僕らのヒーロー | ナノ





鼻唄混じりに竹刀を振り回しながら、歯を食い縛るガキどもを慈愛に満ちた目で見る。
つい2ヶ月ほど前に始めた"燃"の指導を経て、彼らが無事精孔を開いたのは記憶に新しい。多少の個人差があったものの、1ヶ月と少しで"纏"までいくことができたのは教える側としては大変嬉しいことだと柄にもなくはしゃいだのをしっかり覚えている。



「気を、抜くな!」

「ぐっ」



――その分教育が厳しくなるのは……まあ、ご愛敬ということで。

オーラが乱れたフィンクスの頭へ問答無用で竹刀を降り下ろす。けたたましい音と共に二つに折れた竹刀。一応纏はしてるようだが……はたして。



「ってえだろーが!」

「ほうほう痛い。つまりは纏がなってないということだな。10分の休憩後やりなおーし」



オーラできちんと守っていれば、ただの竹刀が痛いと感じるわけがない。それこそ銃弾だって、虫を払うように片手で叩き落とせるのに。
悔しげに呻いたフィンクスを横目に「構えを解くなー」と叫んでから新しい竹刀を袋から取り出すが、へばっていたウボォーの後頭部を殴ったおかげですぐにお陀仏になった(サボりはいかんよサボりは)。

かれこれ半月は練で生み出したオーラを纏により留める――即ち"堅"の訓練を繰り返している。けれど、まだ誰も一時間以上保てたやつは(エマを除いて)でてこない。
大半のガキどもは長く持って30分という、実践ではまったく使いもんにもならない(というより話にならない)短時間でくたばってしまう。
真っ先に堅を教えるのはスパルタすぎるかと思ったが、どのみち彼らには自分の身を守ってもらわないといけないし、堅を維持できないのは"身を守るため"という修行の意向にはそぐわない。結果的にはライデンとも意見は合致し、多少ハードなのは仕方がないという考えに至った。



「構えを解かない。腕、下がってる」

「わか、てるね……!」

「きちーんだよ……ッ」



フェイタンとノブナガのあたしを揶揄する目に一瞬たじろぐ。目、イッちゃってますけど。すっごい血走ってるけど、大丈夫か。
これは今回もダメかも……と肩を落とすと教会の扉が開いてライデンが帰ってきた。



「どーお、皆真面目にやってる?」

「真面目は真面目」



もういっそ水見式やっちゃったほうがいいのかもしれないと続けると、予想通り苦笑いを浮かべられた。
凝り固まった肩を回し、暇すぎて洩れる欠伸を噛み殺して祭壇の上に腰をおろす。



「努力と結果は反比例って報われないな」



あたしの言い種に呆れた顔をしたライデンが「精神抉りにいってるだろ」と言ったのを耳にして失笑してしまった。



「時間、かかるな」

「そんなもんだ」



水が入ったボトルを置いたライデン。ふと好奇心に負けて「あたしはどうだった?」と視線を投げる。すると、一瞬これでもかというくらい表情を消して真顔になったライデンに全てを察した。そういやあたし負けず嫌いだった。
想定通り「死にかけてた」と呟くライデンに「だったろうな」と被せ、昔の記憶に思いを馳せる。
とにかく一刻も早く強くなりたくて、ぶっ倒れるまでオーラを酷使していた。修行中はそんな記憶ばっかり……というより、大抵訓練中で意識が飛んでいるし力尽きている。後はご飯を無理矢理食わされたことだけが印象的だ。



「それでも上達は早かったわ。さすが俺様の自慢の弟子」

「……うん」

「悪かった。だから微妙な顔すんなよ。おっさんだって地味に傷付くんだよ」

「……」



すっと目をそらす。項垂れるライデン。……これは楽しい。
一人新しい遊び(人弄り)に心を弾ませていると、ドサッと何かが倒れたような音がして振り返った。
「あーあ」というライデンの声を耳にしながら見たのは、クロロが荒い息をつきながら膝をついているところで、それがやけに昔の自分とだぶる。
一旦ライデンの傍を離れてクロロの頭へとタオルを投げ、ホワイトボード(盗品)に書いたクロロの名前の下のタイマーのボタンを押して時間を止めた。


(……これは)


無機質に表された文字列に口角がつり上がる。ようやく修行の成果が出始めてきたらしい。
表示された時間を念字でライデンに告げると、若干驚いた顔が返ってきて一層その笑みを深くした。。



