僕らのヒーロー | ナノ





パンパンッと手を叩いて鍛練終了の合図をだす。一斉に崩れ落ちる面々に瓦礫の山から飛び降りたあたしは、マスクを外して「次ー!」と声を張り上げた。

1ヶ月の猶予を与えてから既に2週間。マルクスの情報から推測するに、もうそろそろ間引きが始まってもいい頃合いだ。それを知ってか知らないでか変な緊張感があたしとライデンの間に漂っていた。
ユウトへの支援要請とゾルディックの緊急依頼は済ませてあるが、どうにも不安が拭えず夜も眠れない。かといって特に変わったことをするでもなく、パソコンのキーを叩いては線密なシュミレート演算を繰り返すだけなのだが。


(嫌だな、この感じ)


護りたいものが増えすぎた。
ふう、とため息をついて再びマスクをつける。品定めに彷徨くマフィアの目につかぬよう教会裏でトレーニングをやるせいか少々むさ苦しいし、気分も心情も降下気味だ。



「終わったらクロロはあたしと。他はいつも通り組手。エマはライデンの指導を」

「クレア、今日はエマとがいい」

「わ、わたしも!」

「……そう。じゃあ、エマとクロロで」



いきなりの申し立てに怪しく思うが、まあいいだろう。
予想外に時間が取れたし、ライデンと今後のマフィアの動向についてでも話すか、と欠伸をしたところで携帯が震える。着信 髭 と表示された携帯にナイスタイミングと笑んで通話ボタンを押した。



『セット完了ー』

「了解。話したいから裏まで頼む」

『あいよ』



簡潔に会話が終わり、続いてバカから電話がくる。はて、バカとはだれだったか。
でないわけにはいかないのでとりあえず応答。どちら様ですかという真面目な台詞に「俺だよ!」とハイテンションで返してきたのは紛れもなくバカだった。



「何さ、マルクス。定時連絡は明日だろ」

『そうだけど、耳に入れた方が喜ぶと思って』

「は?」

『ニアのエスが実行に紛れてる。情報は俺とお前とコーネットしか知らねーからそっちのガキどもが有力なのは認知してない。ただ、引こうと思えば引ける情報を持ってることは確かだ』



エス――その隠語が意味するのはスパイの存在だ。
動揺で一瞬息が詰まる。念のため円の範囲を広げ、不審な行動をとっているやつが周りにいないかを探った。どうやら今のところ、私を見張る人間はいないらしい。
胸を撫で下ろし、安堵の息を吐き出す。だけど油断はできない。
もしもの時に備え、警戒体勢を解かぬまま携帯に耳を傾けていつ頃分かったかを聞き返す。すぐさま「ちょうど2日前だ」とマルクスの声が聞こえた後に実行班の顔と名前を頭の中で並べた。



「ライデンにはこっちから知らせるよ」



話したことのないやつが数名。
だけどエスの確証は皆無。
舌打ちをしたあたしに苦笑を漏らしたマルクスが「俺も探るわ」と声を潜める。



「いや、それはいい。時間は1週間弱……あたしに考えがある」

『はいはい……。いいか、一人で無理すんなよ』



ため息をついたマルクスが肩を竦めるのが目に見えて苦笑い。仕方がなさげに言った言葉にわかってるよと返して通話を切った。
厄介なことになった、と焦燥感に炒られながら腕を組んで考える。
仮に密告者が分かって迅速に始末したとしよう。けれど、あたしとライデンのところに無力な(と仮定した)子どもが10人ほどいるのに変わりはない。
間引こうと思えばいつだって実行できる状況が依然としてあるわけだし、それに対する警戒も解けない。更に、あんまりこっちが抵抗すると、間引いた子どもを1人か2人与える条件を飲み込んで協力した他のコミュニティだって洗わなければならなくなる。


(クロロたちを囮に潰すか、あたしが直々に潰すか)


選択肢なんてあってないようなもんだ。
人知れず覚悟を決めたあたしの正面からライデンが姿を現す。「難しい顔してどうした?」と変わらぬトーンで聞いてくる髭の他に、周りに誰もいないことを確認してあたしは口を開いた。



「実行班にエスが紛れてる。早急に対処が必要だ」

「穏やかじゃねーな」



眉間にシワを寄せたライデンに頷く。
ライデンの電話のあとすぐにマルクスから連絡があったことと、その内容に誤解が生じないよう説明してあたしは更に続けた。



「当日、クロロたちを囮に潰すのは、あたしとしてもライデンとしても本意じゃない」

「もちろん」

「ということで、目には目を、歯には歯を――エスにはエスで返すことにする」

「はい却下」

「だが断る」



至極真面目な解答だったのに即棄却とはいったい何事。
思わずむっとした表情を作ると、呆れた顔したライデンが「お前バカだろ」と口にする。



「マルクスにも1人で無理すんなとか言われなかったか」

「言われたけど無理じゃない。ちょっと男の1人や2人侍らせるだけだ。女なら誰でも通る道……ほらね何も問題ないじゃない」

「問題しかねーよ。脳ミソ洗って出直してこいクソガキ」



立てた親指をへし折られて悲鳴を上げる。念がなければ即死だった……と訳のわからない台詞を言い切り、仕返しに膝を鳩尾に決める。
痛そうな音が響き、くぐもった呻き声がライデンから発せられてやり過ぎたと思うが時すでに遅し。錫杖を取り出したライデンが青筋浮かべてタランチュラの如く襲ってきやがった。



