落ちた父親の姿を目の前にして叫ぶ。
そんなに言うなら、今すぐお前も同じ所に逝かせてやるよ、と新しいファイティングナイフを抜いて、青年の頸動脈を狙って踏み込もうとした時、背後でエマとシャルの悲鳴が聞こえてきて動きを止めた。
直ぐ様足は声の方へ向かい、砂埃で悪くなった視界の先に、クロロたちを狙う敵がいることを目視できた。ナイフを投げるには近くにアホ共がいすぎでどうすることもできない。
こうなったら頭をもぎ取るしかない。関節を鳴らして利き手を変形させるが、あたしが行動に移すよりも早く、迫る男の腹部から前腕が飛び出してきて血が吹き出した。念で強化されたその腕は迷いなく腹を横一文字に引き裂き、倒れた奴の頚椎を躊躇なく踏んでへし折る。



「甘く見るなよ、クレア」

「……言ってくれんね、クソガキ」



ニヒルな笑みを浮かべるクロロに鳥肌が立つ。
思っていたよりもずいぶんと成長していたらしい。ファイティングナイフは懐へ直し、本のページを捲った。タナトスと記されたページで捲くる手を止め深呼吸。
全て殺してしまわなければならない、そう決めたのはあたしじゃないか。



「――タナトス」



風が起こる。真っ黒な身体をした男が金の目を開き、機械のような腕で剣を握る。双眸には敵とみなしたスーツの男たち。「全員殺せ」と吐き捨てたあたしに答えるように頷いたタナトスは、瞬時に近場の男を切り刻んだ。
情け容赦なく肉片と化していく惨状を無感情に見つめる。圧殺、惨殺、刺殺、爆殺――残虐の限りを尽くすその姿はまさに死を神格化した存在そのものであった。
血飛沫を浴びて赤色へと変わり果てた本を閉じ、足元へと転がってきた頭を踏みつぶして円を広げる。
すると今までなかった気配がすぐ近くにあってため息をついた。



「帰ったらどういうことか説明してもらおうか、ライデン」

「そりゃあ嬢ちゃんの思ってる通りだろ」



ニヤニヤとクソ腹立つ笑みを浮かべたライデンに舌を打つ。そんなの知らんと口を開くと、笑みは更に深くなってあたしを苛立たせる。
そんな中、クロロがあたしの服の袖口を軽く引っ張り「帰らないのか」と首を傾げた。



「帰る。帰るよ。けどな、お前ら。あたしは怒ってるからな」

「そうは見えない」

「それはあんたがあたしのことをほとんど何も理解していないからじゃないか、クロロ」



あたしの言葉に眉をひそめたクロロを無視し、マルクスに連絡しようとして携帯がないことに気付く。そういえば、動揺して落としたっけ。そのまま放置してきてしまったのか、と思いながらライデンの修道服のポケットに手を突っ込んで携帯を漁る。
真っ黒な画面を映すそれの電源を入れると、着信履歴にはあたしの名前の他にマルクスの名前がズラリと並んであった。
電話帳を開くということはせず、折り返してマルクスに電話をかける。数回のコール音ででたマルクスへ「あたしだけど」と告げると「詐欺かよ」と返ってきた。



「ガキどもは回収した。ティナをこっちに送って。距離があるから狙われると厄介」

『了解。次、んなことねえようにな』

「……善処する。迷惑をかけた」

『いいって。んじゃあ向かわせるわ。数分でつくと思うからよ』

「ありがとう、マルクス」



通話を終えて携帯を投げ返す。ティナが来るまで数分の猶予ができたわけだが……。クロロたちに理由を追求するには短すぎる時間だ。その間にやれることは巨万とあって、そちらを優先させることにしようか。
地下のどこかに必ず存在するセキュリティルームへ続く隠し階団を探すのは面倒だ。膝をついて拳の一点に意識を向ける。周りを余計に砕いてガキどもを落っことさないようオーラの微調節をしながら、赤いカーペットを敷いた大理石の床を殴り割った。
響く轟音。再び砂埃で視界が悪くなる。物理的に作った階下への道はきちんと開通していて、とりあえずライデンへ「ちょっと下に行ってくる」と告げ、真っ暗な闇へと飛び降りた。