「タイムは53分」

「……っく、そ」

「惜しかったなー」



俯いているせいで表情は見えないが、心底悔しがっていることだろう。クロロもあたし同様負けず嫌いな節があるし、後七分持てば次のステップへ進めたのにとか考えてそうだ。

本を取り出して見出しを探る。確か疲労回復はアスクレーピオスに頼めばよかったはずだが、そうか、アイツか……あの男か。
憂鬱になる気持ちを抑えるかわりに眉を寄せる。本音を言うと、彼とはあんまり性格があわないから話したくないんだけど――とかいう私情はさておき。

ページを開いてその名を呼ぶと、それこそ光の速さであたしの背にふわりと風が吹きつけ、アスクレーピオスが放つ特有の気配を感じ取ることができた。



「治療を頼む」

「了解、御主人」



あたしの隣に立ち、懐から粉の入った小瓶を取りだしたアスクレーピオスが、象徴である杖を握り締めてそれをコンと一度叩く。瞬間、粉の色が白から瑠璃色へと変わった。
次に小瓶のコルクを開けたかと思うと、杖に巻き付いた蛇の牙から何かを入れる。すると、なんということでしょう。匠の技で、瞬く間に中身が液体へと変化し、えげつないものに錬成されてしまっているではありませんか。
失敗作ですと言わんばかりの物体Xを見てアスクレーピオスは満足げに頷いているし、何だかもうカオスだ。



「御主人、僕はいったいどちらを」



さっきまでの綺麗な瑠璃色はすっかり消え失せ、見るからに危険な物体Xへと変貌を遂げた小瓶の中身。人畜無害な顔をして小首を傾げて人畜有害なものを揺らすアスクレーピオスに、思わず口元がひくりと痙攣する。
正直、あれの被害に遭うのがあたしじゃなければどうだっていい。
背を流れた冷や汗と全身に発生した鳥肌に気付いたライデンが、あたしの腰をつついてきたが無視をした。



「あー、うん。えーっと、そこで四つん這いになってるいかにもなガキ」

「わざわざ無能な僕にお手数をかけて申し訳ございません御主人」

「……いいから早くやったげて」

「今すぐにでも」



若干頬に朱を射したアスクレーピオスが床へ手をつく弟に近づき、そのいかにもな瓶の中身を無抵抗なクロロの口の中へと一気に流し入れた。
たちまち顔色が青くなるクロロ。遠目に見てもわかる変わりようだ。


(うわ、あれは辛い)


かつて経験した者にしかわからないだろう拷問に、あたしの口内も何だかおかしなことになりそうになる。やばい、吐き気がしてきたぞ。
クロロは怪しい液体を吐き出そうとするが、一応は医者という立場のアスクレーピオスがそれを許すはずがなく、手のひらを押し当てられて目を見開いた。口を押さえられる我が弟の口腔は、きっと剣閃弾け飛び、剣戟乱れの大変な舞台になっていることだろう。


(ああ可哀想に……)


アスクレーピオスのつくる薬はよく効くぶん不味い。良薬口に苦しとかそんなレベルじゃなく、不味い。その上臭いしドロドロしている。
匂いだけで言うなら、彼の有名な美食ハンターでさえ嗅げば失神すると言って敬遠した、世界一臭いと言われるニシンの塩漬けを発酵させた缶詰め(シュールストなんたら)……あれといい勝負なんじゃないか。
あたしも嗅いだことあるけど、あれとはもう二度と対面したくない。



「おい、坊主大丈夫か」



鼻の利くライデンがその強烈な臭いを嗅ぎ付けて嘔吐く。
もちろんあたしも鼻を摘んで異臭に堪え忍ぶ始末だ。



「……問題ない。ちょっと味覚が数日やられるだけで」

「問題あるじゃねーか」

「し、死にはしないから大丈夫だ。あたしはクロロを信じてる」

「お前……」



若干非難めいた顔色だったのが気にくわないが、まあいいだろう。
あたしの弟なら大丈夫だ。生きねば……そうだ、生きろクロロ。
飲み込むこと以外の選択肢を失った以上、もうどうすることもできない。喉を上下させたクロロに合掌する。
いい顔で口を塞いでいた手を離すアスクレーピオスに礼を言うと、相変わらず自虐しながら照れたように頬を染めた。