「そっちが悪いんだろーがッ」

「うるせえ一発殴らせろ!」



仕込み刃のある部位を振り上げたのをみたあたしは、メタルスライムも顔負けのスピードで逃げる。冗談じゃない。やられてたまるかよ。
いつかゾル家でも経験した鬼ごっこのような状況に舌を打って教会周りを走る走る。
奇っ怪な目でこちらをみるフィンクスを盾に上手く逃げた伸びたあたしは、あたし自信に称賛の拍手を送った。




△▽△▽




飴色の髪を緩く巻き、高い位置で一つに纏めアガットのカラコンをつける。2、3度の瞬きでちゃんと装着されたことを確かめ、普段よりワントーン高い声で「あー」と意味もなく言ってみたりした。

――よし、完璧。
メイク、服、声、作法。どれをとっても完璧な女性だ。
咳払いがあたしの後ろで聞こえ、振り返るとライデンが神妙な顔をして「化物……」と呟く。



「どこの誰が化物なんです、ライデン」

「俺の目の前にいる常時自己中女」

「ははは、殺すぞ髭」

「その格好で地声やめろ」



ふわふわのスカートの端を持って念のため鏡の前で一礼。うんうん。動作、着衣のしわに問題無しっと。
どっから見ても可愛らしい女の子の姿に内心ガッツポーズを決めてショールを羽織ると、「女って恐い」という台詞を頂いた。本当に失礼な髭親父だなこいつ。
そんなことを思いつつ、あたしは今回の作戦のために用意した設定を口にするため息を吸い込む。



「あたしは彼の名高き悪女、リリヴァンヌ。あんたはその夫のシュタイナーとして、ニアファミリー主催のパーティーへ忍び込む」

「ああ。最低限の情報で最高級のもんを釣り上げる……もちろん肉体関係はなし」

「そりゃあね」



ライデンの言葉に頷いて、パーティーバッグから粉薬を取り出す。



「使った奴らはこれにてお仕舞い。異議は?」

「ねーけど……あー、一応もっかい聞いとく。その粉薬、"ちょっと効きすぎる"睡眠薬なんだよな?」

「用法・容量さえ間違えなきゃ、ね。ミスった場合どうなるかは自分の好奇心・良心と要相談ってことで」



パチン、とがま口のそれに薬を直し、ヒール音を響かせながら、シークレットブーツを履いて身長を底上げしたライデンの腕を取った。
数センチ高くなったライデンが乾いた笑みをこぼして「やめとくわ……」と呟き、セットした髪を掻きあげる。
お互いの変装は完璧。狙うはニアのスパイの素性。使えるものは容姿と捨てゴマ(というなの要らん情報)……これだけあれば充分やれる。



「やり過ぎんなよ」



くく、と喉で笑ったあたしにライデンが忠告した。



「はん。ハンムラビ法典なんざクソ食らえだ」

「さっそく最初の言い分と違ってきてますね」



炯々とするあたしの眼を見ると、ライデンは呆れた表情を作って目の前のドアを引いた。
そもそも、あたしがやられたらそのままやり返すだけで満足するような奴に見えていたというところに驚きを隠せない。
部屋を抜けてから不満げにそう言うと、表情筋という筋組織を引き吊らせたライデンが「ですよねー」と諦め気味に後ろ手に扉を閉める。なんだ、わかってるじゃないか。



「あたしは最初から潰すことしか考えてないよ」

「だろうとは思ってたけど!」

「わかってて協力するんだから同罪。ほら、いくよ」

「わかりましたよ、リリヴァンヌ」



あたしのものともクリス=ロイロードとも違う名前で呼ばれるのは少し歯痒い。なんというか、現実味がないのだ。
どうしようもない違和感に襲われながら、ユウトが用意したヘリまで徒歩10分ほど歩く。
……会場につくころには慣れとかないと、なんて思っていても頭のなかはこれからのことでいっぱいで。

ふう、と息を吐き出して数時間後に始まる情報戦の舞台を想像しては、にやつく口元を隠す。
最近は肉体労働が多かったし、情報世界からも離れぎみだった。もとはと言えば、あたしは最初からこっち側を楽しむ人間なんだ。
これは鈍った感覚を取り戻すいい機会かもしれない、と早まる心を押さえつける。今宵始まる情報戦……向こうのファミリーはいったい私をどう楽しませてくれるのだろうか。










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補足


炯々(けいけい)……鋭く光輝く様
飴色
アガット