(比較的綺麗ってことは、当たりか)



着地音が大きく反響したのを聞くと、降りたところは部屋ではないらしい。となると、思惑通りどこかの通路に出たようだ。血の汚れも戦闘の痕も見られないことから判断すれば、クロロたちも足を踏み入れていない秘密の地下通路ということになる。
ここにモンドとかいう青年と女の子が逃げこんだはずだ。薄暗い辺りを円をしながら探すがなかなか見つからない。どうやら相手もそこそこ念を使えるらしい。
さてどうしようかと一瞬考えたが、面倒くさくって放棄する。どうやって探そうなんて念以外の手を考えるのは時間の無駄で、目を閉じて五感を研ぎ澄ませれば、どこからかかすかに血の匂いと布ずれの音、それと呼吸音が聞こえてきた。



(近いな)



あえて靴の踵を鳴らして歩く。向こうが勝手に動揺してくれると助かるなあなんて思いながら。
思惑通りガタ、とある部屋から物音がした。自分でも性格が悪いと思うが、耐えられず「みーっけた」と笑みが溢れる。まさか、早々に終わらせられるとは、流石あたし。運だけはいい。
扉を蹴破るなんての粗雑な振る舞いはしないでゆっくり、音を立てながらそこを開く。



「ほら、出ておいでよ」

「っく、来るな!」

「近付かずに殺せって? 無茶言うねえ……まあ、それができるんだけど」



ナイフを袖口から抜いて投げる。モンドの肩へ刺さった刃物は少女の手によって抜かれ投げ返される。
けど、殆ど素人が投げたナイフは軌道なんて簡単に読み取れて、なんて苦労も焦燥もなくナイフの柄を掴むことができた。



「さてとモンドくん。女と死ぬか、君だけ死んで女を売るか…二つに一つだ」

「ふざけたことをっ」

「いい? これは提案なんかじゃない、命令なんだよ。アンタ達の命はアタシが握ってる。活殺自在とはまさにこのこと……いいから、どっちか選べよ、クソガキ」

「――選ぶのはお前だよ」



突然目の前に現れた第三者。そいつの声と同時に腹部を激痛が走り、壁に背中を強打する。
喉を駆け上がる胃液をなんとか押さえこんで、乱入してきた白いスーツを睨みつけながら「笑えない冗談だな」と笑みを浮かべる。



「戯言はいいって、クリス……いや、クレア=ルシルフル。そんなに強がってちゃ可愛い顔が台無しだぜ?」

「……へえ」



あたしの本名を知ってるなんて、こいつらを殺す理由がまた増えてしまった。
感付かれないように抜いたナイフを投げるが、不意打ちにも関わらず叩き落とされてしまい、その間に体勢を立て直そうとするが、訳のわからないもので拘束されて蹴飛ばされる。
咳き込むアタシを横目にモンドと女を脇に抱えた白スーツ。憎たらしい顔をめちゃくちゃにしてやりたかったが、身体は少しも動かない。強化系なら、と考えたが生憎特質から強化になるなんて無理だ。



「あばよ、クレア。今度会うときは復讐に囚われた、綺麗なお姉様になってんだろうな」

「っ待て!」



革靴のヒールの音が遠ざかっていく。殺さなければ。殺さないと、あの子達が間引かれてしまう。教会を、皆を守るためにこんな力を手に入れたんだから。
動け、と何度も叫ぶ。闇に消えた白に絶望を覚え、それから数分してようやく身体の拘束が解けた。
自由になってすぐ部屋を飛び出すが、もうモンド…さや女の匂いも、円に触れる気配さえなくなってしまっていて、思わず拳で壁を砕く。



(くそ……っ)



久しぶりの敗北感と屈辱だ。
白スーツの気配の代わりに、いつのまにかコッチに来た、ティナの声が腹立たしいほどに響いた。