「僕みたいなクズに感謝の言葉なんて勿体ないですよ御主人っ今すぐタナトスに刺し殺されるか、タルタロスに飛び降りてきてもいいですか!」

「もういいからそういうの」



ちょっと礼を言えばこれだ。
嘆息ついて本を閉じれば「あっ」というアスクレーピオスの声が消えた。どうしてあの男はあんなにも卑屈なんだ。
彼らの性格はあたしに変えられるもんじゃないので(言われたら無理にでも作る奴はいるだろうけど)、こればっかりはどうしようもない。

やれやれと頭を振って、味と臭いにノックアウトされたクロロを見る。



「ライデン。クロロ運んだげて」

「おー」

「二時間もしたら回復してると思うから」



ぐったりしたクロロをライデンが担ぎ上げた。「くっさ!」と悲鳴をあげながらもきちんとあたしの弟を抱えているのは誉めて遣わす。


(クロロはあと一週間弱、か)


他のガキどもの視線を一斉に受けながら階段を上っていったライデンを見送り、タイマーの画面を見つめた。この調子だとだいたいそれくらいで最低ノルマを越えそうだ。他は一時間にニアピンするまで、アスクレーピオスの不思議な薬のもと扱き倒すとして……。
ふむ、と顎に手をやる。
このまま堅の維持をしながら発、絶に持っていくのは少しばかり厳しいかもしれない。だとするとやはり水見式の前に堅の目標を二時間に増やし、それをこなさせてから発へいくべきか。だが、それだと間違った方へと傾いてしまうかもしれない。

頭を悩ませるあたしへと届いた二連続の物音。振り返ると案の定、目がイッていたフェイタンとノブナガが、顔面を床に擦り付ける感じに御臨終状態ではないか。


(タイムは50分弱……まずまずだな)


ピッと軽快な音をたてて二人のタイマーを止める。その間に涼しい顔をしたエマが「完璧に飛んでますよ」と構えを解かずに口を開いた。
そりゃああれだけ充血してて、鬼の形相かってくらい人相変わってれば気絶もするわな。

倒れた二人にもう一度本を開いてアスクレーピオスを呼ぶ。
仕事ができて嬉しそうな彼に微妙な心境を抱きつつも、人差し指と親指で自分の嗅覚を守った。


(悩みどころだなあ)


階段を下りてきたライデンがフェイタンとノブナガを見て一歩引く。
またかよと言わんばかりの顔で再び両肩に二人を担いだライデンに、今晩はマッサージでもしてやろうかと考えて本を消した。
そして数分。エマが「あ」と唐突に声をあげて「フィンクスさんは?」と首を倒したことにより、あたしの時間は少し停止してしまうう。
腕時計を確認するが、とうに休憩時間は終わっていて本来なら姿が見えなければならない。だがしかし、あの眉なし野郎の姿はなく、いたずらに時間だけが流れていくだけだ。
これは脱走か、と判断し、ライデンに電話をかけて休憩するのに使う部屋を覗いてもらうがフィンクスはいないようで。

ソファーの下から無言でマシンガンを取り出して弾を肩にかける。安全装置を外して試しにエマに向かって発砲するが、蚊でも払うかのように落とされてしまった。



「あ、あの……クレア、さん」

「なんだ」

「そのですね……あんまりやりすぎはよくないと思うんです。帰ってくるときはきちんと二人が息をしている状態で――」

「逃亡者は問答無用で処刑だ処刑」



右手にマシンガンを、左手にマグナムを持ってにっこりと微笑む。
このあたしから逃げようなんざ光年単位で早いんだよ。

「フィンクス逃げて、超逃げて」と青ざめるイリアの頭を撫でた後に念のため「サボるなよ」と忠告してから、あたしは円を広げて教会を飛び出した。









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追記

アスクレーピオス
└ギリシア神話に登場する名医。優れた医術の技で死者すら蘇らせ、後に神の座についたとされることから、医神として現在も医学の象徴的存在となっている(Wikipediaより)

シュールストレミング
└主にスウェーデンで食べられている缶入り食品。ニシンを塩漬けにして缶の中で発酵させた、漬物の一種である。その強烈な臭いは、魚が腐った臭い、または生ゴミを直射日光の下で数日間放置したような臭いともいわれる。臭気指数計ではくさやの6倍以上 (8070 Au) の値を示す。(Wikipediaより)

旗幟(きし)-表立って示す立場や態度、主義主張。